旧水戸街道は、萬満寺の山門の前で、道が大きく曲がっていた。
馬橋宿は、萬満寺の門前町だったらしいので、松戸宿と小金宿の間にある休憩のための「間の宿」としては、ちょうどよかったのだろう。
国道6号線と合流した街道は、JRの線路と五、六十メートくらいに近づいて並行して続いている。
「東京から20km」の看板があった。
国道6号線の起点は、日本橋らしいからそこから20kmということかな。
しばらく歩くと、JR北松戸駅の入り口である。
また歩き始めると、国道から旧街道が分岐する表示板が遠くに見える。
国道がやや斜め左に、旧街道はやや斜め右に分かれる。
国道は、ここから松戸市街から離れていく。
斜め右に分岐する道は、松戸の中心部である市役所や松戸駅方向への近道なので、今までもよく利用していた。
まさかこの道が、旧水戸街道の本道だったとは知らなかった。
10分ほど歩いてゆくと、左側に古そうな神社があった。
「雷電神社」となっている。
この近辺では、「雷電神社」というのは、見かけたことがない。
南柏で、「東電神社」というのはあったし、「別電神社」というのもあったな。
この道はかなりの回数車で走ってるはずだが、この神社にはまったく気がつかなかった。
「雷電神社」というのは、関東地方を中心に全国に点在するが、群馬県板倉町にある雷電神社が関東地方の総本社格であるらしい。
鳥居をくぐると、その先に参道のとても急登の階段がある。
階段を登ると、こじんまりとした古びた社殿があった。
狭いながらも、気持ちよく整備されている。
小高いところに、富士塚があって「浅間神社」の石塔が立っている。
まわりは、溶岩のような岩で造られていた。
もしかして、富士山の岩だろうか。
先ほど登った階段を降りようとしたが、かなり見事な下りである。
街道に戻って、歩き始めると、街道はJRの線路にぶつかる。
その手前に信号があって、車道は左に角度を変える。
信号を渡って直進すると、旧街道は歩道橋となって線路を渡る。
どうも、鉄道の建設によって水戸街道はここで分断されたようである。
あと数百メートルで松戸駅のはずで、松戸宿も近い。
歩道橋を降りて、松戸宿への街道を歩く。
200メートルほど歩くと、左側にまた古そうな神社がある。
街道脇に「金山神社」という立派な石塔が建っている。
そこからだいぶ奥まったところに、JRの線路を跨ぐ歩道橋があるのだが、その上り口の両側に、なんと石造りの燈籠がある。
歩道橋が参道になってるようだ。
この神社もまた、鉄道によって分断されたのだろう。
面白そうなつくりなので、寄ってみたい。
ところが、時間はすでに正午をまわっている。
目的地の松戸宿そして松戸市立図書館本館も近い。
だいぶ疲れてもいるので、金山神社はまたの機会に訪ねることにしよう。
さらに歩いて、交差点で千葉県道5号線を渡る。
これは、「流山街道」で、流山、野田、そして関宿で、利根川を渡り茨城県まで続く。
もう松戸宿の通りだと思うが、あまりそういう風情は残っていない。
松戸駅前通りにぶつかったので、松戸市民劇場がある角を右に曲がって、松戸市立図書館本館に向かう。
坂川に架かる一平橋を渡ると、松戸市立図書館本館である。
松戸市立図書館本館は、5階建てビルのすべてが図書館の施設になっている。
1階 こどもとしょかん
2階 一般書・雑誌
3階 資料・CD・新聞・閲覧コーナー など
4階 閉架書庫・事務室
5階 学習室
こんな、感じになっている。
今日の私の図書館訪問の目的は、最近続けている外国人による日本訪問記とか日本滞在記のような著作を探すことである。
図書はとてもきれいに、整理されていて、探しやすい。
ただ、一般書について言えば、それほど開架書庫は広くはない。
5階建てのすべてといっても、松戸市の中心部にあるビルなので、それほど面積はない。
