七日 あしたの空うちくもり、軒の梢に蜩の集く。
たなばたのうれしからましあしたよりいのり日くらしもろ声にして
ふたつ星にたいまつるふみ。
「秋風やゝふいて、けふは、ふん月七日にぞなりぬ。
われも此里にたびごろもきなれて、あひ見ぬ星合の空をあふがんことは、銀河に通ふ、うき木の亀にもたとへつべう。
あくるを待て、うなひら、ちいさきかたしろのかしらに糸つけて軒にひきはへ、くれ行空をまつに、身のけそう、きよらによそひたちて、めのわらは、あまたむれつどひ、さゝらすりもてうたひごち、こよひや、ほしをいさめ奉るならん。
ねぐらにかへる、むらがらすも声うちそへて、くれ行空にはねをならべて、橋をやつくる、とくとくといそぎわたりぬ。遠かたの高峰の、余波なう暮初て、星ひとつ見ゆるやとおもふを、山口に、あまの河波いまやたちわたりなん。もみぢのはしのかゝるうれしさと、世中のおもひにたとへて、あまつ空までおもひやりぬ。
こよひやこゝろ安河の、浪しづかに立かよひ、へだてぬなかや淵ならん。
五百機のをりをりあらぬ逢瀬は、神代のむかしにや、つらくも契りおきけん、せちなるためしにこそあらめ。
これや手酬の琴の音つれだに、ゆるしたまはぬ一とせのつらさ、ぬる夜の数やすくなかるらんなど、あまたゝびずして人々空のみあふぎ、こよひの手向にとて、から歌、やまとうたのこゝろをつくして、此月のけふのこよひのいまや、世中の人、をそりみかしこみ、ふたつ星ををがみたいまつるならしと、あまの河なみ、ひんがしにたちながるゝ空まで、まどゐしたり」
いたくもみぢしたる、はじの枝を、人のたぶけしとき、
天の河わたらん星に手向ぐさ是やもみぢのはじの一もと
歌あまたあれど、しづたまき数にもあらぬ、あがのは、みなもらしつ。こよひ、人のながめしをのせ、あが歌一くさのせたり。
たなばたのまれに逢夜も更行ば又こん秋や契おくらし 直昇
天の川空にあふせを棚機の幾秋かけつ波のうきはし 攻員
たなばたのたがはぬ中の契とてかけてむかしも今もかはらじ 吉女
逢夜半の空なつかしみたなばたの契れる中や楽しかるらん 富女
七夕風 直堅
折にあひて松吹風も星合の手向の琴に通ふ涼しさ
七夕雲 永通
たなばたのつもる思の言の葉やかたり残らんよこ雲の空
七タ霧 備勝
立のぼるあまの河霧秋風に晴てこよひはほし合のそら
七タ月 秀推
幾千代の歌の契と銀河月すみ渡るかさゝぎのはし
八日 夜半より、れいの音ひゞくに起出てその方をのぞめば、きのふよりもまさり、はたへの山を越えて、五月斗の雲のいや高ふ涌出るがごとく、画かくとも筆の及ぶものかはと、人ごとにになうめでて見やれど、そのはとりには小石、おほ岩を、はるけきみそらにとばし、風につれて四方にふらしむるにうたれ、やは、ほねものこりなうくだかれ、あるは埋れ、にげ出る人いのちうせたるは、いくそばくとも、はかりしらざるなど、よりくる人は、此ことのみぞいひあへる。
浅間が岳の煙は、不二にならびて、いひはやすならひなれど、こたびは、又なきためしといひさはぎぬ。
ひるつかたよりいよゝまさりて、なる神のごとく、なへのふるかと山谷ひゞきわたり、棚のへいぢ、小ばち、ゆりおち、かべくづれ、戸さうじ、うちはづれ、やも、かたぶく里もありけるとか。
このあたりはいと高き山里なれば、なりどよむ音も、うときやうなれど、ひきき国はど、わきて音高うひゞきたるにや。
国々のつかさつかさより、あゆみとうする馬して、この音はいづこにやと、岐岨の御坂のあたりまで尋ね/\至り給ふは、日ごとに、くしのはをひくよりもしげしとなん。
九日 三溝隆喜にいざなはれて、二子といふ処にゆく。
野良は、もゝくさのひもときわたしたるに、陀都麻といふ草花いと多く、月草の色に咲みちたるは、たとへつべうもあらず、はなだのむしろしけるがごとし。
はみものとぼしきとしは、このくさをつみて、かてとしてくらふ。
だつま菊は、吾妻菊ならんかし。たかよし何となう、「花のいろはうつりにけりないたづらに」と、ずして、此歌ほど、にもんじの多かりけるはあらじといひ出るに、うちたはれがてら、折句のうちに、四の、にもじをおきてながめたり。
たねはいかにつきせず野べにまかなくにくる秋ごとにさきとさくらん
槲木坂といふあり。
嫁入の女、この坂こゆることいみて、ことみちを行となん。
いかなるゆへにや。雨のふり出れば、大なるその樹のもとに休らひてんとて、
神の在すかげにやどらん柏木の葉もりの雨によしぬるゝとも
山賤、狩人のかうぶりにつくり、寒さしのぐ赤綿といふ草の、いま花盛なるを折て、これに歌よめといへれば、もと末の上と下とにおいて、ふたくさを、
あき風の吹にし日より身に寒く頼みし草を人もかりしか
わが袖のあさな夕ぐれさむければかりてねなまし野辺に今はた
小俣といふ村につきぬ。
大和なかがしがやの屏風におし、似雲法師の手にて、
「岡萩行かへり露もおかべに咲萩の花すり衣家づとにせん」
「泊鵆 身にしみてわすれんものか浪まくらあかしの浦に千鳥なくなり」
この法師、むかし此あたりを通られけるにや、おかしきながめどもの、ところどころにかい残たり。
神戸村なる丸山たれがやは、いづこならん。
あらぬかたにみちふみしといへば、かたまに岩魚、鰍などとり入たる女、われもこのいをうりに、そのあたりまでゆけばとて、さいだちてゆくをあないにまかせつつ、此もて行、いをの名どもを戯れ歌に作る。
さして行みちこそしらねしるべしてそこといはなん何かしかやど
かくて、共やどにしばしかたらひて、やをら二子村にいたる。軒の林ごとに、くつくつほうしいと多く鳴たり。
こゝには、つくつくほうしといふ。歌に、
「をみなへしなまめき立る姿をやうつくしよしと蝉の鳴らん」
といふも、このことにこそ。
この夜、因信がやにいねたり。