晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

スタンド・バイ・ミー

スタンド・バイ・ミー」という映画があった。

映画館ではなく、テレビで見たと思う。1986年らしいから、子育て中だったな。

映画の内容は、よく覚えていない。

ただ、四人の男の子の少年時代を描いた映画として記憶している。

そして、四人の少年が線路を歩いているシーンとベン・E・キングの同名の主題歌だけが、強く印象に残っている。

四人の少年の中で、一番カッコよい少年だったリバー・フェニックスが、その後人気俳優になって、人気絶頂の時に若くして亡くなったのも知っている。

 

 

スタンド・バイ・ミーは、誰でも知ってるようなロックのスタンダードナンバーだった。

すでに、ジョン・レノンもロックのカバー集「ロックンロール」で歌っていた。

ロックというよりは、リズム&ブルースになるかもしれない。

リバー・フェニックスの死因は、ヘロインとコカインの過剰摂取ということである。

23歳くらいだ。これからという時だったのに、もったいないなあと思った。

アメリカという国は、クスリと飛行機事故で、多くの若いスターが亡くなっている。

 

この映画が紹介されるときは、だいたい四人の少年が線路を歩いてるシーンだ。

それを考えていて、私も線路を歩いていたことがあると思い出した。

このブログでも書いたことがあるが、森林鉄道というものがあった。

国有林の木材を輸送するための鉄道が、村の中を通っていて、我が家の何十メートルか前に線路があった。

森林鉄道の線路は、ほとんど車道と並行して走っていた。

そんなに運行本数は多くないので、線路を歩いたりもした。

線路のレールに耳をつけて、列車が近づいてないのを確認して、線路や鉄橋を歩いていた。

鉄橋は、長さはたいしたことなかったが、高さはかなり高かった。長さは30メートル、高さ20メートルくらいかな。

無理して鉄橋を渡らなくても、車道を遠回りして歩けばいいのだが、男の子の冒険だったんだろうな。

鉄道は、そのうちに廃止になったが、レールはすぐには撤去されずにそのままだった。

 

学校への通学路は、途中から山道を使っていた。

村から、車道をそのまま歩いて学校まで行くと1時間くらいかかった。

村から車道を5分くらい歩いたところで、山道に入ってゆるやかな山越えすると30分くらいで学校に着けた。

その山道を、幼稚園から中学校卒業まで10年間通った。

私の村の同級生は、男の子四人だったので、幼稚園から春夏秋冬ずっと通った。

山道なので、冬の大雪の後などは雪山登山だった。

 

幼稚園の頃のことで、覚えていることがある。

幼稚園といってるが、正確には保育園の年長の1年間である。

幼稚園からの帰りに、四人で山道を歩いていて、巨大?なヘビに遭遇した。

アオダイショウだったと思うが、とても大きかった。

幼稚園児が四人で、真剣に話し合った。

こんなに大きいヘビは、たいへんなことだから、幼稚園の先生に知らせたほうがいいんじゃないか。

結局、幼稚園に知らせにはもどらなかった。

ヘビもいなくなったし、まあいいか、ということだったのかな。

 

通学途中の川で、サワガニとって遊んだこともあった。

雪山で、ランドセルをソリにして滑ったりもした。

小学生の頃は、男の子四人で誕生日会をしていたこともあった。

 

映画「スタンド・バイ・ミー」は、ホラー小説の 大家ステーヴィン・キングのホラーではない短編が原作なんだそうだ。

 

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