ローリング・ストーンズのメンバーが80歳であるということを、このブログに書いた。
彼らより10歳下の私も、先日70歳の誕生日を迎えた。
「古稀」である。
「人生七十古来稀なり」というのは、杜甫の詩にあるらしい。
杜甫は八世紀の人だが、自身は58歳で亡くなっているようだから、70歳はなかなかあることではなったのだろう。
同時代を生きた詩人李白も、享年61歳である。
現在の日本では、平均寿命がなんと男女とも80歳を越えている。
女性87歳、男性81歳なのだそうだ。
あくまでも平均だから、個人差が大きい。
私の父も妻の父も、ともに大正末期の生まれだったが、60歳を過ぎて何年も経たないうちに亡くなった。
「人生七十」という言葉で、思い出したことがある。
織田信長が、映画の中で舞いながら歌っていた歌に、こんな歌詞があった。
「人間五十年、下天の内をくらふれば、夢幻の如く也」
小学生の頃に見た映画の記憶が、強く残っている。
私の小学校時代は、年に一回学校の体育館で映画の映写会をやっていた。
まだ、テレビが充分に家庭に普及していなくて、映画の時代だった。
30分くらいバスに揺られれば、町の映画館に行けた。
1時間かけてもっと大きな大館の街なら、映画は3、4館もあった。
「敵は本能寺にあり」という映画を、たぶん低学年の頃だった。
「本能寺の変」を扱った、小学生には難解だと思われる映画である。
年に一回なので、いくつも作品を見たはずなのに、この作品だけ覚えている。
癇癪を起こした信長が、光秀の眉間をわり、血がながれる。
この時の俳優は誰だったのだろうと、気になったので調べてみた。
松竹作品で、公開年は1960年である。
ということは、小学校入学の年だ。
その何年後かに、見たのだろう。
主演は、織田信長が田村高廣、明智光秀が八代目松本幸四郎である。
松本幸四郎は、現在十代目らしいいので、私がよく覚えているのは、市川染五郎だった九代目幸四郎である。
ずいぶん昔だ。
東千代之介も出ていたような記憶があったのだが、思い違いだった。
もしかすると、その後見た映画と混同しているのかもしれない。
「人間五十年」は、幸若舞の小唄の歌詞で、「平敦盛」のなかにあるということだ。
戦国の頃には、人間の寿命は五十年くらいの感覚があったのかもしれない。
でも、江戸時代の平均寿命は何歳くらいなのだろうと、調べたことがある。
そしたら、なんと35歳から40歳くらいだというので、驚いた。
いくらなんでも、若すぎるだろうと思うが、結局幼児の死亡率の高さからこんなことになったようだ。
どうして、江戸時代の平均寿命が気になったのか。
このブログでも取り上げている菅江真澄という江戸時代の紀行家が、郷里を離れて日本の北方へ旅に出かけたのが、30歳の時だったということを知ったからである。
30歳というのは、結婚したとしても、まだ子どもは自立してなくて、まだまだ頑張らなければならない年齢である。
菅江真澄は、その年齢でまだ健在の父母を残して、旅に出かけたのだ。
真澄は結婚していなかったらしいが、何が彼を旅にかり立てたのだろうか。
江戸時代には、子どもが自立する40代くらいで隠居したらしい。
子どもに、バトンタッチということだろう。
そういえば、伊能忠敬は50歳で隠居して、念願の暦学や天文学を勉強するために、江戸に出ている。
私は、30歳になろうとする時に、結婚した。
だから、30代、40代は子育てに費やされた。
息子を三人育てて、やっと末っ子が学校を卒業する頃に、定年退職した。
今やっと、フリーな生活を送っている。
「人生いろいろ」、である。
何が待っているか、わからない。
五つ上の姉は、55歳の誕生日前に亡くなったし。
その時、私は40代の終わりだったけれども、その後世界がそれまでと違うように見えるようになったな。