長年、多くの本を買い集めてきたのだが、今は手元にほとんどない。
最近になって、もう一度読んでみたいなと思う本がある。でも、とっくに絶版になっている。
角川文庫の「現代詩人全集」である。明治から昭和まで、全10巻で、神保光太郎、伊藤信吉、村野四郎、鮎川信夫の四氏が、編集解説していた。近代1〜4、現代1〜4、戦後1〜2。これを、高校生の時に全巻揃えていた。今考えると、全巻揃えようとするのもたいしたものである。
高校卒業後、横浜に引っ越す際に行方不明になってしまった。
そのころの私の好きな詩人は、中原中也だった。絵が見えるような、音楽が聞こえるような彼の詩にひかれていた。すべてを説明しようとしない、余白のある表現方法である詩や歌などが、私の好みにあっていた。
いつ頃から詩を読み始めたのか考えてみたら、中学生の時に、詩の一節を引用した作文を書いたことを思い出した。たぶん、自分の将来についての作文で、高村光太郎の
「僕の前に道はない
僕の後ろに道はできる」
を、使った。
先生から、これを読んでるのか、と言われた。
現代詩人全集は、明治初期から戦後までの百年間の日本の詩人を網羅したものだった。それを1960年代、昭和30年代から40年代になるころに文庫本で発行したことは画期的なことだったじゃないだろうか。
その中には、まったく名前を聞いたこともない人、名前だけは知ってる人、名前はよく知ってるけど詩を読んだことはない人など、さまざまだった。50年経った今なら、どういうふうに読めるのだろう。
第一巻の最初の詩人は、たしか北村透谷だった。この人は詩を書く人でもあったのか、と思った。いかにも、明治のはじめの文章だった。
島崎藤村のような有名な人の有名な詩も、これを手にしなければ、読む機会がなかったかも知れない。
歌人としてしか知らなかった石川啄木の詩も、この全集ではじめて読んだ。「ココアのひと匙」で、石川啄木の違う一面を知った。
「はてしなき議論の後の
冷めたるココアのひと匙を啜りて、
そのうすにがき舌触りに、
われは知る、テロリストの
かなしき、かなしき心を。」
そして、いまでもいいなと思う、とても印象的な詩。
戦後編の茨木のり子さんの「私がいちばんきれいだったとき」
「わたしがいちばんきれいだったとき
街々はがらがらと崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした」
と、はじまって、次のように終わる。
「わたしがいちばんきれいだったとき
わたしはいちばんふしあわせ
わたしはとってもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった
だから決めた、できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように
ね」
戦中戦後を生きてきた女性がこの詩をかいた。
ユーモアと前向きな明るさを、高校生だった私は感じていた。