晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

古峯神社 栃木県鹿沼市草久

古峯神社は、創建から1300年、日本武尊を祭神としている。

数年前から、妻が行きたいと言っていたが、コロナ禍もあり、実現せずにいた。

正式名称は、古峯神社(ふるみねじんじゃ)であるが、神社が鎮座する地は「古峯ケ原」(こぶがはら)と呼ばれ、「こみねさん」や「こぶがはらさん」ともいわれる。

天狗の社としても知られていて、神社内には天狗の像や扁額などが至るところにある。

よく見かけるような赤い顔で鼻が長いのが「大天狗」で、黒いくちばしのあるのが「烏天狗」だ、そうだ。

実物大以上の大きさの天狗像を見たのは、初めてだった。

もちろん、天狗の実物を見たことはないが。

明治の初めに、神仏分離によって仏具が撤去されるまでは神仏習合であったので、日光全山26院80坊の僧侶は、古峰ケ原で修行するならわしだったという。

御祭神の使いとされる天狗は、山伏の装束を身につけている。

天狗は崇敬者に災難が起こった時、直ちに飛翔して災難を取り除いてくれる(災厄消除・開運)偉大なる威力の持主とされているのだそうだ。

それは、古峯ケ原で厳しい修行をしていた姿が天狗にかさねられて、そのような信仰が生まれたのかもしれない。

古峯神社の参拝法は、他の神社とは異なっている。

通常の神社では、拝殿の前に賽銭箱があって、そこで参拝する。

参拝は、拝殿の建物の外側で行う。

古峯神社では、履き物を脱いで、拝殿の中に入り、参拝する。

拝殿の中は、畳敷であり、まるでお寺の本堂のようである。

立派な天狗の像も、室内に置かれてました。

崇敬者が、心願成就の暁に奉納されたものだそうです。

こういうものは、願いをかなえるために奉納するものだと思っていたけれど、順番が違うのだな。

願いがかなったことにたいするお礼だったんだ。

拝殿に続いた建物には、食事や宿泊のできる部屋があるようでした。

古峯神社には、参拝するための講組織が全国にあるのだそうです。

なんと講の数が2万、会員が200万人というのはすごいと思う。

私の住んでいるあたりにも、かつては阿夫利神社のある丹沢の大山登山のための大山講や、もちろん富士山登山のための富士講もあったようだ。

伊勢参りや四国のお遍路さんもそうだけれど、たんに信仰だけではないようだな。

そういう名目ならば、大手をふって他の国に行ける。

自分の身の回りの限られた生活から、まったく違った世界を見ることができるってことなのだと思う。

今回は、コロナも小休止で、なんとか割引とかあるらしいから、同居の家族四人で温泉に行こうと出かけた。

温泉は、食事の美味しいところということで、妻が川治温泉の宿を見つけた。

せっかくなので、どこか寄っていこうということで、古峯神社に決めた。

車を運転しての遠出は、久しぶりである。

高速道路の運転は、いつもながら緊張する。

若い頃よりも、時間が長く感じる。

流山で、常磐道に乗り、三郷で外環道に乗り換え、川口ジャンクション東北道である。

東北道は、鹿沼で降りる。

鹿沼では、「街の駅」に寄ったが、鹿沼といったら園芸の「鹿沼土」くらいしか知らなかったが、日光街道の要所だったらしい。

妻が見つけたイタリアンのお店でランチ

鹿沼で昼食後に、大芦川をさかのぼり、その名も「古峯ケ原街道」を行く。

登るほどに緑の世界で、神社のための街道である。

道が尽きそうな標高700mほどのところに、古峯神社はあった。

こんな感じの神社は、初めてだったかも知れない。

背後に森を背負っているような神社が、私は好きである。

街道の中程に、とてつもなく大きな、ビルにしたら8階ぐらいという大鳥居があった。

そこから、さらにひたすら登ったのだから、山全体が神社の杜と言ってもいいのかも知れない。

 

参拝のあとは、街道を再び下った。

途中で、日光方向への分岐で、県道鹿沼日光線に入る。

宿の「湯けむりの里 柏屋」は、鬼怒川と男鹿川の合流地点にある落ち着いた旅館だった。

温泉と個室での食事を楽しむことができた。

 

今回の旅で、思いがけないものに出会った。

翌日、出発前に客室でくつろいでいると、目の前にある木の枝に猿がいた。

何を食べていたのだろう

帰りは、高速道路は使わず、一般道をのんびりと帰ることにした。

妻の大好きな「道の駅」に3箇所ほど寄った。

どこの、道の駅も活気があって、にぎやかだった。

「道の駅茂木」に寄って、トイレに行こうとしたら、人が建物の裏に移動していた。

なんだろうと思ったら、蒸気機関車が通る、とアナウンスがあった。

真岡鉄道SL

土曜日日曜日に、それぞれ2回しか運行しない蒸気機関車に遭遇した。

なんと、運のいいことだろう。

 

真岡鉄道沿いに南下していくと、下館のあたりで茨城県である。

茨城県ならば、かなり走りなれている。

のんびり走って、夕方には帰宅した。

総距離400km程の行程だった。

 

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