古峯神社は、創建から1300年、日本武尊を祭神としている。
数年前から、妻が行きたいと言っていたが、コロナ禍もあり、実現せずにいた。
正式名称は、古峯神社(ふるみねじんじゃ)であるが、神社が鎮座する地は「古峯ケ原」(こぶがはら)と呼ばれ、「こみねさん」や「こぶがはらさん」ともいわれる。
天狗の社としても知られていて、神社内には天狗の像や扁額などが至るところにある。
よく見かけるような赤い顔で鼻が長いのが「大天狗」で、黒いくちばしのあるのが「烏天狗」だ、そうだ。
実物大以上の大きさの天狗像を見たのは、初めてだった。
もちろん、天狗の実物を見たことはないが。
明治の初めに、神仏分離によって仏具が撤去されるまでは神仏習合であったので、日光全山26院80坊の僧侶は、古峰ケ原で修行するならわしだったという。
御祭神の使いとされる天狗は、山伏の装束を身につけている。
天狗は崇敬者に災難が起こった時、直ちに飛翔して災難を取り除いてくれる(災厄消除・開運)偉大なる威力の持主とされているのだそうだ。
それは、古峯ケ原で厳しい修行をしていた姿が天狗にかさねられて、そのような信仰が生まれたのかもしれない。
古峯神社の参拝法は、他の神社とは異なっている。
通常の神社では、拝殿の前に賽銭箱があって、そこで参拝する。
参拝は、拝殿の建物の外側で行う。
古峯神社では、履き物を脱いで、拝殿の中に入り、参拝する。
拝殿の中は、畳敷であり、まるでお寺の本堂のようである。
立派な天狗の像も、室内に置かれてました。
崇敬者が、心願成就の暁に奉納されたものだそうです。
こういうものは、願いをかなえるために奉納するものだと思っていたけれど、順番が違うのだな。
願いがかなったことにたいするお礼だったんだ。
拝殿に続いた建物には、食事や宿泊のできる部屋があるようでした。
古峯神社には、参拝するための講組織が全国にあるのだそうです。
なんと講の数が2万、会員が200万人というのはすごいと思う。
私の住んでいるあたりにも、かつては阿夫利神社のある丹沢の大山登山のための大山講や、もちろん富士山登山のための富士講もあったようだ。
お伊勢参りや四国のお遍路さんもそうだけれど、たんに信仰だけではないようだな。
そういう名目ならば、大手をふって他の国に行ける。
自分の身の回りの限られた生活から、まったく違った世界を見ることができるってことなのだと思う。
今回は、コロナも小休止で、なんとか割引とかあるらしいから、同居の家族四人で温泉に行こうと出かけた。
温泉は、食事の美味しいところということで、妻が川治温泉の宿を見つけた。
せっかくなので、どこか寄っていこうということで、古峯神社に決めた。
車を運転しての遠出は、久しぶりである。
高速道路の運転は、いつもながら緊張する。
若い頃よりも、時間が長く感じる。
流山で、常磐道に乗り、三郷で外環道に乗り換え、川口ジャンクションで東北道である。
鹿沼では、「街の駅」に寄ったが、鹿沼といったら園芸の「鹿沼土」くらいしか知らなかったが、日光街道の要所だったらしい。
鹿沼で昼食後に、大芦川をさかのぼり、その名も「古峯ケ原街道」を行く。
登るほどに緑の世界で、神社のための街道である。
道が尽きそうな標高700mほどのところに、古峯神社はあった。
こんな感じの神社は、初めてだったかも知れない。
背後に森を背負っているような神社が、私は好きである。
街道の中程に、とてつもなく大きな、ビルにしたら8階ぐらいという大鳥居があった。
そこから、さらにひたすら登ったのだから、山全体が神社の杜と言ってもいいのかも知れない。
参拝のあとは、街道を再び下った。
宿の「湯けむりの里 柏屋」は、鬼怒川と男鹿川の合流地点にある落ち着いた旅館だった。
温泉と個室での食事を楽しむことができた。
今回の旅で、思いがけないものに出会った。
翌日、出発前に客室でくつろいでいると、目の前にある木の枝に猿がいた。
帰りは、高速道路は使わず、一般道をのんびりと帰ることにした。
妻の大好きな「道の駅」に3箇所ほど寄った。
どこの、道の駅も活気があって、にぎやかだった。
「道の駅茂木」に寄って、トイレに行こうとしたら、人が建物の裏に移動していた。
なんだろうと思ったら、蒸気機関車が通る、とアナウンスがあった。
土曜日日曜日に、それぞれ2回しか運行しない蒸気機関車に遭遇した。
なんと、運のいいことだろう。
茨城県ならば、かなり走りなれている。
のんびり走って、夕方には帰宅した。
総距離400km程の行程だった。