昨年の2月ごろに、「銭形平次捕物控 野村胡堂」という記事を書いた。
青空文庫には、「銭形平次捕物控」が第1話から第376話まで、収録されている。
作品リストを見ると、第320話以降は番号が欠番になっているのが多い。
記事を書いた頃は、第50話くらいを読んでいたと思うが、現在読んでいるのは第227話「名画紛失」である。
いいペースで読むこともあれば、途中で何週間か遠ざかってしまうこともあるが、最近また読み始めている。
一年とちょっとで、200話以上読んだことになる。
テレビで毎週放送するとすれば、4年くらいの内容になる。
父親がテレビの時代劇が好きだったので、私はよく一緒に見ていた。
「銭形平次」は、映画やテレビでいろいろな俳優が演じているらしいが、私にとっては大川橋蔵である。
大川橋蔵主演の「銭形平次」は、フジテレビが1966年から1984年まで、なんと888回放送されたという。
私が父親とテレビを観ていたというのは、1970年代から1980年代なので、「銭形平次」の中期から後期になるだろう。
野村胡堂による「銭形平次捕物控」の原作は、1931年から1957年まで長編短編あわせても383編ということなので、テレビドラマの半分以上は原作にないも独自の脚本だったと思われる。
「銭形平次」は、テレビで大川橋蔵が演じる前に、映画では嵐寛寿郎や長谷川一夫も演じていた。
テレビでも、TBSが若山富三郎や安井昌治主演で放送していた。
平次の脇をかためるのが、女房の「お静」と下っ引の「八五郎」である。
テレビでは、「お静」が、初期は八千草薫、鈴木紀子で、その後香山美子となる。
「八五郎」は、最初のシリーズだけが、佐々十郎ですぐに林家珍平となっている。
この一年以上、「銭形平次」を読んでいると、自分の頭の中でドラマが進行している。
私の頭の中のドラマの配役の顔は、どうもこれらの役者の顔とは違うような気がする。
平次も、お静も、八五郎も、やっぱり違う。
野村胡堂さんが書いた文章から、自分が受けとって、頭の中でつくり上げている。
銭形平次だけではなく、小説はそういうものなのだろう。
読む人それぞれに、違う世界が見えるのではないかな。
小説の世界には時代小説というジャンルがあるが、そのサブジャンルとして、伝奇小説、剣豪小説、市井小説、股旅物、そして、捕物帳がある
伝奇小説は、中国の伝奇小説にならって、時代背景や実在の人物を借りながら、架空の人物を登場させたりするものらしいが、吉川英治の「三国志」などはこれになるだろうか。
架空の人物はどうなのかわからないが、登場人物の行動や発言などは、本当のところは不明なことが多いだろうから、作者の創作なのだろう。
剣豪小説は、宮本武蔵や佐々木小次郎など実在の剣豪を描いたものもあるし、「眠狂四郎のように架空のものもある。
市井小説は、職人や商人、下層の人たちを主人公にしている。
山本周五郎の「さぶ」という小説を読んだことがあるが、これは経師屋で働く若者を描いていた。
股旅物は、渡世人や侠客を主人公にしていて、国定忠治や清水の次郎長を描いたものが代表的であるが、テレビ放送していた笹沢左保の「木枯らし紋次郎」もある。
そして、「銭形平次捕物控」は、捕物帳である。
捕物帳は、主に江戸時代を舞台に、江戸市中でおこる様々な事件を、江戸町奉行所の与力や同心、彼らから十手を預かる岡っ引きが解決していく。
捕物帳は、岡本綺堂がシャーロック・ホームズの影響を受けて、「半七捕物帳」を執筆したのだが、現代物だと西洋の模倣になりやすいので、江戸時代に設定したのだそうだ。
その後、佐々木味津三が「右門捕物帖」、野村胡堂が「銭形平次捕物控」を書き、この三作が三大捕物帳と言われる。
さらに、陣出達朗の「伝七捕物帳」、城昌幸の「若さま侍捕物帳」、横溝正史の「人形佐七捕物帳」もあるし、池波正太郎の「鬼平犯科帳」は、さいとうたかをのコミックの原作となっているが、これも捕物帳だろう。
「銭形平次捕物控」を読んでいると、平次と八五郎の掛け合いは、まるで落語である。
落語のような会話をしながらも、血生臭い事件や欲のからんだ盗みなどを解決していく。
やはり、落語にはならない。
そういう人が、江戸の街を舞台にした話を書いている。
銭形平次を読んでいると、たぶん他の捕物帳ではあり得ないことが、ときどきある。
平次は、事件の犯人がわかっていても、捕まえないことがあるのだ。
犯人がわからなかったことにしたり、さりげなく逃がしたりする。
それができたのは、彼が奉行所の与力や同心ではなく、岡っ引であったということがおおきいかも知れない。
野村胡堂には、「銭形平次捕物控」を執筆するにあたって、こだわる原則があったらしい。
できるだけ明るい健康的な作品ということは、平次と八五郎の関係に現れているだろう。
そして罰することだけが犯罪の解決ではない、ということがある。
特に、加害者が被害者でもあったことが、事件につながっているような同情の余地のある場合である。
江戸時代の刑罰は重く、死罪や島流しになることが多い。
あと100話ほど、残っている。
楽しみながら読むことにしよう。