えみしのさえき
この福山(北海道松前郡松前町)の西なるちかゑぞのほとりに、太田(久遠郡大成村)といへる、いとおもしろきいそやまのありて、わけのぼりし人は、めでくつかへりてかたりきこゆれど、島ののりいつくしうして、ゑぞがちしまを、旅人などの、みだりに見ありくことのかたければ、いかゞとおもひわびためらふに、くにめぐるすぎやう(修行)者、そみかくだやうのともがらは、しのび/\に行まうづるなど人のいへれば、われもそれにたぐえいきなんと、おもふどちにうちかたらひ、そのまふけして、(寛政元年-一七八九)うづき十九日、夜べよりの雨なごりなう晴て、あすはものにまうでんと、近どなりなるみてらにこのころ来ける、いでは(出羽)のくに、むらやま(村山)の郡ちとせ山の麓にすめる雲みづ(水)のすけ(出家)、超山といふほうしのおはしたるにこのことをいへば、われもいざなひてよ、こはよき友こそあなれとうけひさだめて、かりねしたる竜雲院を出で衣祁布(えけぶ-松前町生符町)に至り、ひるねの床の夢もまばゆきころ下国(松前藩家臣)の門に音なひ入て、れいの人々のまどゐにけふもくれて、夜ひとよかたらひ、とりの鳴づるころ、わかれの盞とりめぐらすをりしも、つぶね、かどのとよりしはぶき来て、文子のおほんもとよりこれまゐりたりとて、ふみなんもて聞え給ふ。
かげさらすおもふこゝろのそふぞともしらで山路をひとりわくらん
とぞありける歌の、返しつかうまつる。
たつきなくわけ行友と身にそへん君がこと葉の花をかざしに
過つる、やよひのはじめにありつらんかし、遠つ蝦夷人のつとにもてわたりたりし、理氐武耆(りてむぎ)てふ、かだまやうのものを贈せ給ふにそへて、
きみにけふいざ贈りてむ木々の枝の花こき入る籠にもなれやと
かくのたまひたるに、
こぎ入てとく帰りてんきみがため見ぬ山くまの花のさかりを
かゝる返しをなん奉りたることありしを、いまおもひしなどかい聞え給ひて、
こぎ入て帰るさをまつ旅衣たち行みちの花の色香を
この返し、せうそこにこめて奉る。
ことの葉のあかぬいろ香の又もそへ帰さのつとに花しをくらば
やをら、しぬのめの空也。
二十日 けふのわかれのつらさ、いかばかりならん。
この朝びらきのおかしさ、友なひゆかまほし。
山路は花の盛ならんなどかたらひて、あるじ季豊の、
きのふまで円居し人もこよひよりいづこのくさに夢むすぶらん
とありしかば、
くさ枕かりねの床にこよひよりけふのまどゐのゆめやむすばん
さゝき(佐々木)一貫の、
たが里にかたらひすともおもひ出よ余波おしみしけふのまどゐを
とぞ聞えつる返し。
なにくれとかたらふまにもおもひ出んあかぬなごりのけふのまどゐを
あるじすゑとよ(下国季豊)のはらからなる季政、この砌の桜さかり近きをさへ、など見捨て、とくはいでたちけるぞなど、うらみ聞えて、
咲花のうつんはぬまに人ぞまつはやくも来ませまどゐして見ん
この返し。
このやどにとく帰来てまどゐせん花も日数もうつろはぬまに
さらばとて出たゝんとせりけるに、かねて、こといひかはしたれば、かのほうし、旅よそひしていでませりけるをともなひて、すゑとよ(季豊)、くにつら(一貫)のぬしたち、近きいそわまで送りしてんとて、さゞえ、かれひけなどもたせ、ずんざ(従者)ども、ひとりふたりして、こゝにいこひ、かしこにたゝずみ、いそづたひして、野はらの草のうへにすゑとよ、たたう紙おしひらいて、これなん、よんべかいつけしをとて見せける。
暁にきつゝ起行旅ごろもとくたちかへれ人はひくとも
この歌の返しをす。
たび衣ひもかさならずとくきなんこゝろひかるゝながめありとも
くにつら、とりあへずいひつげり。
花もやゝ咲そめにけりけふよりはいくかながめて君をまたなん
とありける返し。
行ほども浪かけ衣たち帰り来て花さける宿をとはまし
すゑとよの、
かたらひし面影と見てなぐさまんいまいひのこす人の言の葉
といへる返し。
あなたのし花の言の葉花のやまひとりわけ行なぐさめにせん
あさ日さしかぎろひたる海のうへ、いと長閑に海狗(トド)嗚わたり、菫咲芝生の雲雀こゑ/″\にあがり、みちのくの春は、この卯月ともいはんか。
雉子のたえて音せざりけるは、うべ、此島にすまざりけることのしられたり。
立石野(タテイシノ)といふ原に出たり。
藤巻石といふ石あり、かゝる石どものたてるより野の名とも呼ならし、いつの頃ならん、藤のいと多くはひまつはりたりしとぞ。
ふぢが枝の花こそあらねきしなみのたつをむかしの面影と見ん
