晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

映画のカチンコの存在理由がわかった

車を運転して、ラジオをぼーっと聞いていた。

音楽を聴いてることが多く、ラジオはあまりかけない。

そしたら、「アレサ・フランクリン」という名前が聴こえた。

アレサ・フランクリンを知った高校生の頃、彼女はリズム・アンド・ブルースの女王と言われていた。

そのうちに、リズム・アンド・ブルースは、ソウル・ミュージックと言われるようになった。

たぶん、同じものだと思う。

彼女は、2年前に亡くなっている。

 

話題は、1972年のライブアルバム「アメイジング・グレイス」についてのものだった。

この音楽アルバムは、世界で300万枚のヒットになっていた。

記録映画も、翌年に公開されるはずだったのだが、公開できなかった。

その理由が、映像と音響を一致させることができなかったからだったという。

ほんとに、そんなことがあるのか、と思う。

この頃はまだビデオの時代ではないらしく、映像と音響は別に記録していた。

映画なら、カチンコがあって、これで映像と音響のスタートを一致させる。

ところが、このコンサートは、教会で行われたものでそんなものはない。

どうしても、ピッタリと一致させることができなかった、ということらしい。

よっぽど、そういうことに厳しい方が担当していたのだろう。

それが、ようやくデジタルの力で可能になって、映画を公開できるようになった。

5月28日から全国順次ロードショー公開ということで、番組で紹介していた。

 

映画のカチンコは、いろんなところで目にしていた。

単に、これから始まるよ、という合図だと思っていた。

そんな、理由があるとは思わなかった。

考えてみたら、映画は、映像と音響は別なんだよね。

やろうと思えば、映像と音響を同時に記録できるだろうけど、それだと余計な音が入ってしまう。

今でも、アフレコで、後からセリフを入れてるって、聴いたことがあるような気がする。

テレビドラマではないかもしれないけれど、劇場映画ではありそうな気がする。

 

小学校、中学校の頃、毎年学校で、映画上映会をやっていた。

体育館の窓に暗幕を張って、舞台にはスクリーンを下げる。

中央後部に机を置いて、映写機を設置する。

映写用のフィルムを何巻かあって、途中で交換していた。

一巻でどれくらいの時間だったろうな。

映写用フィルムを見たことがある。

フィルムにはもちろん映像が目でも見えるように収録されている。

その映像の脇に、音響用トラックという模様みたいなのがあった。

オプティカルサウンド」というやつで、音を光学的な信号に変換して記録・再生する方式のことをいうらしい。

映画の映像と音響は、同じフィルムに記録されて再生されるということなんだ。

それで、映画のサウンド・トラックなんだ。

なるほどね。

 

ということは、無声映画からトーキーになった時点で、その技術ができていたんだ。

光学的に、映像と音響をひとつのフィルムに記録して再生する。

ビデオカメラは、磁気的に変換してるんだろうが、実用化はもっとあとになる。

まあ、今はデジタルの時代になってしまってる。

人間は、いろんなすごいことを考えて、作って来たんだな。

 

 

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