晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

5歳の誕生日

私と妻にとっては、初孫でもある孫娘が5歳になった。

この5年間は、長かったようでもあり、短かったようにも思える。

まあるい顔をして、ころころした赤ちゃんだった。

今は、ほっそりしてすっかり女の子らしい。

 

私は、姉2人の末っ子だった。

妻は、弟2人の長女として育っている。

そして我が家は、男の子3人の兄弟を育ててきた。

ずっと男の中で暮らしてきた妻にとっては、長男の奥さんと孫娘は、ちょっと特別かもしれない。

うれしそうである。

 

誕生日のプレゼントを、持って家族で行った。

本人は、ピンクのドレスを着ていた。

来週、両親の友人の結婚式に呼ばれていて、それ用のドレスらしい。

最近は、お姫様っぽいのが好きである。

プリキュアとか言っても、私にはよくわからない。

ちょっと前まで、メルちゃんという人形に夢中だったけど、今はお休み中だ。

赤ちゃんの時は、男の子も女の子もあんぱんマンから始まるらしい。

コキンちゃんに夢中だったけど、いつのまにか卒業していた。

どんどん、成長していくのだ。

 

まだ、1歳になったばっかりでハイハイしていた頃、私の郷里の秋田に行くことになった。

私の母を、1番上の姉さんに会わせに連れて行こうと、計画した。

母は米寿目前で、姉さんはとっくに90歳を越えている。

長男一家も一緒に行くことになって、親子4代3泊4日の車2台の旅行になった。

泊まりは、秋田の大湯温泉、湯瀬温泉で、帰りに三陸海岸に寄った。

とりあえず、楽しく旅行して無事に帰った。

帰ってきて、2ヶ月ほどで、母は体調を崩して入院し、翌年に亡くなった。

思いつきの計画だったけど、行こうと思った時に行って良かったな、と思った。

 

この旅行から帰ったあと、孫娘は保育園に通い始めた。

仕事に復帰したママと、毎朝一緒に出掛けて、ママの退勤で帰ってくる。

1日の長い時間を、保育園で過ごしている。

成長するはずである。

なんでも、お話しできる。

歌やダンスが好きで、いつも歌って踊っている。

最近は、ちょっと恥ずかしがり屋になっている。

これも、成長したしるしなのだろう。

 

私は、5歳の頃何をしていたのだろう、と考えてみた。

私の育った村では、小学校入学前の1年間だけ、保育園に通っていた。

正確には、保育園だけどみんな「幼稚園」と呼んでいた。

同じ集落の保育園児だけで、山道を歩いて登園していた。

男の子4人で、いつもいっしょだった。

保育園に入る前は、どうしていたのだろう。

母は外に仕事に出かけることもあったので、出かける前に同じ村にあった父の実家に預けた、というのを母から聞いた記憶がある。

父方のおじいちゃんは、隠居していた。

孫たちの子守りをしていたのだと、思う。

いつも、にこにこしているおじいちゃんを覚えている。

母が畑仕事に行く時は、いっしょについて行ってた。

 

孫娘は、あいうえおが読めるし、漢字をかなり読める。

ひとりで、絵本を読んだりしている。

私たちの頃は、いつ頃読めるようになっていたのだろう。

小学校入学あたりで、やっとあいうえおかな。

本を読めるのは、すごいことだと思う。

自分の頭の中で、物語を再現できるということだ。

子どもにとっては、本の中のお話と現実の自分の生活の境界はあいまいで、つながってるようなものだ。

それが、子どもにとっては大事な世界なのだと思う。

 

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