晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

表か裏か


表日本と裏日本ということばがあった。

教科書でも、使われていたような気がする。

いつのまにか、使われなくなった。

太平洋側と日本海側になっている。

 

辞書を調べてみると。

おもては、物事の、人の目にふれる部分。また、二面ある物事のうちで、人目につく面。

うらは、物事において、人の目にふれない部分。また、二面ある物事のうちで、人目につかない側面。 (精選版 日本国語大辞典)

「うら」「おもて」ということばに否定的な意味合いはないにしても、表日本と裏日本として日本を二つの地域に分けるには適切ではなかった、ということだろう。

日向と日陰みたいなイメージになっていた。

裏日本の秋田出身の私が、ときどき感じていた違和感はこれからきてたんだ。

「人の目にふれない」地方というのは、あまり気分は良くない。

 

問題は、どうしてこんなことばが使われるようになったかである。

明治維新によって、皇室が京都から東京に移った。

京都にあった正式な首都が、江戸にあった実質的な首都と合体することで、東京が唯一無二の首都になった。明治政府が首都東京から日本列島を見た時に出た発想が、表日本と裏日本だったと思う。そのように、見えたということだ。

しかし、少なくとも江戸幕府ができる以前は、日本海側が表日本だったと思う。京都が、唯一無二の首都だった時代は、日本海の貿易が占める部分が大きかったと思うし、文化や人的な交流も盛んだった。

私の郷里で大きな旅館は「能登屋旅館」だったし、先生や同級生の苗字に「越後」「越前」「加賀谷」などがあった。

日本海側の国々は、海でつながっていたのだ。

ものを見るときには、ミクロ的な視点だけではなく、マクロ的な、自らを俯瞰するような発想が必要だと思う。

 

 

 

 

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