日米間で、初の衛星中継が行われたのが東京オリンピックの前年1963年、その中継で伝えられたのが「ケネディ大統領暗殺」だった。
同年に、坂本九の「スキヤキ」が、アメリカのビルボードチャートで1位になっている。
前年には、ヨーロッパでもすでに発売されていたらしい。
司会は、立川澄人と佐良直美。外国の音楽家が来日するとだいたい出演していた。
B.B.KingもRay Charlesもこの番組で見た。
たぶん、Peter,Paul&MaryやBrothers Fourとかも。
考えてみると、面白い時代だったと思う。
ヒットチャートに、イタリアのカンツオーネやフランスのシャンソンも入ってた。
ジリオラ・チンクェッティやダニエル・ビダル、アダモとかも、イギリスのノーランズという姉妹バンドも、歌謡番組に出ていた。
日本の音楽が海外へ進出していた。
フォーク・クルセイダースを解散した後の加藤和彦が結成したSadistic Mika Bandがイギリスで評判らしいって聞いた。
このグループはすべて日本語でやってたんじゃないかな。
これは、いつ頃だろうか。
どうも、時期の感覚がよくわからない。
だいたいは、私が20代の頃だと思うので、1979年代から1980年代かな。
Pink Lady がアメリカのテレビ番組出た。
Yellow Magic Orchestraが世界中で何百万枚か売れたらしい。
はっぴぃえんどの細野晴臣とSadistic Mika Bandの高橋幸宏、そして坂本龍一。
アメリカでやったコンサートの映像をテレビでみた。
Rydeenが格好よかった。
SoulTrainにも出演したらしい。
CreationやLoudnessというバンドが海外へ進出というのも聞いたことある。
どちらも、すべて英語でやっていた。
Creationはスマートな印象で、Loudnessはヘビーなバンドで、今も現役でやっている。
あの頃の、ロックの形容詞は、ニューロック、アートロック、ハードロック、ヘビーロック、サイケデリックロック、グラムロック、そのうちにパンクロックかな。
この頃になると、よくわからない。
内田裕也率いるFlower Traveling Band も向こうのフェスに出たらしい。
沢田研二がフランス語で歌って、ヒットチャートに入って向こうのテレビに出た。
Queen が本国のイギリスやアメリカでいまひとつの頃に、日本で火がついて世界に広がったというのは本当かどうかわからないが有名らしい。
そういうのは他にもありそうである
かつて、海外に進出するなら、英語でやらなければという悩ましい問題があった。
それをクリアして、やっとスタート台である。
来日したアーティストが、下手な日本語で歌ってると、気持ちはありがたいけど、やらなくてもいいよ、と思ってしまう。
上手い日本語でも、それだけのことで、やっぱり元々の言葉で歌ってくださいということになる。
逆もまた、同じなんじゃないかな。
きっと、日本らしいものがあった方がいいのかも知れない。
まあ、アメリカ人は外国語は好きじゃないみたいなので、難しいな。
想像力が、足りないのかな。
今は、ネットの時代なので「世界進出」なんて気張らなくても、いつのまにか広がってしまったというのもある。