棟方志功という名前を知ったのは、いつだろうか。
長部日出雄さんが、棟方志功さんを描いた「鬼がきたー棟方志功伝」で、文部大臣賞をもらったのが1979年である。
でも、長部さんが津軽三味線の世界に生きる若者たちを描いた「津軽三味線じょんがら節」「津軽世去れ節」で直木賞もらった頃には、棟方志功さんを知っていたような気がする。
あの、独特な棟方さんの版画を見たときに、ほんとに驚いた。
私が、高校生時代によく通っていた本屋さんの包装紙じゃなくて、本屋さんで本を入れてくれる紙袋は何ていうのだろう。包装袋(?)に印刷してあった絵だったからだ。
丸っこくて、豊満で、強そうな女性の版画だった。
そんなに、有名な方の作品だとは知らなかった。
「又久書店」という、大館の街では老舗の本屋さんだった。
すでに、1956年にヴェネツィア・ビエンナーレで国際版画大賞を受賞していたそうなので、版画の世界では第一人者だったのだろう。
一般的にはまだそれほど知られている人ではなかったと思うのだが、どうして大館の本屋さんで棟方さんの作品を使っていたのだろう。
書店は、2008年に閉店してしまったそうなのだが、棟方さんの作品は、いつ頃からいつ頃まで使っていたのだろうか。
高校の新聞部にいた私は、高校新聞の広告掲載をお願いに何回か伺ったことがあった。この頃で、一回500円くらいだったと思う。毎回掲載していたので、掲載の確認に行ってたのだ。
新聞が発行されたら、新聞を持って行って広告料をもらっていた。
広告は、他に和菓子の老舗のお店「島内」さんにもお願いに行ってた。その頃は、店内もとてもきれいで明るい感じだった。
大館という街の中心部にあって、まだ街が元気な時代だったのだ。
NHKのドキュメンタリー番組で、棟方志功を取り上げていたのだと思う。
厚い眼鏡をかけて、板に顔がくっつくぐらいに近づけて、版画を彫っていた。
津軽のねぶたや縄文の世界に近いような、独特な棟方さんの版画の世界。
その頃の作品にあったかな、
やまとは くにのまほろば たたなづく あおがき やまこもれる やまとしうるわし
という、倭健命の歌をモチーフにしたものがあった。
日本経済新聞から、「ワだばゴッホになる」という書籍が出ている。
この本を私は読んでいない。
でも、「ワだばゴッホになる」ということばは、棟方志功という人の代名詞のようにいろいろなところで使われている。
ずいぶん後になって、片岡鶴太郎さんが『志功の青春記 おらあゴッホだ』というドラマで、棟方志功さんを演じている。
棟方志功さんと片岡鶴太郎さんとは、何かイメージが重なるところがある。
鬼気迫るところ、意識を集中しているところ。
版画ではなく板画と称した棟方さんは、木版の特徴を活かしたものを作ろうとした。
私がまだ学生だった1970年に亡くなっている。
亡くなった後で、いろいろなところで取り上げられていたことになる。