私が生まれる10年以上前に、亡くなっている。
松はみな枝垂れて南無観世音
分け入つても分け入つても青い山
炎天をいただいて乞ひ歩く
鴉啼いてわたしも一人
生死の中の雪ふりしきる
木の葉散る歩きつめる
私は、俳句については、誰でも知ってるような、芭蕉や蕪村や一茶くらいしか知らなかった。
山頭火の句は、私がそれまで考えていた俳句とは、全く違うものだった。
五七五や季語というものにとらわれてないし、もっと自由で自然なものだった。
俳句というものは、何か頭をひねらないといけないものだと思っていたけれど、山頭火の句は、そのままに受けとめればいいものだった。
旅の途上にある山頭火が、見たもの、感じたもの、考えたものがある。
しかし、山頭火の句は、それをそのまま、読む人にあずけられる。
踏みわける萩よすすきよ
この旅、果もない旅のつくつくぼうし
へうへうとして水を味ふ
落ちかかる月を観てゐるに一人
ひとりで蚊にくはれてゐる
山の奥から繭負うて来た
笠にとんぼをとまらせてあるく
歩きつづける彼岸花咲きつづける
まつすぐな道でさみしい
山頭火は、「波乱に満ちた生涯」を送った人である。
彼の生涯について、それほど読んだり知っているわけではないが、簡単な略歴を読んでみる。
幼くして、母親は自殺する。
その後父親と酒造場を経営するが失敗し、父親は失踪し、一家離散する。
40歳を過ぎて、妻と離婚し、出家する。
観音堂の堂主となり、托鉢の生活を続ける。
憧れていた3歳年下の漂泊の俳人尾崎放哉の死を契機に、法衣と笠に鉄鉢を持って、行乞しての句作の旅に出る。
ほろほろ酔うて木の葉ふる
しぐるるや死なないでゐる
水に影ある旅人である
雪がふるふる雪見てをれば
しぐるるやしぐるる山へ歩み入る
食べるだけはいただいた雨となり
わかれきてつくつくぼうし
彼は、80年前に亡くなっている。
とても昔の時代の作品である。
彼の句には、それまでのいろんな思いが込められたものであろう。
でも、古くさいとか、時代の流れを感じさせない。
彼の苦闘さえも、違いところにあるように思わせる。
むずかしい言葉は使われていないし、表現もひねったりしていない。
このような作品には、私は今まで会ってないように思う。
また見ることもない山が遠ざかる
れいろうとして水鳥はつるむ
百舌鳥啼いて身の捨てどころなし
どうしようもないわたしが歩いてゐる
すすきのひかりさえぎるものなし
分け入れば水音
すべつてころんで山がひつそり
雨の山茶花の散るでもなく
けさもよい日の星一つ
すつかり枯れて豆となつてゐる
つかれた脚へとんぼとまつた
枯山飲むほどの水はありて
法衣こんなにやぶれて草の実
旅のかきおき書きかへておく
岩かげまさしく水が湧いてゐる
あの雲がおとした雨にぬれてゐる
種田山頭火という俳人を知ったのに、その後私は他の方の俳句を知ることもなく、今に至っている。
彼の句のいくつかは、いつも私の中にあって、ときどき浮かんできていた。
他の方の句をよく知らないのに、言ってしまうのはどうかと思うが、彼の句は誰でも受け入れられる何かがあると思う。
どうして彼は、こういう句を生み出せたのだろう。
没後80年ということで、著作権の問題はないと思うので、いっぱい引用してしまった。
秋となつた雑草にすわる
こんなにうまい水があふれてゐる
年とれば故郷こひしいつくつくぼうし
岩が岩に薊咲かせてゐる
水音といつしよに里へ下りて来た
しみじみ食べる飯ばかりの飯である
まつたく雲がない笠をぬぎ
酔うてこほろぎと寝てゐたよ
また逢へた山茶花も咲いてゐる
うしろすがたのしぐれてゆくか