孫娘と家族とで、初詣に行ってきた。
成田の麻賀多神社である。
孫娘を今年初めて預かる日だったので、ちょっと遠出することにした。
麻賀多神社は、2、3年前にお参りしたことがある。
印旛沼から成田に向かう道路沿いにあって、麻賀多(まがた)神社という変わった名前が気になっていた。
その時に調べたら、同じ名前の神社がその周辺に18社あるということだった。
ナビで検索したら、成田と佐倉の二か所が出てきた。
たしか成田市だったと思うので、成田に設定して出かけた。
距離は自宅から35キロほどで、1時間くらいだろう。
ただ、2日ほどまえに降雪があったので、残雪があるかもしれない。
神社の近くに来たのだが、神社は登り坂の上にある森の中にあって、その坂には積雪が見えた。
車で行くのは難しそうなので、遠回りをして反対方向から向かうことにする。
反対方向は、坂はなかったが車道には積雪がかなりあるので、車を止めて歩くことにする。
200メートルほど歩いて、麻賀多神社に到着した。
麻賀多神社は、前回お参りした神社ではなかった。
前回お参りした麻賀多神社は、車の通りの多い道沿いにあったが、ここの麻賀多神社は、小高い森と住宅につながる静かな道路沿いにあった。
神社の掲示板の地図を見ると、ここが船形の麻賀多神社奥宮で、前回お参りしたのが台方の麻賀多神社本宮であることがわかった。
麻賀多神社の創始について、宮司の方がまとめた文書をいただいた。
それによると、麻賀多神社は平安時代初期(10世紀)の延喜式に式内社として、船形の奥宮と台方の本宮の二社とも登録されている。
創始については、奥宮の方が古く、第15代応神天皇(3世紀)により印旛国造に任命された伊都許利命(いつこりのみこと)が、稚日霊神を祭神として、真賀多真(まがたま)大神宮(おおかみやしろ)として創建した。
さらに、景行天皇(1世紀)の時代に日本武尊が東征の際に、この地に埋めたとされる七つの玉が掘り出し稚産霊神として祀られた。
台方の本宮は、第33代推古天皇(6〜7世紀)の時代に、印旛国造の広鋤手黒彦が、稚産霊神を遷宮し、真賀多真大神宮として祀った。
社務所でお話を聞いたら、台方の本宮まで歩いて行けるとのことだった。
社務所には、手書きの「メッセージおみくじ」というのがあった。
息子たちと孫娘は、おみくじを引いた。
メッセージは、ていねいなきれいな文字で書かれていた。
テーマの漢字一字は、毛筆で書かれていた。
孫娘へのメッセージは、次のようなものだった。
「心
今、あなたの心の中は、
どんな感情で、あふれていますか。
感情を表に出すことは
なかなか難しいものです。
でも、自分の心の声に耳を傾けて
正直になるのも大事なことです。
自分の心の声を聞いてみてください。
心の声は魂の声なのです。」
宮司の方からのメッセージなのだと思います。
奥宮のある船形の台地と本宮のある台方の間には、広い水田があり、その中央を江川という川が流れていて、甚兵衛広沼に流れ込んでいる。
古事記などによると、日本武尊は印旛沼から上陸して、道暗山(船形手黒)の大杉に、七つに玉を埋め、鏡を掛けて祈願したとあるようなので、今は水田となっているところは印旛沼で、台地が島のようなものだったのだろう。
いや、その頃は、印旛沼も手賀沼も霞ヶ浦さえも呑みこむ、巨大な内海「香取海」があったはずだ。
だから、印旛沼から上陸というのは、適切ではないだろう。
ぽかぽかといい天気だったので、みんなで歩いて行った。
神社からの下り坂を行くと、集落があって水田が目の前に広がる。
田圃の中を通る道路を進むと、江川に架かる橋を渡り、台方の台地にぶつかる。
台地の北になる部分には先日の積雪が残っていて、溶けずに凍っている。
湧水の溜まった池は、氷が張っていた。
孫娘が、雪玉を投げると、雪玉は氷の表面で粉々になって広がった。
台地を登る坂を行くと集落があった。
さらに進んでいくと、神社の脇を通って、車道にぶつかった。
そして、麻賀多神社本宮の鳥居があった。
たしかに、以前来た記憶のある神社だった。
本殿の脇に、奥宮と同じように御神木の大杉がある。
社殿をぐるりとまわっていると、隣接して古民家カフェがあるのを見つけた。
長い距離を歩いて疲れていたので、一休みすることにする。
孫娘はオレンジジュース、私たちはホットコーヒー、妻は甘酒にした。
お店は、古民家というよりも山小屋という風情で、落ち着いた雰囲気だった。
その後は、来た道を奥宮まで戻った。
奥宮には、敷地に隣接して体育館もある大きな幼稚園があった。
幼稚園としては不便な場所のせいか、近くに保護者用らしい駐車場も4か所ほどあり、神社向かいの駐車場は、幼稚園と神社の共用らしい。
もしかすると、神社が経営している幼稚園なのだろうか。
お寺が経営する幼稚園は、よく見かけるが神社関係の幼稚園は見たことがない。
麻賀多神社の創建者である伊都許利命を埋葬したと言われる古墳が奥宮に隣接してあり、伊都許利神社がある。
古墳といえば、このあたりには古墳が多い。
成田市と隣の印旛郡栄町のあたりには、竜角寺古墳群があり、「千葉県立房総の村」という体験型博物館がある。
この中の、前方後円墳を訪ねたことがあるが、立派なものである。
龍角寺古墳群には、114基の古墳が確認されているのだそうだ。
なんとそのうちの37基が、前方後円墳なのだ。
調べてみて、驚いたのだが、48都道府県で前方後円墳が最も多いのが千葉県である。
古墳全体では、千葉県が13,112基で全国2位であるが、前方後円墳は677基で全国1位なのだ。
茨城県石岡市は、かつて常陸国府のあったところだが、その近くに舟塚山古墳という前方後円墳があって、訪ねたことがある。
そういえば、埼玉県行田市にも「さきたま古墳公園」という古墳だらけの公園があって、行ったことがある。
ここにも、立派な前方後円墳があった。
話が、古墳に飛んでしまった。
でも、日本の古代を考えると、こんなに関東に古墳が多いのは重要なことだろうな。
古墳の宝庫であるような所に住んでるのだから、見て歩くのもおもしろそうだな。