東京オリンピック1964の前年、1963年11月23日に初の日米間で衛星中継実験に成功した。
その中継で伝えられたニュースは、前日にダラスで起ったケネディ大統領暗殺だった。
これによって、日本とアメリカは、テレビ放送の映像と音声でつながるようになった。
この年に、アメリカでは、坂本九が日本語で歌った「上を向いて歩こう」が、6月15日からビルボードでは3週連続1位を、キャッシュボックスでは4週連続一位を獲得した。
このあと、1990年代になってインターネットによって、世界がつながることになる。
しかし、一般の人にとってはまだ別世界の話で、1995年にWindows 95が発売されて、やっとPCが身近なものになる。
映像や音響をPCを使って、自由に扱えるようになるのは、2005年のYouTubeの登場からである。
同時期に、スマートフォンもネット対応になったことによって、どこでもいつでも楽しめる事ができるようになった。
わずか、15年くらいしかたっていない。
そういうものが何にもない時代に、日本から世界へ出ていこうとしたミュージシャンがいた。
貴重な動画を、探してみた。
この曲は、1961年に発売されて、30万枚のヒットだったらしい。
翌年に、ヨーロッパのフランス、イギリス、ベルギー、オランダなどでもヒットした。
さらに、アメリカでも評判になったが、たまたまレコードを手に入れたラジオDJが、番組でかけたことがきっかけだったらしい。
R&Bチャートでもランクインしていたそうなので、そういうテイストのある曲として受け止められたのだと思う。
アメリカで音楽番組にも出演したが、日本ではチャート1位のすごさがよくわかっていなくて、ほとんど報道されなかったという。
日本で、チャート誌のオリジナルコンフィデンスが、発刊されるのは1967年のことである。
Sukiyaki Kyu Sakamoto FULL SONG ReEdit STEREO ReMix HiQ Hybrid JARichardsFilm 720p - YouTube
シャネルズ ランナウェィ(Run Away)
1980年、シャネルズは「ランナウェィ」をヒットさせた。
同年に行われたこの名門クラブであるウィスキー・ア・ゴーゴーでのコンサートは、ヒットのご褒美ツアーの一端だった。
この時点で、グループはアマチュアで、メンバーは本業を持っていた。
シャネルズは、黒人音楽ドゥーワップに傾倒していたのだろう、リスペクト?のあまり、黒塗りでステージをやっていた。
彼らの音楽はとても好きだったので、このコンサートのライブ・アルバムが発売されて、すぐに買った。
この頃の、シャネルズがもっとも好きである。
ラウドネスは、メンバー交代を繰り返して、現在も現役のヘビーロック・バンドである。
1980年代中期に、世界に進出して、アメリカのビルボードのTOP100にアルバムを送り込んだ。
ラウドネスのベースになったのは、レイジィーというアイドルバンドだったらしい。
ネットのない時代に、全米ツアーをやって、チャートにアルバムを送り込むのは、並大抵ではない。
今でも、楽しめるサウンドである。
サディステック・ミカ・バンド 「ワカ!チコ」「塀までひとっ飛び」
サディステック・ミカ・バンドは、フォーク・クルセイダーズを解散した加藤和彦が結成したバンドである。
バンド名は、ジョン・レノンのプラスティック・オノ・バンドをもじったものである。
アルバムは、日本であんまり売れなかったらしいが、イギリスで評判になって逆輸入されたらしい。
ときどき、聞くようなパターンである。
当時、売れていたロキシー・ミュージックの全英ツアーのオープニング・アクトをやった。
Sadistic Mika Band in UK TV show “Old gley whistle test “1975 サディスティック ミカ バンド - YouTube
イエロー・マジック・オーケストラ Tong Poo
グループ・サウンズではないロックにとっては、英語か日本語かという悩ましい問題意があった。
日本語でやるロックの代表が、私にとっては「ジャックス」と「はっぴぃ・えんど」だった。
YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)は、「はっぴぃ・えんど」のベーシスト細野晴臣が、在籍していた。
ほとんど歌のない演奏だけだったが、アメリカでツアーもやっていたので、テクノ・ニューウェーブの中心的グループとして知られていた。
このコンサートでは、キーボードに矢野顕子、ギターに渡辺加津美がいる。
TONG POO - YMO 1979 LIVE at THE GREEK THEATRE - YouTube