先日、図書館をふらふら歩いていて、ある本のタイトルにあれっ と思って借りてしまった。
「電子図書館・電子書籍貸出サービス 調査報告2014」電子出版制作・流通協議会 著 となっている。
「電子図書館」ということばに反応してしまったのだ。この言葉を、よく目にしてたのはいつ頃だったろうか。
この調査報告は、タブレット端末やスマートフォンの普及や電子書籍点数の増加による読書環境の変化に対し、図書館はどのように対応していくかという観点から行なわれたことが、その「まえがき」に書かれている。
「まえがき」では、いくつかの問題が簡潔にまとめられている。私が、もっとも興味を持ったのは次の文章である。
「知の利用としての図書」や「学術情報の共有」の観点と出版ビジネスは長い間、デリケートなバランスを保ってきた。それが2000年代初頭、著作者や出版社が公共図書館を「無料の貸本屋」と呼んで批判したことで、このバランスを明確に崩してしまった。
確かに、書籍販売の低迷の要因の一つに、公共図書館での貸出数の増加をあげたい気持ちはわからないでもない。
電子書籍が充実していけば、来館せずに貸出・返却が可能になり、ネットですべて完結する。図書館にとってもスペース・コスト面でメリットが大きい。
しかし、現実には、電子書籍の比率をかなり上昇させなければならない。
著作権保護期間内にある著作については、著作者を保護しつつ、著作者、出版社、公共図書館、そして利用者の利益を考えていかなければならない難しい問題である。
私は、著作権保護期間が終了した著作について、もっと公的な取り組みが必要だと思う。
すでに、国立国会図書館をはじめとして、多くの公共図書館が、所蔵資料の電子化を進めてる。
しかし、その多くは、画像データとしてコレクションしている。
確かに、研究者や専門家にとっては、画像データで資料そのものを扱えるのは有益であると思う。
しかし、一般の人たちにはどうだろうか。
著作権保護期間を終了した著作は、国民にとって、財産である。
一般の国民がその財産である著作を手軽に扱えるようにすべきだと思う。
「青空文庫」を知ったとき、私はとても感激した。
そして検索してみたら、他にもすでに個人的に古典的な著作をテキスト化していた人たちがいっぱいいた。
最近、それらのサイトを見てみたがほとんどはリンク切れになっていた。
今は、特別な電子書籍でなくても、単純なテキストやhtmlファイルでもタブレットやスマホのアプリが最適な読書を可能にしてくれる。
テキストファイルはデータ量も圧倒的に小さい。
著作権保護期間終了の著作(これを古典といってもいいと思う)を、公的な取り組みとして、テキスト化を進めたらどうだろうか。
青空文庫はすばらしい取り組みであると思う。
しかし、すべての時代や著者を網羅しているわけではない。
個人的な努力だけに頼らず、すべてを統合した形の、古典の電子図書館を作ってほしいと思う。
その電子図書館にアクセスすれば、古典はなんでも、タブレットやスマホで読める。
そういうことを、想像している。