晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

カラマーゾフの兄弟

カラマーゾフの兄弟」という映画を、高校生の時に見た。

たった一回、映画館で見ただけなのに、とても印象が強かった。

三人の「カラマーゾフの兄弟」を、はっきりと覚えている。

長男のドミトリィ、次男のイワン、三男のアリョーシャと、風貌も性格もまったく違う兄弟である。

そして、強い個性の父親フョードルとの親子の葛藤の物語だったと思うが、正直なところ詳しいところはあまり記憶にない。

ただ、カラマーゾフ家の料理人であるスメルジャコフの異様な感じは残っているが、当然このような映画なので何人かの女優が登場しただろうが、全然覚えていない。

 

この映画は、1969年公開のソビエト連邦の映画である。

調べてみたら、どうも日本でも同時公開されたようで、1970年のアカデミー賞外国語映画賞にノミネートされているが、受賞はしていない。

ちなみに、この年のアカデミー賞の作品賞は「真夜中のカーボーイ」だった。

ということは、私はロシア語版を日本語字幕で見たのだと思う。

街の洋画館で、普通に上映していた。

この映画が、ロシア文学の巨匠ドストエフスキーの原作によるものだとは知っていたが、私はロシア文学など読んだことはなかった。

 

この映画で、ドストエフスキーに興味を持った私は、彼の代表作と言われる作品をいくつか読んだ。

彼の作品は、どれもかなりの長編だった。

その頃の日本では、世界の文学の中でもロシア文学の占める位置は大きかったと思うが、私はその後ロシアの他の作家の作品を読むことはなかった。

ドストエフスキーと並ぶ位置にいたと思うトルストイも、読んだことはない。

カラマーゾフの兄弟」は、4回映画化されている。

1921年と1931年に、ドイツで製作されている。

そして、1958年にはアメリカのMGMが、主演ユル・ブリンナーで映画化している。

アメリカの大映画会社が、このような時代にドストエフスキーを映画化するというのは、どういうことだったのだろう。

ソビエト連邦のモスフィルムが、1969年に製作した「カラマーゾフの兄弟」が私の見た映画である。

長男のドミトリィを演じたミハイル・ウリヤーノフ、次男のイワンを演じたキリール・ラヴロフ、三男のアリョーシャを演じたアンドレイ・ミヤフコフの風貌は、今も思い出すことができる。

 

1969年という時期に、どうしてこの映画が世界中で上映されることになったのだろうか。

これもまた、不思議である。

アメリカン・ニューシネマ全盛の時代に、田舎街の映画館で違和感なくこの映画を見ていた。

それから、20年後の1991年に、ソビエト連邦は崩壊する。

ゴルバチョフペレストロイカを主導していたソビエト連邦は、内部崩壊し、結果的に15の共和国に分裂していた。

それ以前に、世界はそれまでの体制が変化しつつあり、私もニュース映像でそれを見ていた。

1991年は、三男が生まれた年だった。

 ポーランドは、1989年の総選挙でポーランド労働者統一党は壊滅状態となり、民主化が実現した。

ルーマニアも、1989年にチャウシェスク独裁政権が打倒され、民主化された。

ドイツでは、1989年にベルリンの壁が崩壊し、1990年に東ドイツの州が西ドイツに加入し、東西ドイツの統一が実現した。

目の前で世界が変わっていくのを、見ていた時代だった。

カラマーゾフの兄弟」に出演した三人の俳優は人民芸術家の称号を得るような人だったらしいが、その後どんな生涯をおくったのだろう、と考えたりする。

 

 

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