私の目的の図書を見つけることはできなかった。
紀行文の類は少なかったし、外国人によるものはほとんどなかった。
閉架書庫については検索してみなければ、ならないだろう。
松戸市の図書館は、多くの分館を持っているので、市内での蔵書の状況も考えた方がいいかもしれない。
今は、どこの図書館の蔵書も取り寄せしてくれるサービスがあるということを、どこかの図書館のポスターで読んだ。
目的地のものがあるのなら、そういう方法を選ぶべきかもしれない。
でも、図書館に出かけてたら、思いがけないものに出会えるのかもしれない。
図書館から200メートルほどで、江戸川の土手に出るので行ってみることにした。
松戸市立図書館の利用カードを作ろうと思っていたのに、忘れてしまった。
借りるべき本が、なかったからかな。
江戸川の土手に出て、眺めてみた。
江戸から松戸に、江戸川を渡ると言うと、「矢切の渡し」を思い浮かべてしまうが、それは水戸街道の渡しではない。
矢切は、松戸の今いるところから、4キロほど下流にある。
水戸街道の渡しは、現在私がいる地点から数百メートル下流に、「金町松戸関所」が設置されていて、渡し船もそこにあったということだ。
江戸川の河川敷に降りてみた。
この辺りの河川敷は、とても広くなっている。
二百メートルほど上流に、樋野口排水機場という、坂川の支流の水を流し込む施設があるので、行ってみた。
排水機場前の土手には、川の一里塚というのがあるので、登ってみた。
石造りの常夜燈があって、説明の石板があった。
その説明によると、どうもこの辺りは松戸河岸であったらしく、外輪船の客席のための明かりだったらしい。
ということは、明かりが必要な夜も運行していたということかな。
一里塚の向こう側に降りると、大きな石碑が立っているので行ってみた。
この排水機場についての石碑のようである。
しかも、石碑の説明のための石碑まで建っている。
流山と松戸を流れる坂川が氾濫して大変だったので、新しく水路を掘ってこの排水機場から江戸川に流すようにしたらしい。
石碑の内容は、次のとおり。
「坂川の疏水工事は江戸時代後期の文化から天保年間にかけて、流山市鰭ヶ崎の名主渡辺充房(庄左衛門)ら親子三代苦難と長い年月により整備された。しかし、明治の中頃から長雨がある度に二十あまりの村々は水浸しになり治水対策に苦労を重ねていた。
明治39年に古ケ崎に排水機が設置されたが、小規模であったため効果はあがらなかった。そこで、あらたに、樋野口に排水機の設置を計画し、明治四十二年六月に完成した。
この排水機の完成によって、長年にわたる水害が解消され、田畑からの収穫も倍増し、人々は安心して生活できるようになった。」
なるほど、こうゆうことだったんだな。
流山と松戸を流れる坂川の流域は、土地の高低があまりなく、どっちへ流れるのだろうという感じである。
人の手を加えなければ、江戸川のような大きな川に流れ込まない。
坂川(さかがわ)って書くけど、逆川じゃないのかなって、気もする。
帰りは、JRの電車で帰ることにする。
久しぶりの松戸駅まで、のんびりと歩いて行く。
市民劇場の交差点を直進して、駅に向かう。
右に曲がって街道を進めば、松戸宿のゆかりのものがありそうだった。
松戸神社近くに陣屋口橋という、橋もあるということだ。
また、次回にしよう。
駅近くになって、古いお煎餅屋があったことを思い出し、探してみた。
ずいぶん昔に、せんべい好きの妻と買いに来たことがある。
二坪くらいの狭い店で、おじいさんとおばあさんで、やってたと思うけど、まだあるだろうか。
あいまいな記憶を頼りに歩いていて、やっと見つけた。
10枚入りを一袋買って、妻へのおみやげである。
10時頃出発で3時頃には自宅についた。
万歩アプリは、2万5,000歩ほどだった。