晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

団地の清掃除草作業に参加して思うこと

私の住む団地では、毎月一回、清掃除草作業の日がある。

毎月といっても、冬季にはないので、年間7、8回である。

団地の管理組合主催で、各戸から一人参加ということで、ずっとやってきている。

10棟の低層集合住宅からなる団地で、それなりの敷地はあるので、樹木もかなり植えられている。

敷地の雑草と落葉の処理が、主な仕事である。

全戸で150戸ほどなので、毎月100人以上が外に出て、一時間ちょっと作業をする。

ゴミ袋と用具を片付けたら、集会所前に待機している管理組合の役員から、市指定の「家庭用ゴミ袋」を受け取る。

それが、参加賞である。

 

我が家は、毎回私の担当である。

考えてみたら、団地入居から35年になる。

こんなに長く住んでいても、顔と名前が一致する住人はそれほど多くはない

管理組合の役員を3年ほど、やったことがある。

そして、この清掃作業があるので、知ってる人ができたけれど、それがなければほんとに狭い世界だったかもしれない。

住人のほとんどは、私の世代から前後10年くらいである。

入居した頃は、小さい子供たちも作業に参加していた。

なんと、作業に参加すると、参加賞が缶ジュースだったのだ。

だから、子どもたちがいっぱいで、にぎやかだった。

大人には、缶ビールが出ていたこともある。

それが、経費削減ということで、「ゴミ袋」になったのである。

今考えると、子どもたちといっしょで楽しい時代だった、と思う。

 

自分の住む建物の周辺をきれいにしていた。

建物と隣の建物の間に、コンクリートの歩道と、幅4メートルくらいの芝生の広場があった。

芝生は、そこで遊ぶ子どもたちに踏まれて、すぐに姿を消した。

私はだいたい、芝生の端にある雨水用の側溝のまわりの雑草や落葉を片付けていた。

30年以上も、そんなことをやっていると、思い出すことがある。

建物と建物の間に小公園があって、その近くに「ヤマブキ」(山吹)が、毎年見事な花を咲かせていた。

それが、どのどんどん株が大きくなって、枝をまわりに広げていた。

見事な黄金色の花を、楽しみにしていた。

ところが、あまりに株がひろがるのを心配したのか、剪定されたらしい。

翌年から、ぱたっと花が咲かなくなった。

そのうちに、株も無くなってしまった。

ヤマブキは、大きくなっても2メートル程度らしいので、そんなに心配はいらなかっただろう。

ja.wikipedia.org

なくなってしまうと、よけいに見たくなるのが人間である。

どこかに、ヤマブキは咲いてないかな、と気を付けていた。

そういうものは、なかなか見つからないのである。

なくなってしまって、見たいものがもう一つある。

団地の駐車場の隅に、「フヨウ」(芙蓉)が生えていて、きれいな花が咲いていた。

団地の自前の駐車場は、100台分くらいしかなかったので、足りない数十台分は、隣接した土地を借りて、同じ料金で使っていた。

自前の駐車場は、アスファルト舗装であるが、借りた駐車場は砂利のままだった。

当初は、それほど背丈もないかわいいものだったが、10年ほどしたら2メートルを超えるような、巨木になってしまった。

芙蓉の花は、10センチを超えるよう立派なもので、きれいなピンクである。

ピンクだけではなく、白色もあるらしい。

ついに、背丈が3メートルくらいになって、駐車の妨げになるようになり、伐採された。

あとから、芽が出てくることもなく、フヨウは姿を消してしまった。

フヨウも、やはり外に出かけた時に、気をつけてみても見つからない。

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ところが、最近になって、フヨウらしき株を見つけた。

砂利の駐車場の隣には、光ヶ丘の消防署が背中合わせにある。

車に乗ろうとして駐車場に行くと、出動命令の放送が聞こえることがある。

その敷地の隅に、どうもそれらしい葉っぱの株がある。

花はまだ咲いていないが、これから咲くのだろうか。

楽しみである。

 

 

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