下処坂(オリトサカ)をくだり小都久志那為(コヅクシナヰ)の河わたり、大都久志那為の河わたり、鳥子湾(トリコマ)といふ磯にいづ。
むら立るこゝらの岩の中に、はたひろばかりの石たてり。
この石の末に、鶏の居たるやうに、石のをのづからかたちなれり。
むかしは雌もならび居たりしかど、あら浪にうちとられたるなど人のかたるを聞つつ、尼府多(ネブタ)(根部田)といふ磯やかたに来けり。
衣祁布(エケフ)(生符)よりの路は一里やきつらんに、はやこうじたるなど、紫菜(ノリ)ほしたる莚のかたはらにみな休らひ、かくて差通万衣(サツマエ)(札前)の浦のやかたになりぬ。
村はしに渡海明神といふ神、舟にのりて立おはしませりける。
そのかたはらのほぐらのうちには、いををむねにかゝへてたゝせ給ふ、事代主(エミス)の神のみかたしろも、あやしう造り奉る。
村のをさ太郎左衛門といふが家に入て、人々けぶりうちくゆらせて、なにくれとかたるに、やゆのくまなる大臼の、くちふりたるを、こは、いくばくの年へたらんとうち戯れたるを、あるじのめ聞て、わが家には、まだとしふりし物あり、見せまうさんとてとうだしたるは、島をりの、あらたへの衣なり。
あるじの翁は、七十にいまふたつといふが、ものがたりして、見たまへ、とし/″\の夏ごとにきふるし、いくたびもきよめ、きのふ、かくあらはひをしてをさめたり。
この衣はむかし、此島の長者安兵衛といへるあき人のもとより買ひたりける、梁瀬仁兵衛がもとより、ふたゝび一貫二百のあしにかへたりと、女、手をひし/\とをりて、あが十七になりける春ならん、もゝとせに十とせたらぬ翁(オツコ)の話聞えたり。
われ、としすでに老て七十になりき。
そのころより、とし/″\きよめきて、百とせあまりとしへ侍りつれど、露ばかりやり行ことも侍らず。
いかにも命の長き薄衣なりけるよとて、からうづ(唐櫃)の中におしかくしぬ。
ものゝことぶきは、はかられざるものかなといひもて、安可加美(赤神)といふ浜やかたに来る。
しら神のいそ(松前町白神崎)あるにたぐえて、こゝに、あか神やおはし給ふ浦輪にてあらんか。
いでは(出羽)の国牡(男)鹿の島ベの赤神とは、ことならんとか。
神ぬしらがこゝにうたふ神歌に、
「しら神をこい紅にそめいだしあか神たりといはひそめけん」。
ほぐら(祠)のうちを見れば、ちいさき石の臼ひとつをあがめ祭る。
こは、科野(信濃)の国伊奈(那)の郡にある、臼杵のみやどころにたぐえてんかし。
この山おくに蝦夷がいはやといふあり、おもへばなびく風や吹らんと、家隆のながめおき給ふたるも、さんべき処をいふにやとおもへど、みち遠く、はた羆(ひぐま)のあらぶる山なかなればとて、えいかですぐ。
さいだつ男、こゝにいはれこそあれ、朱なる巌を本妻石(モトメイシ)、芝生に埋れて浪うつきしべなるを妾石(ヲナメイシ)といひ、おとこ石は浪にしづみて侍るなど、ゆへありげにをしへたり。
こゝらの立石どもに波うつさま、ことなり
磯の浪くだけてたぎつしらいとのよるなみかゝる岩のたかけむ
小島といふがいと近う、浪のうへに牛のふせるがごとく、大嶋とやらんは、ひがさの形して、けぶりつねにたえず。
此けぶりのいくむすびたちなびくを見て、風はいづこより吹きく、なに風など見やる。
おきべに雁の一つらはる/″\と帰るを、
行かりのつばさやぬれん沖つせの浪もひとつにこじまおほしま
雨垂(アメダレ)石をへて、毛久左(茂草)てふ浦の館にわりごひらき、ものくひ、なかやどして、伎与部(きょべ-清部)に来けり。
加母知(かもち)といへる小河の、雪解の水かさ増て波いや高う、人の手に扶られてからくして渡り、衣良万地(えらまち一江良町)といふやかたに行つかれぬ。
こうじたらばこゝに宿りね、いざ別なんとて、すゑとよ。
いましばしわかるゝ旅のみちのべに帰るたもとぞ露けかりける
かくありたりしかば、
あすよりはたより夏野のつゆしげみぬれて分なんたびの衣手
となん返しす。
くにつら。
たびごろもたちわかれては帰るさを日数かさねて夢にむすばん
とある返し。
ゆめにそれと見るほどもなみ旅衣日数かさねてたち帰りこん
いつまでかくありて名残つきんや、かへりなん、とく/\帰り来てなどありける。しばしのわかれながら、しかすがにこゝろうけくて、いにける門のとにさしいでて、おもひつゞけたり。
君にかくつけてしもがな花もなみやまわけごろもぬれて来ぬると
この歌、あや(文)子の御もとへまゐらせたうびてよと、季豊、一貫のぬしにわかれて、こゝなる喜兵衛といふがもとに泊もとむ。