正月があけて、次の週末に都内へ初詣に出かけた。
わが家では、初詣は例年の行事ではない。
思い付きで、出かけたり、出かけなかったりである。
車を出せば、子供たちの七五三のお参りをした廣幡八幡宮に行ける。
歩いていける範囲だと、西に浅間神社、南に八坂神社、北に白山神社がある。
それぞれ、このあたりの集落の神社として昔から守られてきたのだと思う。
今年は、電車で都内に出かけようということになった。
わが家のJRの最寄り駅は、南柏である。
この駅は、常磐線の各駅停車の駅であるが、これで都内へ向かうと、北千住から先は地下鉄の東京メトロに乗り入れてしまう。
上野駅に行きたい場合は、松戸で常磐線快速に、乗り換えなければならない。
そのまま乗ってると、北千住から先は、町屋、西日暮里、千駄木、根津、湯島、新お茶の水となり、そこで総武線に接続する。
さらに、二重橋、日比谷、霞が関、赤坂、乃木坂、表参道、明治神宮前、代々木公園、代々木上原となり、その先は小田急に乗り入れている。
つまり、千葉県から、東京を越えて、神奈川県に至る路線である。
今回は、日比谷で都営地下鉄三田線に乗り換えて、内幸町、御成門と行き、芝公園で下車した。
この駅の近くにある増上寺が、今年の初詣である。
増上寺の近くまでは、何度か行ったことはある。
まだ勤めていたころ、メルパルク東京というホテルの中に大きなホールがあって、そこが会場の研修会があった。
近くで、食事をして、夜の東京タワーにのぼったこともある。
それなのに、その近くの増上寺には足を踏み入れていなかった。
アクセスを調べようとしたら、メルパルク東京は3年前に閉鎖されて、解体中であるということだ。
郵政省の施設だったメルパルクは、全国に15か所ほどあったらしいが、郵政民政化による事業見直しとコロナ禍などにより、ほとんどが閉鎖しているらしい。
考えてみると、私がメルパルク東京に来ていたのは、退職前の数年のことなので、十年以上も前のことだ。
世の中は、大きく変わっているのである。

上野の東照宮は行ったことがあるが、芝にも東照宮があるのは知らなかった。
芝東照宮は敷地もそれほど広くもなく、参拝客もちらほらだった。
とりあえず、お参りをして、増上寺に歩いた。
東京タワーをバックにした本堂は、いかにも東京ならではの眺めである。
長く続く参拝客の列に並び、お参りをする。
境内には、外国人参拝客も多くみられる。
子育て地蔵がずらーっと並んでいたので、近づいて行った。
赤い帽子をかぶった地蔵はいろんなところで見るけれど、ここの地蔵は全身に赤い毛糸の装束をまとっていた。
その地蔵たちの前に、絵馬掛所があった。
掛けられた絵馬を見ていると、外国人によって書かれた横書きの絵馬が多くあった。
そういえば、お寺や神社の御朱印も外国人観光客に人気であるというのは知っている。
日本人もなかなか行かないような所に、外国人が行くようになっている、というのも聞く。
いまや時代は、SNSの時代である。
今までのマスメディアと違って、SNSは1対1で情報が伝わる。
どんな小さな情報でも、確実に伝わるのである。

絵馬を見ていて、思い出したことがある。
私の郷里の村にあった絵馬についてである。
村の中央を流れる川があって、集落を囲む東側の山の中腹に、村の神社があった。
30メートルほどの参道も、階段ではなく、ただの山道だったし、もちろん社務所などの施設はなく、拝殿だけだった。
それでも、境内には土俵があって、お祭りに奉納相撲のようなことをやっていた。
夏休みのラジオ体操の会場だったので、毎朝橋を渡って、村はずれの神社まで走っていた。
それも、小学校の中学年くらいまでで、その後橋を渡ってすぐの公民館前に会場が移った。
思い出すのは、神社ではなく、村はずれの田んぼと川岸の近くに、絵馬堂のようなものがあったことである。
しかも、最近の神社にあるような小型の絵馬ではなく、大判の木版に書かれた絵馬である。
願い事の祈願のためのものではなく、馬の絵そのものが書かれていた。
絵馬堂といっても、それほど立派なものではないが、壁面に何枚もの絵馬が飾られていた。
中学卒業後に、村を離れてしまったので、絵馬堂の由来など、詳しいことは聞いたことがなかったが、その中をのぞいた時のことは、記憶に残っている。
今井堂天満神社 絵馬堂 令和5年4月9日奉納絵馬
よく覚えてないけど、こんな感じの絵馬だったかな。
こんなには、色鮮やかではなくて、もっとくすんだ感じだったな。
絵馬の由来を調べてみると、本来は、神事の際に神馬として、馬を奉納したものらしい。
それが次第に、木や紙や土などで作った馬の像で代用されるようになり、奈良時代には木の板に描いた馬の絵が見られるようになったとある。
小型の絵馬は、室町時代に個人が現世利益を求め、奉納するようになり、江戸時代には、現代のように家内安全や商売繁盛といった身近なお願い事を書く風習が広がった、ということらしい。
歴史ある神社には、絵馬をおさめるための絵馬殿や絵馬堂という立派な建物があるようだ。
神事のために奉納ということだから、絵馬は神社のものだけれど、今はお寺にも絵馬掛所がある。
神仏習合の名残だろうが、日本らしいといえるかな。
郷里の絵馬堂について考えていると、どうにも不思議なことがある。
神社に奉納するための絵馬だったら、どうして絵馬堂が神社の境内ではなく、村はずれの田んぼの中にあるのか。
なぜなのか、考えてみた。
わが家には、牛が1頭いて、父の実家には、馬が3頭いた。
40戸ほどあった村に、馬が全部で何頭いたのだろうか。
農耕のために、馬はどうしても必要だったろうから、かなりの頭数いただろう。
農耕の仕事を終えた馬を、農家のおじさんが川原で、きれいに洗ってあげているのをよく見たことがある。
思いついたのは、絵馬は神社に奉納するためのものではなかったのだろう、ということである。
農家が馬を購入したり、仔馬が生まれたときに、その健康を祈願して、絵馬をつくったのではないか。
まあ、言ってみれば、こどもの七五三のようなものなのではないのかな。
馬も牛も、同じ屋根の下に住む家族のようなものだったのだから。
でも、それだったら、神社にあってもおかしくないか。
こんな感じで、思いは堂々巡りである。
たぶん、それほど何回も訪ねたわけではない絵馬堂の光景が、六十年以上経った今、甦ってくるのである。
