晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

くめじのはし⑥ 菅江真澄テキスト

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久目路乃橋より 秋田県立図書館デジタルアーカイブ

新町といふ里に宿かる。

いまだ日たかければ、とに出てあたり見ありく。

曳舟わたし河のむかふ岸辺は、むかし馬場美濃守のこもれる、琵琶城といふ其あと残りぬといふとき、「びはのしろ」てふことを句の下におきて、

 

そこととひあと尋ればいにしへのさまとも見えじ苔のさむしろ

 

十八日 あるじ、ひとひ、ふつかはここにありねと、ひたぶるにとどめぬれば、おなじ宿に居るに、上条村にすめるといふ、かの、しほいり氏といふ人とぶらひ来りて、小川神社は小根山村におましある神とかたりけるを聞て、

 

をね山の木々のした露ちりつもりながれ小河の神やますらん

 

十九日 けふは此郷の市とて、なにくれといろ/\のものを、やの前にならべて、かふ人さはに立ぬ。

くすし義伝といふ人とひ来て、

 

良耳の香やててらが袖にとめかねつ

 

といふ句をつくり贈りける、返し。

 

たのしざや夕がほたちは秋ながら

 

ふしたるまくらがみのさうじに何ならんと見れば、

 

「白浪のより来る糸をたてぬきに風やをるらん布引の滝」

 

といふ、うたをかいたる也。

こは、此家のあるじのおや義道とて、いみじき歌よみの侍りしが、このとしの春のころ、身まかれりけるが手なりといふもあはれに、またたく灯火をかかげて、

 

布引の滝のしらいとくりかへし見るに袂の沾れもこそすれ

 

二十日 しんまちをたち上条村を過て水内村に到る。

みたにのそこ行水は木曾路川、梓川、高瀬河、みな此犀川一筋に流れ入て、さかしき岩山にせまり、たぎり落くる水は、はなだをまとふがごとし。

其ときこと箭のごとく、みなは、さかまき落しきる処を弥太郎が滝とも、みのちが滝ともいふ。

さばかり大なる川川ひとつにおち入たる水の、ふかさ、いくそばくぞやあらんに、筏ふたたたみ、のりくだすが、しばしは棹もとらで力繩といふものを頸よりかけて、筏を滝より、まくだしにくだし、みなそこに落入りかくろひぬ。

やをら、こと淵にうき出たるを見るさへ身の毛もいよだつに、なりたるわざとて、やすげにのりくだしたるは、世にたぐひなき高名の筏士なりけりと、見る人手をうちて、ややとあきれたり。

猶行すゑを見やりつつ、

 

雨にきるみのちの滝の早きせにふらでも濡てくだすいかだし

 

この水内のたひらといふ処に、健南方富彦神別神社のおましますとなん。

けふはそのかんがきの、かんわざなりとて、よさり奉る火ともしのうつは、手ごとにもてまうづる人多し。

かの犀川の岸つたひ桟ありて、いと大なる立岩をめぐりて曲橋をふみぬ。

この橋は西よりひんがしに渡り、又おし曲て南をさして渉し、そのかたちは、たくみ等が曲尺てふものにことならず。

此名、久米路のはしともこれをいふとか。

〔天註--此はしは東西五丈四尺、南北十丈五尺、広一丈四尺〕

むかし白きましら、おのが腰に藤かづらをひきまとひ、高きしよりつと水をとび、それをたつきに、よりより渡りしをはじめにて、くだらのはし作りが造りしとなん。

さりければ、ことさへぐから歌の家には、白猿橋と、くしにも作りけるとなん。

水ぎは、しばしあがりて、岩つらに棚のごとく簀がきして、それにのりて鯉鱒とるといふ。

又秋より末は、まち網といふものをさげて鮭すくふといふところを、はるかに見くだし、うかがへば、きたみなみの高岸の岩に、橋ばしらを、いくらともなう、ななめに立て造りぬ。

此橋のなかばにたちて見返れば、高やかなる巌のうへに、ささやかなる鶏栖、木のなかにあり。

これなん飯繩の神の祠ありといふ。

かくてはしわたり得て、右の岩のうへより河の面に、細く落来る水を不動が滝とて、涼しく音し、四方のやま/\しげりあひたる木々のたたずまひ、この山河の水のありさま、橋のことなるおもしろさ、いかばかりつくり絵に工なる人のうつしなすとも、をよぶべきかは。

 

「たよりある岸の岩間にかげとめてすぐにわたさぬやま河のはし」

 

と、嘉元百首のうちに為相卿よみ給ひしも、此橋と人のいふ。

はた

 

「埋木は中むしばむといふなれば来目路の橋はこころしてゆけ」

 

とも聞えたり。

又伊奈郡に、久米といふ処に行もはしあり。

いづれをさだめてんかし。

このはしのもとにやすらへば、旅人も、きましりいこひて、不動滝の水むすびあげて、時うつるまでここにあそびて、いざといふころ、みちのかたはらの石にかいつけしうた。

 

むしばむと聞こそ渡れこともなくふみて久米路橋は来にけり

 

工等が水のすみなは長きもていかに曲れる山河のはし

 

こよひは、田野ロといふ村に宿かる。

廿一日 鳥坂、深山などいふ処をへて、長谷村にいづ。

ここなる観世音の堂は、いにしヘは長谷ノ神社にこそありけれ。

治田神社は稲荷山村の本町てふ処に、いま下の洲輸をうつし奉り、桑原といふ村にも亦治田のやしろにして上の須羽をまつり奉るといひ、八幡村なるは武水別の神社也。

若宮村のかんがきは更級神社にこそあなれ。

千本柳、戸熊などいふ処をへて、河辺づたひに姨棄山を見やり、去歳のぼりし処なれば猶ゆかしう、いと近ければ、めもはなたず舟にのる。

ここは埴科郡也。

 

くれぬ間をなぐさめかねつ更級や姨捨山の月おもふとて

 

しも戸倉といふ村にとまりて、この暁の月の、ひまもりたるを見んとて窓の戸おし明て、鏡台山を見つつおもひつづけたり。

〔天註--鏡台山は紀のいも山、せやまのやうに、ふたつならびたり。それに月の出て、山と山とのあはひにあれば、猶、鏡かけにかがみのあるがごとなれば、山の名におへり〕

 

乙女子がむかふかがみのうてな山すがたあらはに峰の月かげ

 

おき出んといふとき月うちくもりてければ、相やどり人、枕もたげて、夜はまだふかけん、およれとてふしぬ。

 

見し夢はとりの鳴音にさそへども閨のとくらくあけぬあきのよ

 

 

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