晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

いなのなかみち④   菅江真澄テキスト

甘三日 ていけよければ、外島をいづ。このごろの雨にや河水いやまさり、橋々おちながれうせ、天流川は、あら海などのやうに浪うちあぐる。岸まで人々をくり来て、むかふ岸に居る舟よばふ。

舟ははるばると、きしづたひさしのぼり/\て、後なん浪にうちまかせて、とぶやうにくるを、こなたの人々、まくり手をして待居たるに近づけば、川長、ともづなを高岸になげあぐるを、もろ力にたぐり、舟ひき寄るにのりて、

 

   舟をさのやすけも浪のはやきせに目をふり渡るあめながれ河

 

からきこゝちにわたりつきて、ほどなう殿村といふ処ありけり。

ゐせきのほとりに、ふたもと、みもと咲たるを、花あやめといふ。

 

   花あやめけふを盛とさき草のみつ葉よつ葉のとの村やこれ

 

ふと麦かる男あまた、ことしはなりはひもいとよけん。

いづこも、ゆたかならんなどかたりもて、酒のむやに、われも沓かはんとてさし入ば、空かきくれ、はやちふき、神うちしきり、光まなこにさえぎり、雨はゐにゐてふるに、ものにまうでたる女にやあらん、ひぢ笠にぬれて、裾にひとしきふり袖を左右の手にとり、あるは帯に挿てゆくは、此軒に、ひとりかさやどりしたる女に、雨にふりこめられたる男もたちて、此女にけさうして、しのびやかにかたらひ、雨の晴たるもねたげに、たち去らず居るに、戯うた。

 

   ひく方にまかせて雨のふり袖もぬれてひたちのをびにかけけり

 

晴たれば、やをいづるに、かの男女うちまじりて、いまのかんだちのおくかなさよ、いづこにかおちてんと語あひ、

「忍び夜づまとかんだち雨は、さヾらさめけどのがとげぬ」

と、うたへば、今ひとり、まことにむかしの人は、よくまでに作りしぞかしと、ほゝゑみてかたり行くは、此あたりの下摺女ある家には、たれとなう夜半にうちむれおし入て、契らぬ人にも物いふは、大原の雑混寝にひとしければ、それをかくは、うたふとなんいへり。

子規の鳴たるに、

 

   ほととぎす友にかたらへ我も又雲のいづこにこよひたびねん

 

松嶋てふうまやにいたる、里のはしやけたり。行行此ゆふべ、宮木のすくにやどかる。

 

   みちのくの名もなつかしき松嶋や夏のこはぎをみやぎのゝ原

 

甘四日 みちはるばる来て小野邑に至る。

最林寺の上人は、むかし逢見たる人なればとふに、三とせなるさきの年、せんぐゑし給ふと今の上人のいへれば、つかはらにとぶらへば、此寺の十二世とかいたるそとばも、くちかかりて立り。

みちしばしへて、いかめしきものあり。

むかしまうで奉りし、

 

「しなのなる伊奈の郡とおもふにはたれかたのめのさとといふらん」

 

とながめある、此里におましませる、憑の神のおほんみづがきなりけり。

 

   誰もさぞたのむの神のみしめ繩かけてくちせぬちかひなるらん

 

としごとの葉月朔の日は、たのも祭とてかんわざのありて、なりはひをいのるみやしろなれば、神をたのめとも頼むとも、里の名もしかいへり。

かくて潮尻につきてひるのなかやどして、阿礼の社にぬさたいまつりて、馬にてとくとくとのり過て、すぎこしかたをかへり見つつ、

 

   こやいづこ駒の足なみはやければみつるも遠し汐じりの里

 

いとひろき野なかに出たり。

これなん名だたる桔梗が原となん。

そのかみ、善光寺般若経をさめ給ふ何がしの君の牛、ちからつきて、この野原にふしたり。

そのころは、原の名も来経とかいて、ききやう原とはいひき。

又此野辺に、きちかうも多く咲ば、しかいひ、その牛伏といふ寺もありなど、このうまひく男のいふ。

やのふたつあるに、こがねもちとて、粟のもちいひうるを、馬そひたうびて、あなうまの此こがねもちといふに、かれにかはりて、うちたはれたる歌。

 

   春夜の花にもかへじよく搗てちちのこがねの餅のうまさは

 

木曾川といふあり。

岐岨山なかに見しとはことなれど、おなじやまの、はざまよりながれ出れば、これもしか岐蘇川といひ、わたらせるはしを琵琶橋といふ。

洗馬のうまやを左に、もとせばといふ里にいづ。

大池芭なる宗福寺の洞月上人に、むかしねもごろにものしたれば、いで、その上人のもとにといへば、ある人聞て、その洞月上人のことにて侍る。

小見といふ山里に、しるべばかりの庵しめて、みつわさす老のたのしきほゐと、あけくれうき世の外なる栖にとし月おはしたるを、人々山田のひたとせめいざなひて、今はこの青松山長興寺にふたたび出給ふといへば、さちなるかなとて、この杉村に駒つなぎて門に入ば、上人は小坂てふところに出行給ひぬ、とみにかへりおはさんと、小法師のさし出て、あないするにまかせて入れば、相しりたる老人ありて、こは久しき人見しかなと、なみだおしのごひかたらふまに、はや、あるじの上人かへりおはしたりとつぐるに、まみえたり。

 

甘五日 とらひとつより、あまたの僧侶おきいづるけはひして、かね、つゞみうちましへたる音に、ありと見し、ふる郷の夢もおどろかされ、みどきやうの声にこゝろもしめるおもひして、手あらひあたり見ありけば、此みてらひらき給ひたるぜしの、みかたしろとて、大に作りてすへたる。

ぬかのわきのさゝやかにやぶれたるは、此ぜじ、世に在すころ、かく、ぬかに疵なんありけるが、をのづからあらはれたり。

これを仏のたくみ、くへなをしても、ほどふれば又あらはるゝなど、大とこのむかしをかたる。方丈のむろのうしろは、けはしき山のさし出たるより、とくとくとしたゝりおつる水を、かけ樋にとりて、耳も涼しき音せり。

人あまた、おもねるこはづかひしたるは、田うふるもをへて二三日、里こぞりてあそぶとて、世のわざもとゞめて、過つる五日のせくにひとしう、ゐやしありきぬ。

上人、むかしをかたり出給ふ。

むさしなる寂好ほうしも、むかしのすがたにたちかへり、ふたたびみちのおく見んとその国にいたりつれど、えしほがまに至りつかで、風おもりかにおこりて、今は死べうと、

 

「身はとてもたびに消なばしほがまの浦のとまやのけぶりともなれ」

 

と、かいはつれば、きのをたえたると、甲斐の国の人のもとよりしらせ来けるなど、ほろほろとしてかたり給ひ、又むかしにたがはで、

 

   十とせあまりあはで過こしうらみさへけふは晴ぬる五月雨の空

 

となんありけるに、返し。

 

   けふこゝに袖こそほさめ客衣うらみ晴たる五月雨の空