晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

菅江真澄の足跡

菅江真澄は、天明8年(1783年)に、30歳で郷里三河を旅立っている。

そして、それから46年後の文政12年(1829年)に、秋田にてその生涯を終える。

菅江真澄は、その間に多くの著作を残している。

その紀行文、又は日記にはやはり多くの図絵を含んでいて、私たちはそれによって、真澄が見ていたもの、感じていいたものを知ることができる。

その間に、真澄は郷里の人たちと手紙によって連絡を取り合っていた形跡はあるが、三河に帰郷した記録はない。

 

真澄は、江戸時代後期のひとであるが、その頃の人にとって自分の生まれ育った土地を離れて旅するということはどうのようなものだったろうか。

江戸や京へ行くことは、あり得たかも知れないし、伊勢参りもあっただろう。

しかし、出羽国陸奥国は、はるか遠い異国だったのではないだろうか。

まして、蝦夷地は幕藩体制の範囲外にあっただろう。

ロシアが蝦夷地の周辺に出没し、脅威を与えていた。

真澄は、その蝦夷地でも四年もの長い年月を過ごしていた。

ただの風流の人ではない。

 

内田武志氏と宮本常一氏が編纂した「菅江真澄全集」は、全13巻からなっている。

そのうちの、4巻が日記であり、いわゆる紀行文である。

さらに、4巻は秋田藩の依頼により、調査作成した地誌である。

日記の内訳は、次のようになる。

 

信濃  1783年5月〜1784年7月  

   「いなのなかみち」、「わかこゝろ」、「すわのうみ」

越後  1784年7月〜9月   

   「くめじのはし」      

庄内  1784年9月      秋田  1784年9月〜1785年8月  

   「あきたのかりね」、「おののふるさと」

津軽  1785年8月〜10月

   「そとがはまかぜ

陸奥  1785年10月〜1788年6月

   「けふのせはのの」、「かすむこまかた」、「はしわのわかば

   「ゆきのいさわべ」、「いわてのやま」

津軽  1788年6月〜7月

   「そとかはまつたい」

蝦夷地  1788年7月〜1792年10月

   「えみしのさえき」、「ひろめかり」、「えぞのてぶり」

   「ちしまのいそ」

下北  1792年10月〜1795年3月

   「まきのふゆがれ」、「おくのうらうら」、「まきのあさつゆ」

   「をふちのまき」、「おくのてぶり」、「おくのふゆごもり」

津軽  1795年3月〜1801年11月

   「つがろのおく」、「すみかのやま」、「そとがはまきしょう」

   「ゆきのもろたき」、「つがろのおち」、「つがろのつと」

   「にしきのはま」

秋田  1801年11月〜1829年7月

   「ゆきのみちおくゆきのいでわじ」、「しげきやまもと」

   「ゆきのあきたね」、「すすきのいでゆ」、「にえのしがらみ」

   「うらのふえたき」、「おがのあきかぜ」、「みかべのよろい」

   「かすむつきほし」、「おがらのたき」、「にしきぎ」

   「とわだのうみ」、「ひなのあそび」、「ひおいのむらぎみ」

   「おがのはるかぜ」、「おがのしまかぜ」、「おがのさむかぜ」

   「のきのやまぶき」、「かつてのおゆみ」、「つきのおろちね」

 

これが、全集にある日記の全てである。

このブログに掲載しているのは、まだ初めの3編である。

真澄の長い旅は、はじまったばかりである。

 

 

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