二日 朝たつ。
をりしも恵音ほつし(法師)、とよりさしのぞき、又いつかなどいへるに、
昨日来てけふの細布たちさらばむねのひがたき別ならまし
とて、やを出て、小豆沢村(鹿角郡八幡平村)になれば、いかめしき大日如来の堂あり。
そのゆへは、そのかみ田山の庄のうちに、平間田本といふ処に男女すんで、耕をわざに、めお(夫婦)つねに出てうちかへし、鋤を枕にひるねしたりける。
男の鼻より秋津むし(蜻蛉)のさゝやかなるが出て、岩のはざまをめぐり莓(苔)の雫やなめたりけん、羽ぬれて飛かへり、ひだん(左)のはなの穴に入ぬ。
妻もひぢ枕してけるが、おどろき男をおこしぬ。
男起あがり、おもしろの夢見しといふとき女しか/″\と語るを聞て、さらばその処はいづこ、いで行て見てんと、女のをしゆるかたをさして尋至り、苔よりつたふ泉をむすべば薫りみちたる酒也。
あなうれし、あめのたすけにあへるものがなと、酒の泉のほとりに家たてで、風の吹付るやうに日あらずとみうど(富人)となり栄ふるを、かしこくも帝きこしめして、そが持たる子やあると問せ給ふに、かたち、あづまうどににざる、うつくしき女子うめるを、やがてうちにめし給ひて、御后にたゝせ給ふとなん。
里人蜻蛉をだんびるといへば、そのころの人だんびる長者といひたりけるとなん。
このたちに居る、いくばくの人のくふよねかしぐ水のしろく流て、行水も真白のふちせとなりたるとて、米代川とよぶ。
比河、鹿の角のやうにふり分てながるゝとて鹿角の庄といひ、郡は狭布といふべきを今はもはら、かづの郡といひならはせり。
長者身まかりてのち、この寺をたつべしの勅命ありて、義老の頃とかや、すなはち寺の名を義老山喜徳寺となん。
三野(美濃)の国、滝のむかし物語におなじ。
いづらやまことならん。
いとふるきみてらにや、運慶の作る五大尊あり。
何の仏ならん、くちたるみかたしろあまたをたてならべたり。
前なる大杉に養老のむかしを忍ぶ。
いまだ河あさからねば、河岸のさかしき山を左に分ゆき、からくして比河に渡したるといへる菱床橋はくちて、名のみかけたるそのもとに近う出たり。
むかし此橋や、天狗のわたしそめ給ひしとて人ごとに天狗ばしといひ、又こと処に鈎木のみわたして、しのゝめになりぬるとて、そのまゝに在けるあり。
そこを夜あけ嶋となんいふと、みち行友のしかかたりたり。
入逢のかねの音する山かげも島は夜明の名に聞えぬる
湯瀬(八幡平村)といひて、湯桁の三ならびたるところありけるに湯あびして、こよひはこゝに宿りぬ。
やまうどにまじりて、山がたな腰にさしたる翁は、万太幾(またぎ)とて狩人の名也。
かれがいはく、われ若かりしときは国々にはせありき、遠江、三河などは分て久しうありつなど語るに、こは何わざしでかととへば、ずほう(偽をいへり)山とて露なきこがね出るとて、山てふ山をほり/\て、人のかねとりて、安げにくらしつる盗人やうのもの也。
そのむくひにや、今はかく夜さむのころさへ、あかづける布かたびらに、あしきものくひて、しし、ましをうちてはかなう世渡ると、むかしのおかし(犯)をくひ、又此むくひの、未の子かけてなじかはよかるべきと思へど、わざなければとて煙ふき捨ていぬ。
暮れば、女どもあまた苧筍かゝへてきあつまる、これを糸宿といへり。
うみそするに、左あるは右の膝をあらはし、それなんたよりによりぬ。
こは女の身もて、あるべきさまともおもほえねど里のならはしとて、露ばかり人にはぢらうけしきも見えず、夜とともに、よろづうちかたらひて更たり。
麻糸の長きよる/\をとめらが話るまどゐや楽しかるらん
宿近きあら河の波音、こゝらなく虫のこゑ/″\あと枕にひヾき、老ならぬ身も寝覚がちに、さめては、いとどこし方のみおもひも捨ず、いねもつかれぬに、軒ばの山ならん、鹿のゆくりなう、ないおどろかしたるに涙おちて、
ふる郷をおもひ出湯の山ちかくわきて物うき棹鹿の声
三日 湯舟のいまだ星の影あかうさしうつる頃起出て、人みな衣ふるふわざして、こゝを出遠ざかる。
人のいふ、過来し小沢てふ南に、長牛といへる山より砂金ほるといふは、皇の御代栄えんと、みちのく山はいづこもいづこも、むかしよりこがね花さきけるにこそあらあらめと。
斎田(八幡平村)、兄畑、佐比内などをヘて折壁(以上岩手県二戸郡安代町)といへる里あり。
こゝのあら恒に関手あらためて通しぬ。
われ持たるいさゝかのこがねは、やはしき世のよねのしろにつかひはてて、椎の葉に盛らん料もなければ、ゆく/\、うすきころもひとへをうりてむとおもひつつ、
いくちさときならし衣ぬぎかへてあしをかりねの長きせにせん
と、ながめたるをかたれば、人さもといひて又歌をわらふ。
やをら田山(安代町)といふ里に出たり。
このあたりの邑にては、ものかく人まれに、めくら暦とて、春より冬まで一とせの月日の数を形にかいて、田植え、耕の時をしれり。
世にことなれるためしなりけり。
吉沢たれといふがやにとまる。
四日 ようべ(昨夜)より雨ふる。
苗代沢村梨木峠(安代町)を行に、牛をふ男、けふはもゝさとを行て宿からんにいそげと、さきなる子らにいふ。
道をとへば一塚といひ、あるは一里といふ。
六町を一里とし、ひとつかとは七里を合て、よそぢふたまち(四十二町)をいふなりけり、この国のならひ也。
牛馬のゆきかひしげう、路は田の中のごとにぬかり、はぎふかうさし入て行なやめば、日たかう曲田(マカタ)(安代町)といふ邑に宿つきたり。
夕附ころ、雨は晴たるに露いとふかう、外山の鹿の声高けば、やのわらは窓にかしらさしいだし、あの山にて、かのしゝがさがぶことよといへば、男ら、鹿は世におもしろきもの也。
何がしの神の夜みやありつるに、こもりあかしたるあした、笛つゞみの声にうかれて、放ちたる野がひの馬にまじりて、角ふりたてておどり/\めぐるを、この小童(ガキ)めがさかびしまま、木山の中にみなとび入ぬ。
われか、かや野にかくろひありて見しをりの楽しさとかたるを、ねぶり/\聞ゐたる翁あくびうちして、さるゆへ世中に在る獅子儛は、鹿踊を見てはじめたるといふが誠ならんとかたる。
鹿は声みやみもなうなけば、枕とりつつ、
さらでだにさびしき夜半の草枕なみだなそへそ小雄鹿の声