晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

くめじのはし③ 菅江真澄テキスト

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来目路乃橋より 秋田県立図書館デジタルアーカイブ

この神のことも、とはまほしくて、神司上条権頭なにがしといふ人のもとに尋ねてければ、あるじ、しばしのほどに、とより帰り来てかたりて云、そのいにしへに厩戸皇子、このやまをめでのぼり分おましませしに、ひとりの山賤の翁出来りて、くま/\゛残なくおしへ奉るを、いましはいかなるものか、かくぞつばらにしりて、みちびきはせりけるとのたまひ、はた、名はたれとか。

翁の云、

 

出雲路や八雲八重垣たちけちてそのうら薄いまは穂屋野に」

 

とながめたりけり。

こはと、かんつみやのひつぎのみこ聞おどろき給ひて、此やまにおましませる神にてやあらん。

すさのおのみことにてわたらせ給ふらんと、翁にむかひ、ぬかづき給ふとき、おぢは、面影かいけちて、行衛しらざりけるとなん。

薄の社たて初しは、慧日高照山兎川霊端寺とおなじき年に作りき。

はた太子殿といへる処もあり。

その趾は、此神司が居るあたりをいふ。

うまやどの君、みづからの姿を、かたにうつし給ふあり。

それは、ずりやうのくらに、ひめおき給ふとやらん聞つたへ侍る。

此里を薄町とよび、薄河は雄滝の末の流来て、つかまの社のこなたにゆく水也。

こゝをも穂屋野といへど、まことは内田村とか。

この処を今薄町といふも穂家野といふよりつきて、おまします神のみなも、薄とやいふならんなど語るを聞て、ふたゝび山辺の湯あびとのに帰り来て、国仙ぜじに贈る。

別ても吉備の中山かひあらば細谷河の音信てまし

わがあるかたにも、かならずとひ来てなどありて、此ぜじ。

旅衣いつたち出てきびの山莓の莚をはらひまたなん

ひるつかたこゝを出づ。

此処よりは丑寅にあたりて、山おくに御射山といふあり。

この国に、此名ところ/\゛に聞えたるがなかに、須羽の湖の南に、神戸といふ村よりはひんがし、八箇嶽のあたりの原を穂屋野といひて、七月廿七日、すはの御神みかりしたまひたるかん世のふりをまねび、さゝやかの家を造りて、それを薄もてぞふきけるとなん。

そのかりやつくる処を御射山とも、ほや野ともいふ。

 

「科野なる穂家の芒もうちなびきみかりの野辺を別るもろ人」

 

など聞えたり。

かくて、松本の里に出て峨月坊が宿をとぶらへば、蔵六といふ額をかけたり。

こは、亀の六ををさむてふこゝろにやあらんとうち見て、

 

   かくるとも人やしるらん亀の尾のうき世にひかぬ心きよさを

 

といへば、あるじの返しあリ。

 

   かくすとは名のみ斗ぞ亀の尾の引もひかぬも六十ふる身は

 

五日 つとめて、此城の御主、むさしよりのぼりおましますとて、おほんむかへの人々さはに、あけはてぬよりよそひたつに、ところせきまで、その君をがみ奉らんと、村々里々の男女いりみちて、君のいさおしをよろこびあへり。かくて君いなきに入せ給ふの後、はやちふき神なりて、雨のいたくふりぬ。

あなめでた、日ごろ、あまつ水いのりもとめしかど、其しるしもふらざりけるを、けふ、との入せ給ふをまちて雨ふれるこそ、ひとへに、君のおほんとこにこそあらめやと、みな、ぬかをむしろにすりてよろこびあへり。

 

   かしこしなめぐみになでし民草の栄は君をあふぐにぞしる

 

海月上人、儀弁上人、定儀、吉尋、吉遐などとぶらはれて、歌よみてくれぬ。

儀弁上人のすめる宝栄寺は、そのかみ、あが国碧海郡苅屋てふ里より、水野なにがしのかみにつかへ奉りて、この科埜の国に来る。

亦定儀も、むかし三河路よりきける遠つおやの、いにしへを語る。

くるれば、にゐみたま祭る家には、高燈籠をいと長き竹、あるは柱をたてて、うれごとにひきあげたるは、星のはやしと見あざむく斗也。

七日 おなじ宿にけふも暮なんとす。

女童、竹のさえだに糸引はへて、さゝやかなる男女のかたしろをつくりて、いくらともなうかけならべたるに、秋風、さと吹なびかいてけり。

 

   なゆたけの葉風に男女郎花なびくやけふの手酬なるらん

 

このこと、さきの日記にもせしかど、ふたゝび其かたを左にあらはす。

あひにあひて、こよひ庚申にあたれば、

 

   まれに逢夜もぬることは楢の葉のうらみて明ん星合の空

 

あるじのほうし峨月。

 

   さはりある夜をかこちつつたなばたの逢もかたみに丸ねなるらん

 

八日 定儀がすめる秀亭てふ庵にとぶらふに、おかしうかこひなせるあし垣のとは、女鳥羽河とて、さかしき山あひよりながれて、いと涼し。

 

   問よればむすばぬ袖もぬるるかと水の音聞宿の涼しさ

 

いつまでもこゝにあれ、又、砌の竹にながめてなどありしとき、

 

   へだてなく話るも嬉し秀たる宿の呉竹直き友がき

 

女鳥羽川を渉て、大昌寺といふが、むかしやけたるとて、こたびあらため造るを見るとて、てをのうちたる柱に書つく。

 

   栄行法のためとて幾度も造かへぬる里のおほ寺

 

九日 この松本の里に近き浅間といふ温泉に、人々といざなはれて、つとめて小柳てふやに到て、出湯のもとにうち集ひける中に、広恵てふ人。

 

   出る湯のくみてこそしれ語あふ人の言葉の花の色香を

 

といふことをむくひけるに、返し。

 

   花ならぬ言葉を花といづる湯の深き心をそふるうれしさ

 

十日 蔵六亭に在に広恵。

 

   故郷を恋る夜毎に八橋をわたりやすらん旅の夢路は

 

かくなんありける返し。

 

   夢うつつおもひぞ渡る八橋にかかる嬉しき人の言の葉

 

十一日 倉科琴詩のもとへとへば、真砂亭といふ額あり。

亦鶴の画のありけるに、

 

   齢をばここにゆつるのふみならす真砂のやどや幾ちとせへん

 

くるるより月いとおもしろし。

 

   いにしへの人にものいふおもひして見る文月の月のさやけさ

 

 

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