晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

あきたのかりね② 菅江真澄テキスト

十六日 つとめて中山といふ処をへて矢引といふ山阪の路のぼりて、家ひとつあるにものとへど、さらにこたふる人もなく、柱につなぎたる猫のみ、ねう/\となきてけるわびしさに、まへなるあぐらに遠方を見つゝいこへば、かりがねの聞えたるをあふぎて例の戯れ歌を、

 

   行鴈よしばしはとまれ人はゐしやきの邑の名になおそれそ

 

来る里のやの棟に、うしぐら(牛鞍)といひて、かたそぎのごときものをあげたるは、浜風にぞとられぬ料なる。

かゝるなみ風あれけることは、近き日、ぬす人をとらへて海にうち入たる、そのしかばねを浪のゆりいだしけるまでの空、かくあれにあれて、よき日いでこじといひ、又山おくより樵木いだすとて、あまた山川にうち入て水をとゞめおきて、さと、きりはなてば、此よどみたる水にさそはれて、あまたの木を里のめぐりまでいざなひ来けり。

そがため神に雨いのるとも、旅人のくち/\゛にさたしたり。

片貝のとびつき松といふあり、下つ枝は五葉、上の朶は二葉の木なり。

木のもとによりて、

 

   めづらしな世に見んこともかた貝の実はたが植て五葉二葉に

 

大谷、水沢を過て?屋(栃屋)といふ里に至りて、過し日別たる良瑞といへるすけ(出家)にまみへんとて常林寺に入て、こよひは此寺〔禅寺〕趣にいねたり。

戌の時ばかり、ふしたる扉の音なひもなく、月のかげさし入るまま、枕上のまどおし明れば、月の山(月山)もいと近きところにて月のおもしろかりければ、

「月の山くもらぬ影はいつとなく麓のさとに住人ぞしる」

ずしてあふぎ、又ふるさとをおもへば、ときの間に空かきくれかぜ吹起りて、神なりひかりて、おどろ/\゛しきけしきにふしたり。

十七日 きのふの空にひとしければ、いでたゝず。

とらひとつ(午前四時)ばかり空きよらかに晴て、月のすさまじくてれるに、月の山のいたゞきに雪のしろく見えたりけるを、

 

   ふりつもる雪にてりそふ月の山かげ猶さゆる暁のそら

 

十八日 ていけ(天気)よしとて、いで立んとすれば時雨ふり来て、ゆふべ近う風ふき又雨頻ぬ。

十九日 けふは中のせく(節句)也とて、やごとに祝してあそぶ。

三九日(みくにち)をいはふためし也。

風なごみたるまゝ此寺をいでんとすれば、風いたくざはぎぬ。

ほたきや(大焚屋)の翁のいはく、過つる日加茂といふ処の沖にて、みたり、つりしたりけるふねくつがへり、二人しに侍りき、そのあれならんか。

手を折て、けふは未也けり。

きのふより、つちに入てけるゆへにこそあらめ。

しばしはかゝる空ならんといふに、又ふり出たれば雨づつみして、あるじのぜじ(禅師)は、月忌とて法の行ひに出行給へば、いとまいはで別れて大山の里(鶴岡市)に至る。

こゝなるみやしろこそ椙尾の神と申奉るならめ。

このあたりのはまにて箭根石(石弩)ひろふといへるは、いにしへよりしかり。

又時雨ふるに、

 

   いたづらに空はしぐれて杉尾の社の梢はいろもかはらず

 

あられうちし、風とく吹ぬ。

 

   旅人の菅の小笠やみのゝ袖あられたばしる杉尾の浜

 

鶴箇岡にいたる。

いにし、さがみの国つるが岡辺の八幡の社をうつしまつるゆへとも、義家のうし(大人)ちゞ(千々)のつるに、こがねのむかばきさせてはなち給ふが、此岡にむれあさるとて、さる名の聞えしともいふと里人のかたりぬ。

里とみ栄えて、海山のもの持出てうる、日毎の市なり。

あきあぢ〔秋味也。鮭の塩引をいふ。こは、いでは、みちのおくにてよき味に舟行しなといふより起れることばなり〕かんとう〔木の実の名也〕かぶなし〔梨子のかた蕪に似たり〕笹飴〔さゝの葉にのせたるあめをいふなり〕あきなふ中に、やちもたせ〔谷地藻菌とか、やちもたけなら〕といふくさびら(茸)をうる。

これなん、がつぼの根に生ふるといへり。

がつぼは真菰草のたかきやうなるもの也。

あさかの沼のはなかつみといへるくさにて、がつぼとも、がづごとも、がつきともいふところあり。

此里中の人市といふ処を越て、七日町やどつきたり。

なにくれ、ものうりありくを聞つつ

 

   岡の名のつるにたぐえて是も又ちとせを呼ふ市のうり声

 

あるじのもの語を聞ば、この里の開口寺、又岩本といふ村のみてら、此ふたところに、越後の国野積の山寺にて、

「墨絵にかきし松風の音」

とよみ給ひてけるにひとしき、いきぼさち(生菩薩)もおましませりと聞えたり。

こはみな、木の葉、草の実をくひものとしてをはりをとりて、なきがらのみ世にとゞめたる也けり。

しかはあれど、弘智大とこには、をよばざりき。

又云、ちかき里のいはほのかたひらに、四寸のみちとていと細き路を行ほど、一町あまり過て里あり。

こゝより、さらに通ふべきかたなきとか。

その辺につな渡りとて、いとゝき谷河のかなたこなたに網引かけ藤かづらをわがね通して、山賤ら、柴、つま木など、くらま(鞍馬)のふご落しにひとしく、まづこれをおろしやりて、そがあとに、かのわがねたる藤かづらにしりかけて、うたうたひ越けるは、なりたるわざとて、からきおもひも見えざりけるとぞ。

 

 

 

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