我が家は、子どもが男3人である。
ということは、女性は妻だけである。
私は、ずっと妻といっしょに台所に立つようにしてきた。
子どもたちが小さい頃から、できるだけ台所に立たせるようにした。
自分が食べるものくらいは、自分でできる人間になって欲しかったからだ。
人が作ってくれるのを、座って待ってるだけには、なってほしくなかった。
私の母と同居していた時期があったが、台所に母が孫と並んで何かやってる姿の写真が何枚か残っている。
私の父は、私が小さい頃、炭焼きをやっていた。
炭焼きというのは、炭用の木材のある山の中に、炭焼き窯を作る。
そして、窯と一体化して、寝泊まりのできる小屋を作ってあった。
炭というのは、木材を不完全燃焼させることによってできる。
燃焼させてしまったら、灰になってしまう。
だから、何日も泊まりこんで、空気の調整をして不完全燃焼させる必要があった。
父は、食べ物を自分で用意して、食べていた。
姉と二人で、山道をずいぶん歩いて、父の炭焼き小屋に行ったことがある。
わたしが小学校低学年くらいだと思うので、逆算すると父は30代前半くらいだと思う。
緑に囲まれた炭焼き小屋を、覚えている。
父はそういう生活を、何年くらいしていたのだろうか。
そのあと、何年かして出稼ぎ生活を始める。
詳しことは聞いてないが、北海道の山仕事は厳しかったというのは聞いている。
タコ部屋といっても、今は死語かもしれないが、そんなことも言っていた。
東京オリンピック前の、高速道路の建設現場にもいた。
トヨタ自動車の季節作業員みたいなこともやっていた。
食事が提供されるようなところもあっただろうし、自炊するようなところもあったと思う。
父は、自分の食事は自分で用意できる人だった。
だから私も、子どもの頃から母が仕事でいなければ、自分で適当に食べることはしていた。
我が家の子どもたちが、小学校低学年から幼稚園くらいの時、私と息子たちで夕飯を作ることをやっていた。
週末に、お母さんは食事を作らなくてもいいよ、という日があった。
どんなものを作っていたのか、具体的には思い出せない。
書くのが好きな末っ子が、「○○△レストラン」と名づけてメニューを作っていた。
その甲斐あって、必要になれば3人とも、何か食べたいものは自分で作れるようになっている。
それが関係あるのかどうかはわからないが、それぞれに飲み物にとても興味を持つようになった。
長男は、コーヒーに興味があって、コーヒー関係の資格を学生時代に取っていた。
次男は、日本茶に関心があって、三男は紅茶だった。
だから、我が家では、コーヒー、紅茶を飲んで、最後に緑茶になったりする。
退職してから、自由な生活になった。
私は、結婚してから、食事の準備はいっしょにやるようにしてきた。
妻は、今でも時々働きに出たりするので、私が台所に立ってることが、さらに多くなった。
買い物も、私が一人で行くこともあるし、妻が休みだったら二人で行く。
夕飯のメニューを考えている。
二人だけだったら、何でもいいやと思うかもしれない。
今は、息子が同居しているので、そんなわけにもいかない。
でも、もともとが好きなので、楽しんでやってる。