小さいころ、おじいちゃんが樽をつくるのを見ていた記憶がある。
母屋の隣にある薪小屋で、おじいちゃんは座って樽をつくっていた。
わたしは、ずっとそれを見ていた。
スギかなんかの木材を細長い長方形にしたのを、何枚もつくりそれをさらに削って曲面をつけていた。きれいに、表面にカンナをかけていた。底になる丸い板も、何枚かの板材を合わせて作った。
それから、竹を割ったもので螺旋状に束ねて輪っかにしたものを、二つ作った。
細長い板材を円形に並べて、外側から竹で作ったワッカをはめた。タガをはめる、というやつだ。
ずっと見ていて、飽きなかった。
樽と書いてしまったが、樽はフタをする保存用のものを言うらしいので、桶だったかもしれない。
冬には、ワラで雪靴を作っていた。雪靴は、ブーツ型とスリッパ型があった。ブーツ型は外用で、スリッパ型は土間用である。ワラなので暖かい。でも、暖かくなって雪がとけはじめてぬれると冷たくなる。
おじいちゃんは、母のほうの父親だったが、若い頃は国鉄の工場で樽職人だったらしい。当時は、もう隠居していた。静かで穏やかなおじいちゃんだったなあ。
母の実家は、いちおう農家だがそれほど農地を持ってなかったので、兼業していた。
母の兄さんは、営林署に勤めて山の仕事をしていた。でも、職人の血統らしく、自宅の新築だか増築だかをするときに、自分でやってしまったらしい。
日本は、歴史的に職人を尊ぶ伝統があるようだ。
鎌倉時代、室町時代には、「職人歌合」などに職人の姿絵とともに実態が残されている。
江戸時代には、大陸から帰化した陶芸、鍛治職人は士分として遇された。
「職人芸」ということばは、職人の持つすばらしい技術に使われる。
また、「匠」ということばは、優れた技術を持つ職人に使われるともに、後進の技術者に対し、技術を披露し、指導するなど尊敬に値する立場の人に対しても使われている。
ドイツに「マイスター制度」があるように、日本には「技能検定制度」がある。地方公共団体が、独自にマイスター称号を授与することも行われているようだ。
日本という国は、むやみに古いものを捨てない国だと思う。
新しいものに飛びつかないで、とりあえず今あるものをより良いものにしようとする。
それが、新しいものと古いものが混在することにつながっていると思う。
よく外国から笑われるFAXも、それなりの存在意味がある。デジタルではできない、アナログにしかできないことがある。