手賀沼がどうして、印旛郡なのか。不思議でならないので、いろいろと調べていた。
市役所の情報コーナーで「柏市史」を見ていると、柏市の中で印旛郡となっている地域が、幕府領であったことがわかった。明治17年時点で、根戸村新田、呼塚新田、柏堀の内新田、柏中村新田、松ヶ崎新田は印旛郡に所属する、となっている。
旗本とは、なにかということになる。旗本は石高200石以上であり、200石未満は御家人である。もちろん大名は、10000石以上であり、随分と違う。
一石は一俵である。私は、農家の出なので、俵で言うとピンとくる。一俵は60kgである。俵を持ち上げられれば男として一人前であるというのは、染み付いている。大したものである。
10合で1升、10升で1斗、10斗で1石である。
日本では、一食米1合と言われ、1日3合と言われていたので、1石は1000合で、333日分の消費量となり、だいたい人間一年分の食料となる。かなり、アバウトだけど。
時代劇で、何人扶持などというのが出てくる。何石なので、何人の家来を養えるだろうという計算だと思う。
肝心の、なぜ印旛郡であるのか。
やっぱり、手賀沼干拓事業が絡んでいるようだ。江戸幕府は、私有地に隣接した土地でも利用していなない土地は幕府のものとする政策をとっていた。そして、幕府の事業として行った干拓によって生じた土地は幕府領となり、印旛郡に所属となったようである。手賀沼の干拓も江戸時代にたびたび行われた。しかし、失敗に終わることが多かったようだ。そのほとんどは、明治維新以降に成果を見ることになった。