晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

3D映像の故郷

生まれた育った村を離れてから、50年くらいになる。

でも、何年かに一度は帰っている。

姉のところに遊びに家族を連れて行ったこともある。

親戚の葬儀とかで帰ることが多かったかな。

今年も、2月に、伯母さんの葬儀で帰った。

夜行バスで朝着いて、レンタカーを借りた。

生まれ育った村にも行ったが、私が育った頃とはまったく変わっている。

 

砂利道だった道路は、アスファルト舗装されている。

細くてクネクネ曲がっていた道路は、広くて真っ直ぐでアップダウンも小さくなってる。

だから、村が小さくなったように思える。

いかにも農家という建物は、日本どこにでもあるような住居に変わっている。

目に見える風景は、全く違う村である。

しかし、私の頭の中には50年前の村の姿がはっきりと残っている。

3D映像のように見ることができる。

 

かつての風景を思い出していると、私の村が少し他の村と違っていたということに気がついた。

 

①  村の中央を流れている川が、とても深く落ち込んでいる。

川の水面と村の地面と高さがかなりあるので、大雨で川が増水しても田んぼや村まで水があふれることがなかった。

子どもにとって、川は一番の遊び場だった。村が川で分断されていたので真ん中に橋が架かっていた。橋の下は、青々としてかなり深く、なだらかに浅くなっているので水遊びの場所になっていた。橋を通る村の人たちから子どもが遊ぶのが見えた。

その橋から、上流下流にそれぞれの何百メートルかが村の子供たちの行動範囲だ。

川の状況が、今でも私の頭の中には、箱庭のようにジオラマのようにハッキリとある。川がこういうふうにカーブしていて、その辺に深い淵がある、といった具合である。

河原には、大きな岩がゴロゴロしていた。長年の増水で削られたのか丸くなて綺麗だった。水遊びで冷えてしまった体を、甲羅干しして温めた。

上流に多目的ダムができて、大雨でもあまり増水することが無くなったらしい。そうすると、どういうことになるか。

毎年何回か、増水で洗われていた河原はそんなに草は生えない。ところが増水がないと、どんどん草が繁ってジャングル化する。

子どもの遊び場どころではない。今は、危険なので川は立ち入り禁止だろう。

 

②  村のバス停の近くに、巨大な岩があった。

6、7メートル四方で、高さは3メートル以上あったと思う。子どもの遊び場になっていた。

上に登って、周りを見渡していた。

地上に出てる大きさの何倍かは地下に隠れていると思うので、実際はどれだけの大きさだったのだろう。道路を真っ直ぐに改修した時に撤去したらしく、今はもう無い。何トンくらいあったのだろう。撤去するのを見たかったな。

そういえば、川底も一枚岩というか、つながった岩だった気がするので、そういう岩盤の上に土壌がのってるような場所だったのかも知れない。

 

③  下流のとなり隣り村にあった水力発電所のための取水口が、村の上流にある砂防ダムにあった。

その管理職員のための官舎が、ダムの近くにあった。その家の花壇には村の家にはないような、洋風な花が植えられていた。おしゃれだなあ、と思って見てた。

取水口からの水は水路を流れ、そのあとトンネルを通ってまた水路になっていた。

水がとても少なくなっている時に、友だちとトンネルの中を探検したことがある。コウモリが住んでいた。コウモリは、ほとんど見たことがなかったので、とても驚いた。

その水路は、何キロか離れた隣り村までつづいていて、山の中腹から水力発電所に流れ落ちていた。小学生の時に見学したことがある。

なぜ、水路が何キロも必要かというと、発電の際に必要な40mとか50mの標高差を稼ぐためだと思う。

いつできたのか気になったので調べてみた。運用開始が1922年、なんとまだ現役で稼働してる。私が生まれる30年も前にできていたんだ。もうすぐ、1世紀になる。

下台発電所 出力340kwとなっている。

導水路 3807.8m  有効落差 26.97m。

なるほどね。

田舎に帰るときに、建物はまだあるのは見ていた。とっくに、廃止になってると思っていた。

 

④  村の上流に、なんと銭湯があった。

村はずれというよりも、上流の隣村との真ん中辺にお風呂屋さんがあったのだ。

今、考えるとふしぎである。なんにもない所にその銭湯だけがあった。温泉が出ているわけでもない。マイカーの時代ではない、歩くしかない。

何回か、行ったことがある。山の斜面を利用して建てられていた。岩瀬川を見下ろす感じなので、確かに眺めは良かったと思う。でも、この辺りに住んでいる人にとってはあたりまえすぎて、珍しくはない。

今でも、山の温泉宿にいくとありそうなちょっとおしゃれな建物だった。本館はうえにあって、内階段を降りて行くと、湯船があった。男湯と女湯があったと思う。

とても、採算が取れたとは思えない。お金のある人の道楽だったのだろうか。

不思議である。

何か、いわれがあったのだろうが、それを知る前に私が村を離れてしまったということだろう。

 

村がどんどん変わっていってるのは、何回も実際に見ている。

それなのに、最近実際に見た光景よりも、

子どものころの記憶のほうが、はっきりと思い出せる。

 

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