廿五日 やをいづ。
むまやのをさなる根沢なにがしがやに、しばらく尻かたげしてものかたらふに、あが遠つおやは甚平といひてたけきものゝふにてありつる世に、君の御鷹それ行たるをあやいづこまでもと追めぐりて、みのゝ国の山中にていきつきはてゝ、たヾ空をまほりてほとともにしにうせ侍る。
くはしくは其郷の記見えたり。
この頃武蔵国八握の翁とてひげいと長き人の、としは七十にあまるが、たをやめ一人をぐしてこゝにしばらくいこひて、これかき給ふとて見せける。
「おもひかねつれぬるうなひめもしのべ手がひのたかやいぬのむかしを」
こゝを尾花が崎といひてさくらいと多くあるひきゝ岡なり。
県の御司とし毎の能うへさせ給ひて、盛なるころは見給ふとなん。
小黒河といふありけるに、
せきとめてたねやまくらん小山田のをくろの河の水あせにけり
小出嶋の西なる山際に犬房丸の墓あり。
むかし曾我殿夜討はてゝ、時致に縄をかけていでたりしを、祐経が子なる犬房まろ、扇にて五郎がつらをしたゝかにうちけるを君見たまひて、武士のふるまひにあらじとて、貞永のころとかや、こゝにながされ給ひしが、つゐにこのところにて身まかりけるとなん。
寺に犬通院殿覚翁常輪大居士としるしのこりぬ。
唐木といふ処に水のながるゝを青木のしみづといふ。
行人けふのあつさよ、夏のこゝちすとて水むすびてすぐる。
見し花のいろさへ今はなつ木立青木のしみづかげをふかめて
天の中河をわたりて外嶋邑に行。
飯嶋何某がやにとまる。
廿六日 とのしまをたちてしばらくくれば、貝沼が原といふあり。
いとひろき野にてあゆみもつきじ。
真菰が池といへるは、たかむらの中へむかしかり人をしのおどりを火矢にてうちはたし、ほどへて又めどりをころしたるに、そがはねのしたにいとかはきたる鳥のかしらありけり。
おもへば、あがむかしかしらうちおとして鳥のむくろのみもて来りしを、此めどりのしたへてかくならんと、むねうちさはぎて身の毛いよだちて、そのわざやめててらを造りぬ。
鴛鴦山東光寺とよぶ。
こゝも貝沼里也。
古き歌に、
「日暮ればいざとさそひし貝ぬまの真菰がくれのおしのひとりね」
下野国阿曾沼の池にもこのふる事あり。
いづれをたゞしとやいわんと、ある書に見えたり。
をし鳥のおのがなみだもふるごとの真菰が池にひかれてやこし
桜井の森といへるを見つゝくれば、この杜の松みなふたまたにわかりたるはいはれありといへり。
世にことなる松がえなり。
春深きいろこそ見ゆれ花はいま散てさびしき桜井の杜
いとよき水のながるをくみてをれり。
さく花の色こそなけれむすぶ手に匂ひはふかし桜井の水
けふは駒が嶽も雲がゝりて見えざりけり。
しら雲のたな引ひまの駒がだけしばしとゞめよなぐさめにせん
高遠にいたる。
左に三峯川のながるゝを見つゝむかふ方は御城なり。
名を甲山といふ。
山本勘助のつくりたるといへり。
西はさかしき山々、甲斐駿河信濃のかぎりよるわかるゝゆへ三峯河とはよべり。
御城は青やかなる木々のなかよりあらわれておかし。
さくらが馬場などいふめる処を過るに、みなちりはてゝ其いろもなき梢あまた立ならびたり。
ひんがしにちいさき山のあなるあなたより小鳥むら/\と立いづるはいかに。
うちはぶき鳴やあらたか遠つ世にしゝまき声のさはぐ村鳥
此夕、井野岡何某といふ神司の家にやどる。
あるじなにくれの物語りしけるに、いにしへ世中しづかならざるころ、小松重盛きみの甥ぎみ刑部大輔なにがしのうし、此山おくにかくれ住給ひしとなん。
処をまへうらといふ。
いまも太刀、鉾、よろひなど持つたへ侍ると、ところのものかたりき。
昔家七ツありしが、はや五十あまりにて、人もたやすく行がたき道にて、なか/\おそろしき山里也けり。
廿七日 鉾持の御社を拝ミ奉る。
やね三ツありて、伊豆三嶋箱根、文治のころよりあがめ奉るといへり。
露雫社のしたゝり嶋となる栄をたのめほこもちのかみ
みぶ河を見つゝくれば、いと長きかけはしに手だすけありて、かたへはさかしき岩むらにて、河ぎし高くはげしくおそろし。
なかばに橋ありて、こゝをのぞむはうすき氷をわたるこゝちして、木曾路に見たらんよりはあやうし。
井野岡氏こゝまでおくりす。
またといひてわかれぬ。
はるけき山のいたゞきに、大なる石のまろきがおちかゝるべく見ゆるを、小?石といふ。
水の面に菰のながるゝを見る。
みちのくのとふならねども三峯河にねこじながるゝ水のわか菰
あし沢を過て仲壺の左を六道原といふ。
文月七日、地蔵祭とてちいさき堂に人多くあつまりてをがみけると、処の人かたりぬ。
こゝは安太師野山といふ古き名処也けり。
名寄のうたに、
「よとゝもにたのまれぬかな信濃なる名に立にけるあたしのゝ山」
笠原といふ村あり。
いにしへの牧にや。鶯の鳴けるを、
花はちりぬ何をかざしの笠原やぬゑてふ鳥の来つゝ鳴らん
卯ノ木村にいたりて、うの花のかきねありければ、
いまだのこる雪とこそ見れ春かけてさくや卯の木の里の柴がき
駒ケ嶽いとよく見えたり。
此山は春近ノ庄上穂村の西なり。
まさしき名処にはあらじ。
寛永のころ余田の城の主脇坂淡路守安元のうしとやらん聞えし、箕輪の陣屋に一夜とゞまり給ひてよみ給ひしといふ歌、
「尾も白しかしらもしろし駒が岳かんの御よさにゆきのはやさよ」
此夜は三日町にとまる。
不動祭とて高岡の御堂に人々あまたまうづ。
此ものにまいるともし火、夕ゐる螢のごとくつどひぬ。
みちの左右には男まくり手に眼をいからかして、あしいだしてかちまけをわざにてこくしいくらもともしたり。
こゝを見てくだりてふしたり。