晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

根木内城趾 松戸市根木内

天気もいいし、散歩に行くことにした。

根木内城址が我が家からいちばん近い城跡である。住所は松戸市になっているが、歩いて行ける距離である。

住んでいるのは、柏市であるが、松戸市流山市との境界が近いので、次に近い城跡は、流山市の前ヶ崎城址である。これは、もう少し遠い。

はじめは、自転車がいいかなとも思ったが、思い直してゆっくり歩くことにした。

 

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自宅から、まず旧水戸街道を目指す。

二つほど、谷があるが、一つ目は向小金の森を水源とする小川が流れていた。

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右下に小川がある

二つ目の谷は、浅間神社の池はあるのがどこに流れ出るのかはわからない。小川らしきものはなく、谷底まで住宅地になっていた。

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浅間神社の池

水戸街道にぶつかり、北小金方面に向かう。右カーブで下って行くと、根木内城址の森が見える。手前には、上富士川という少し大きい川も見えてくる。

ゆっくりのんびり歩いていたが、30分で着いた。思ったよりも、近かった。

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根木内城址と上富士川

根木内城址は、松戸市の「根木内歴史公園」になっている。

公園の看板には、松戸市には戦国時代には10以上の城があったと考えられるが、当時の面影を残しているのは、ここ根木内城址と他は小金城址のみと書かれている。

城についての説明は

城のはじまり  15世紀中ごろ

築城者  原氏又は高木氏(下総国守護千葉氏に関わる武家)

城の役割  小金城の東側を守る拠点・街道の監視

城の終わり  豊臣秀吉が天下統一を果たした16世紀末

城郭の規模  東西200m  南北500m(公園の南北を含む推定範囲)

公園に進んでいくと、上富士川城址の間は湿地帯になっていて、いくつかの沼がある。今は、護岸が作られ小さな川になっているが、かつてはこの湿地帯も川だったのかもしれない。

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遊歩道を歩いて行くと城址の山道に続いて行く。

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空堀脇を登る

空堀を登って行くと、広い芝生広場に出る。かつては建物が建てられていたと思われる曲輪である。まわりは、空堀を掘ったときの土を使った土塁になっていて、広場を取り囲んでいる。

 

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広場には、根木内城址の歴史を図と写真で説明板がある。

昭和24年の写真があった。田圃、畑などの農地や湿地の中に、大きな森や小さな森が点々と散らばっている。まるで、海に島が浮いてるようだ。

城址は、現在の倍以上の広さがあったと思われる。国道6号線の建設のために、城址を北東から南西に斜めに分断された。松戸バイパス開通は昭和36年(1961年)となっている。その後、残りの北西部分は住宅開発のために完全に失われた。

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高度経済成長の時代であり、それが優先順位だったのだろう。同様なことが、至るところで行われたことだろう。

あと、20年後であればそうはならなかったかもしれない。これが、完全な姿で残っていたら見事なものだったろう。

 

 

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