晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

ステレオタイプ

YouTubeで、外国の方が日本の音楽について反応するというビデオを見ていた。

彼女も、彼も、やたらと「アニメ」「アニメ」と言う。

きっと、日本語の入った音楽は、アニメの音楽に聴こえるのだろう。

日本の音楽=アニメの音楽なのだ。

それを通してしか、日本を知らないのかもしれない。

でも、立場を置き換えてみると、われわれも外国をそういう目で見てる気がする。

たとえば、イタリアはパスタの国みたいに言う。

パスタは、イタリア南部の食べ物と聞いたことがある気がする。

イタリア北部は、また違うらしい。

たしかに、イタリアを代表する食べ物かもしれないが、イタリア全体を代表してはいない。

日本を考えたったて、一筋縄ではいかない

地域によって、食文化は違うし、人間の気質も違う。一緒くたにしてはいけない。

おんなじ国なのに、こんなに違うんだと思うことはとても多い。

 

ステレオタイプ」ということばを思い出した。

「紋切型」とか「できあい」とかに訳されている。

ここでいう「ステレオ」は、オーディオのステレオではない。印刷用語である。

印刷するための原版のことであり、これの複製を作ることによりいくらでも大量印刷をすることができる。

 

活版、木版、亜鉛凸版などの組版からとった紙型に鉛の合金を流し込んで作る原版を用いた印刷法。あるいはその原版のこと。また、その印刷物。新聞印刷などに用いられる。ステロタイプステレオタイプ。鉛版。(精選版 日本語大辞典)

 

つまり、すでにできている判断基準や、価値基準をあたかも真実であるかのように使うことが、ステレオタイプということなのかな。

日本大百科全書では、次のように解説している。

通例、紋切り型態度と訳される。その特徴として、
(1)過度に単純化されていること、
(2)不確かな情報や客観的根拠の薄弱な知識に基づき誇張され、しばしばゆがめられた粗略な一般化ないしカテゴリー化であること、

 

「過度に単純化」とか「粗略な一般化」というのは、いろいろな場面で感じることがある。

「日本人は、清潔好きである」みたいに言う。

でも、日本人100%が、清潔好きであるはずがない。80%ではあるかもしれない。

それは、平均点の問題であるのに、その他の20%を切り捨ててしまっている。

日本は、武道の国である。

しかし、柔道や空手や剣道などをやる人は数%である。

寿司だって、生ものは食べない人はいる。みんなが、食べるわけではない。

現実には、多様で複雑なものが、単純化されることで多くのものが切り捨てられる。

5択、6択問題が、2択問題にされてしまう。

その方が、楽なのだろう。判断しなくていいから。

 

マスコミの報道とか記事とかを、見たり読んだりしてて、なんか引っかかることが多いのは多分こんなことがあるからだろう。

意識してるか無意識かは別にして、そのような操作をしている。

そのようにして、物事を単純化し、誇張した方が、話を進めやすく、わかりやすくすることができるからだろう。

何国人は、こういう人である。

それが、どんどんひとり歩きして行く。

そんなものに、自分も囲まれてるわけで、よほど自覚して自分で判断しなければ染まってしまってるんだろうな。ほんとかな、というふうに考えるのは大事だな。

ステレオタイプの特徴として、一度できたら、

「新たな証拠や経験に出会っても、容易に変容しにくいこと」

が、挙げられている。

なかなか、手ごわいものなのだ。

 

 

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