「大草原の小さな家」をみていた頃、「北の国から」も見ていた。
「北の国から」は、リアルタイムではなく、再放送を録画して見ていた。
友人に、「北の国から」は、とてもいいよ、とすすめられたからだ。
たしかに、おもしろかった。夢中になって見ていた。
1981年から1982年にかけて、24話放送されている。
ずいぶんと評判になったドラマなので、つい誰でも知ってるような気がしてしまうが、当時でも、視聴率は10%台、最終回で20%を越えたらしい。
その後のスペシャル版になって、少しずつ視聴率が上がっていった。
高視聴率といっても、10人のうち2人見てる計算である。言い方を変えると2人しか見ていない。しかも、40年も前の話である。
いくら、評判だ、人気だといっても、映画もテレビもそういうものだと思う。誰でも、知ってる訳ではない。
このドラマの脚本を書いた倉本聰氏は、1974年に北海道に転居し、1977年に富良野に移っている。
東京で育ったという倉本氏にとって、なぜ北海道だったのかという気はする。北海道の冬は、大変だったんじゃないのかな。
北海道富良野出身の、田中邦衛の黒板五郎が、妻と離婚して、純と蛍という二人の子どもを連れて東京から富良野に戻ってくる。
父親の五郎は、東京の生活に馴染めず帰って来るが、二人の子どもたちもなかなか富良野の生活に馴染めなかった。
私の記憶によればドラマは、純のモノローグで始まる。たしか、東京にいる同級生の女の子への手紙のかたちになっていたと思う。
不器用な父親と2人の子どもが、富良野での生活で成長していく様子を描いていた。
放送終了後は、数年ごとにスペシャル版が放送されている。
子どもたちは、父親のもとを離れて自立していく。
2002年の8回目のスペシャル版で製作終了になった。
スタートから、20数年経っていたので、純と蛍は30歳前後で、ドラマは終わったことになる。
私などは、純と蛍が小学生のかわいい頃から見ているので、その後テレビなどで見ても、成長を見守る視線になってしまう。
ずっと同じスタッフで作っていたので、スタッフの高齢化と長期ロケによる高額な製作費のために製作が困難になったということだ。
連続ドラマとスペシャルでの出演者のリストを見ると、壮観である。
亡くなってしまった人も多い。もう、40年経ってるんだ。
大滝秀治、地井武男、大友柳太朗、小松政夫、伊丹十三、蟹江敬三。
倉本氏にとって「北の国から」は、ライフワークなんじゃないかな、と思う。
製作はできなくなっているが、倉本氏のインタビューや発言によると、彼の中ではドラマの構想はずっと続いているようだ。
純と蛍だって、50歳になる。田中邦衛さんは、88歳だそうだ。
いつか、それが実現するだろうか。
連続ドラマもスペシャル版も、その時に一回しか見ていない。
だから、記憶が曖昧なところもある。
もう一度、見返そうという気になれない。
音楽だったら、何回でも聞けるのに。
ドラマや映画って、見返す気になれない。
そういうのは、自分だけなのかなあ。
再放送があっても、見ないと思う。
その時の、一瞬、一瞬がだいじなのかもしれない。