ロックの時代は、フォークの時代でもあった。
フォークロックということばもあるように、その境界はなくなっていった。
ボブ・ディランが、アコースティックギターをエレキギターに持ち変えたら、聴衆から大ブーイングがおこった、という事件もあった。
フォークは純粋で、ロックは商業的みたいな考え方と、ボブ・ディランは闘っていた。
歌い継がれる伝統的なフォークソングではなく、自分が歌いたいものを自分でつくって、自分で歌う人が現れる。
シンガーソングライターと言われる人たちが、どんどん出てきた。
英語の曲をよく聴いていたので、英語というものが身近なものになっていた。
歌詞が雑誌に載っていたりすると、歌詞を日本語に翻訳したりもしてた。
英語の曲を聴いていなかったら、英語はもっと近寄り難い別世界のものになっていたかもしれない。
その頃の日本のテレビでは、英語だけでなくフランス語やイタリア語で歌う歌手が番組に出たりしていた。
フランスのシャルル・アズナブールやアダモ、イタリアのジリオラ・チンクェッティやダニエル・ビダルなどが、日本でもヒット曲を出していたのだから。
考えてみると、ラテンやカントリーそしてハワイアンと、世界のさまざまな音楽が幅広く聴かれていて、存在感があった。
Carol King It’s Too Late
キャロル・キングは、10代から作曲家として活躍していたそうだ。
ニール・セダカの「おおキャロル」は、その頃の彼女のことを歌ったものらしい。
1970代になって、ピアノを弾きながら自作の曲を歌うパフォーマーとなった。
この曲が収録されたアルバム「つづれおり」(Tapestry)は、彼女にとって2枚目のアルバムであり、最大のヒットだった。
ーhttps://www.youtube.com/watch?v=06GRMBi4jEk
Phoebe Snow Potery Man
フィービー・スノーは、4オクターブを超えるといわれる声を持っている。
彼女の歌は、さまざまな音楽の要素をふくんでいる。
フォーク、ブルース、ジャズ、クラシックなどを感じさせ、聴いていると、別世界に連れて行ってくれる。
https://www.youtube.com/watch?v=7OxTVxGhHFM
Melanie
ギターを持ってしゃがれ声で歌う彼女は、この当時日本でもっとも人気のあった女性歌手のひとりだったと思う。
「レイダウン」、「心の扉を開けよう」(Brand New Day)などヒット曲も多かった。
この曲は、日本では「傷ついた小鳥」というタイトルで発売された。
歌詞の内容をよく知ってなかったのだが、今回歌詞を見たら自分が作った曲を変えてしまうレコード会社に対する不満を歌った曲だった。
小鳥は、自分が作った曲のことだった。
MELANIE Look What They've Done To My Song, Ma ('71) - YouTube
Laura Nyro Eli‘s Coming
ローラ・ニーロは、3オクターブの音域を持ち、ポップ、ブルース、ロックなどを混合した力強く情感的なヴォーカルスタイルのシンガーだった。
彼女は、多くのアーチストに曲を提供して、たくさんのヒット曲を生み出している。
フィフス・デメンション、ピーター、ポール&マリー、スリー・ドッグ・ナイトなどが、あげられる。
この曲は、スリー・ドッグ・ナイトがとり上げている。
https://www.youtube.com/watch?v=iX5AanHQS1g
Buffy Saint-Marie Tne Circle Game
バフィー・セントメリーは、カナダ生まれの北米先住民ミックマック族の家系のシンガーソングライターである。
日本では、映画「いちご白書」の挿入歌「サークル・ゲーム」を歌っていたので、名前も知られていた。
曲はジョニ・ミッチェルの作詞作曲だった。
映画は、大学紛争を扱ったもので、1970年に公開された。
We can’t return
We can only look behind from where we came
And go round and round and round
In the circle game
Buffy Sainte Marie-Circle Game - YouTube
これらの曲に、私は高校生の時に出会った。
フィービー・スノーは、大学生になってからだったかも知れない。