晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

おんぶ紐が抱っこベルトに変わった頃

孫娘が、もうすぐ6歳になる。

来年は、早いもので小学生になる。

今の時代も、小学生はランドセルを背負っている。

孫娘は、紫色のランドセルがいい、と言っている。

赤と黒しかなかった我々の時代、数種類しかなかった息子たちの時代と違って、何十色もある中から選べるのだ。

そのかわり、何ヶ月も前に予約しないと手に入らないらしい。

考えてみれば、何十色も色数があったら、見込みで作ってしまう訳にはいかない。

受注生産でないと、リスクが大きすぎるのだ。

なかなか、大変なのだなあ。

 

我が家は息子が3人で、それぞれ3歳違いだった。

だから、3歳以下の小さい子を抱えていた時期が、10年くらいあった。

時代は、1980年代から1990年代にかけてである。

日本の社会は、高度経済成長から、日本列島改造による地上げブーム、バブル期となる。

長男が、まだ2歳前くらいの時に、賃貸住宅から転居した。

そしたら、すぐにブラックマンデーで世界的な株価大暴落があり、日本ではバブルが崩壊した。

長期の経済低落の時代がはじまった

 

この10年間は、大変でもあったけれど、今思えば楽しい時代でもあった。

たぶん、日本の子育てが大きく変わっていたのではないだろうか。

ベビーベッドや乳母車は、買わなくてもレンタルで借りることができた。

まだインターネットにはなっていなかったが、宅配便が普及してきて、月単位で借りれば、品物が自宅まで届いて、期間が終了すれば引き取ってくれた。

それまで、出かける時は、おんぶ紐で背中におんぶしていたのが、抱っこベルトに変わった頃でもある。

友人に、私よりも2年ほど早く赤ん坊が生まれていたので、いろいろアドバイスを受けた。

友人は、出かける時は、父親である自分が赤ん坊を抱っこすると、言っていた。

赤ん坊は、母親よりも父親が抱っこした方が、体力的にも安心だからというので、なるほどと思い自分も実行していた。

そのうちに、ガッチリした造りの乳母車も、アルミでできた折り畳み式でコンパクトなものになり、安価なものが発売されるようになった。

それまでの箱状の大きなものではなく、椅子状のものなものなのである程度成長しないと使えないが、折りたためばエスカレーターに乗れて、電車にも持ち込める。

 

ハイキングなどに出かける時に、抱っこベルトだと足元が見えにくい。

そのうちに、こども用の背負子のようなものが発売された。

背負子というのは、荷物を運ぶために、木の骨組みで荷物を乗せて運ぶもので、山小屋などでも使われていた。

こども用の背負子は、アルミパイプの骨組みで子どもが座るイスのようになっていて、それを背中合わせに背負って歩くようなものである。

最近は、これを使っているのは、ほとんど見かけないような気がする。

正式な名称は何だったか覚えてないのだが、昔の写真を見ていると、これを使ってハイキングに出かけている。

山好きの私としては、出来るだけ家族一緒に出かけたかったのだ。

 

こどもは、自転車に乗るのが好きである。

近所のおもしろい遊具のある公園を探して、いろいろ走り回ったものである

最近の自転車用の子ども椅子を見ると、しっかりしたつくりである。

固定用のベルトもしっかりしているし、風除けや雨除けがあったりする。

私が使っていた頃は、ほんとに簡単なものだった。

 

それまでは、キャンプなどというのは重い荷物を背負って出かけなければならなかった。

それが、カーキャンプ場が各地に作られたのも、その頃である。

テントを張る場所まで、自動車で行くことができるので、荷物を運ぶ手間が要らなくなった。

しかも、テント自体の張り方も手軽なものになっていった。

これは、20年も前のことだったが、今回のコロナ禍で、再度のブームになってるようだ。

たしかに、密を避けようとしたら、考えられる選択かもしれない。

これからも、どんなふうに変わっていくのだろう。

 

 

 

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