映画を見に行ってきた。
エリック・クラプトンの「ロックダウン・セッションズ」という映画だ。
映画館に出かけたのは、少なくとも2年ぶりだ。
先日、柏のデパートに行った時、その向かいの建物に「キネマ旬報シアター」という映画館があるのを思い出して、今どんな感じか覗いてみた。
入口近くに、上映スケジュールのチラシが置いてあったので、手に取って見た。
なんと、エリック・クラプトンの映画をやってる。
上映作品は、1週間で変わるらしいので、あと3日しかない。
しかも、一日1回しか上映しない。
前売りが無くて、当日売りだけである。
最終の18:20からの上映なので、夕方出かけて行って、入場できなかったら悲しいので、午前中にチケット買っておく必要がある。
エリック・クラプトンの映画に、そんなに客が集まるとは思えないけれど。
そこで翌日の午前中に、柏までチケットを買いに出かけた。
天気も気持ちいいので、歩いて行くことにした。
新柏駅までは、1キロくらいで15分くらいである。
それでも、営業キロ2.9キロとなってるので、合計4キロはある。
退職前の勤め先が途中にあるが、そこまでは自転車で4年くらい通っていた。
その道を、歩いて行ったのだが、途中の住宅地で、少し迷ってしまった。
やっぱり、自転車と歩きではちょっと違う。
1時間10分くらいで、到着した。
「キネマ旬報シアター」は、柏駅の高島屋のビルにあった柏ステーションシアターが閉鎖して、それをリニューアルする形で、2013年にオープンしたものである。
キネマ旬報社が経営しているだけに、上映作品のリストを見ると、他の映画館では上映されないような作品が並んでいるように思える。
現在は、スクリーンが三つあり、「ロックダウン・セッションズ」は座席数160のスクリーン1でやっていた。
コロナ禍のため、座席は隣が空席となっていて、半数に減らしていた。
全体の中央部の席のチケットを選び、帰ることにする。
帰りは、来た道と重ならないように、南柏方向に遠回りした。
往復で、2時間40分、9キロ、14000歩の散歩だった。
夕方、再び自宅を出て、柏に向かった。
新柏駅から柏駅までは、東武線に乗って柏に着いたら、まだ少し時間があるので、駅周辺をふらふらしてみた。
かつての柏駅は、西口に「高島屋」、東口に「そごう」という二つのデパートが店舗を構えて、にぎやかなものだった。
そごうは、最上階の14階に回転展望レストランを持っていた。
丸いフロア全体が、回転しているので窓からの風景が変わっていくという、他ではあまり類のないデパートだった。
しかし、業績不振のため、2016年に「そごう柏店」は閉店となった。
現在は、三井不動産の所有のようだが、いまだに今後の跡地の利用については決定していないようだ。
駅前一等地の建物は、灯りの消えたままの状態だった。
劇場のチラシでは、この映画についてこう書かれていた。
「監督 デビッド・バーナード
出演 エリック・クラプトン スティーヴ・ガッド ネイザン・イースト クリス・ステイントン
(2021年・イギリス・89分)
ドキュメンタリー
2021年2月、エリック・クラプトンは同年5月に予定していた恒例のライブをキャンセル。ロックダウンの中で、旧知のメンバーとともに無観客でのアコースティックライブを行った。」
私が、エリック・クラプトンの音楽に出会ったのは、高校一年生15歳の時である。
今回初めて、エリック・クラプトンの生年を調べたら、1945年生まれで私より8歳上だった。
私が、彼の音楽を知った頃、驚いたことに彼はまだ23歳だった。
しかし、すでに伝説のバンド「クリーム」を解散して、次のバンド「ブラインド・フェイス」を結成している。
クリームはすでに解散していたにもかかわらず、日本ではクリームの曲がよく聴かれていた。
インターネットのない時代で、情報の伝達は遅かったのだ。
ブルースを基調としたロックということになるのだろうが、エリック・クラプトンのギター、ジャック・ブルースのベース、ジンジャー・ベイカーのドラム、そして、エリックとジャックによるボーカルは魅力あるものだった。
「無観客でのアコースティックライブ」となっていたので、コンサート会場でやるはずのライブを、観客のいない会場でやるのだろうと思っていた。
映画を観たら、まったく違っていた。
レコーディングのためのセッションを、たんたんと撮影しているという雰囲気である。
ライブのための準備を進めているように、いろんな会話をしながら演奏していく。
イギリスの森深い、貴族の邸宅のような、何十室もありそうなお城のような建物の一室で、四人のミュージシャンが、何日かかけて演奏を作り上げている。
メンバーは、三、四十年来の音楽仲間たちである。
ドラムは、スティーヴ・ガッド、音楽好きなら誰でも知ってる名前である。
ベースは、ネイザン・イースト、私が見に行った武道館や東京ドームのライブはいつも彼がいた。
キーボードは、クリス・ステイントンでエリックにとっては、大事なムードメーカーであるらしい。
気心の知れた仲間なのだろうが、3人ともエリックが何をしようとしているのか、何を求めているのか、いつも見つめている。
エリック・クラプトンが、18歳でギタリストとしてのキャリアをスタートしたのが、「ヤードバーズ」というブルースの影響を受けたロックンロールバンドだった。
しかしバンドが、ブルースからポップ志向のサウンドになり、商業的成功を目指すようになり、バンドに見切りを付け脱退している。
そして、ジョン・メイオールのブルースブレーカーズに加入している。
すぐに、このバンドも脱退し、ブルースを基調とした「クリーム」を結成する。
このセッションでも、ブルースがベースになっている。
「ピーターのために、歌おう。」と言って、「ブラック・マジック・ウーマン」を演奏した。
「フリードウッド・マック」の「ピーター・グリーン」が作ったこの歌を、エリック・クラプトンが歌うのは初めて聴いた。
「サンタナ」のヒット曲として、あまりにも有名になってしまっている。
いつも、エレキベースを弾いているネイザン・イーストがウッドベースを弾いていた。
エリック・クラプトンが、セミアコースティックのエレキギターに持ち替えた時は、ギター型の五弦ベースに変えていた。
ライブを見ているというよりも、セッションの現場に立ち会っているという感じで、時間が過ぎて行った。
音楽に関わってきた人間にとっては、音楽をできない現在は、どうしていいかわからない。
この先、どうなるのだろうか、ということを彼は言ってた。
だから、このセッションをやることにした、ということらしい。
この映画のことを調べようと、ネットを見ていたら、エリック・クラプトンがヴァン・モリソンと、反マスク、反ロックダウンの曲を発表したとあった。
いったい、どういうことだろうと思った。
欧米では、反マスクや反ワクチンを実行しようとすると、差別的な対象にされることがあり、社会的な対立につながる。
日本にいて、日本の感覚で考えては、理解のできないプレッシャーやストレスがあるのだろう。
だからこそ、将来に対する不安はとてつもなく大きいのかも知れない。