晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

ワーキングクラス・ヒーロー

エリザベス女王逝去以来、毎日ワイドショーはそれに関する話題を取り上げている。

在位70年、即位されたのが1952年である。

私が生まれたのは1953年なので、ずっとエリザベス女王が存在していたわけである。

世界中のほとんど人たちにとって、ものごころがついた時からエリザベス女王は当たり前のようにいる人であったのだろう。

ワイドショーでは、イギリスとイギリス王室のことについて、微に入り細に入り、いろんなことを伝えている。

その中で、私がなるほどそうだったなあ、と思ったことがある。

 

イギリスが、国会に貴族院があって、貴族がいまだに存在する階級社会であるということだ。

ジョン・レノンの初期のアルバム「ジョンの魂」に「ワーキングクラス・ヒーロー」という曲がある。

「労働者階級の英雄」である。

学生時代、キャンパスの構内にある生協の店舗の前で、中古のLPレコードを売っていた。

「ジョンの魂」“John Lennon/Plastic Ono Band”は、ビートルズを脱退したジョン・レノンの1970年のアルバムである。

発売されてから2、3年たったであろう、そのレコードを私は買った。

このアルバムには、他にも「マザー」や「ラブ」という曲があり、ラジオでよくかけられていたが、私はこの「ワーキングクラス・ヒーロー」が気に入っていた。

自らを、労働者階級であると考えていたジョンの思いが、歌われている。

ビートルズ時代に、ジョンレノンは女王から貰った勲章を返却するということをやっているが、これと無関係ではないだろう。

そのときには、ベトナム戦争に対するイギリス政府の姿勢に対しての抗議だったらしいが。

 

A working class hero is something to be

というフレーズが、何回もくりかえされる。

なんと訳したらいいものか、わからない。

If you want to be a hero well just follow me

そして、この歌詞で終わる。

英雄になりたければ、俺のようにやればいい。

 

「ジョンの魂」発表の翌年には、ジョン・レノンの代表作と言える「イマジン」が発売されている。

おもしろいのは、「ジョンの魂」のチャート順位は、イギリス8位、アメリカ6位、日本5位であり、日本での存在感はとても大きいものだった。

「イマジン」のチャート順位は、イギリス、アメリカ、日本の三国とも1位だった。

 

ロッド・スチュアートが登場したのは、いつ頃だっただろう。

「マギー・メイ」という渋い曲だった。

音楽雑誌の記事で、こんなことが書かれていた。

階級社会であるイギリスで、階級の壁を越えるには、フットボール選手かロックスターになるしかない。

デイビット・ベッカムという知的な雰囲気の選手を知ったときに、このことを思い出した。

彼は、フットボールでこの壁を越えたのかな、という気がしたのだ。

 

世界には、王様がいる国がまだかなりあるが、イギリスのように貴族という特権階級が残っている国はどれくらいあるのだろう。

私は、世界史にはほとんど興味がなく育ってしまったので、世界の国々の歴史についての知識が乏しい。

自宅にあった「イギリス史」という息子が教科書として使ってた書籍で勉強中である。

まだ、序章が終わっただけで、20ページくらいだ。

イギリスという国の正式名称は、「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」“United Kingdom of Great Briten and Norhern Ireland"であり、日本語のイギリスの元になってるだろう"England"ということばは、どこにもない。

それでも、あたりまえのように「イギリス」と長年よんでいるのは、どうしてだろう。

まあ、当国からクレームがなかったからだろうが。

 

イギリスの貴族院を構成する貴族は、多いときには1000人近くいいたらしい。

それを、労働党のブレア政権が、貴族院改革を行い92議席に限定したとある。

イギリス王室の財産についても、ワイドショーでは取り上げていた。

言ってみれば、王室は貴族の中でも、最も財産と特権を持つ一族ということなのかな。

広い所有地や財産があるのだから、この先、王制廃止になっても、困らないだろう。

 

日本人は、どうしても日本の状況を基準に、いろんなことを考えてしまう。

日本にも、戦前は華族を構成員とする「貴族院」があったわけである。

明治維新版籍奉還によって、公卿諸侯は華族となったが、その時点で元大名だった諸侯は、それまで治めていた領地から完全に、切り離されている。

その点が、イギリスと日本の大きな違いかもしれない。

だから、貴族制度の廃止というのは、今後向き合わなければならない問題である。

貴族の特権など考えると、国民との差が大きすぎるので、避けては通れない問題だろう。

そして、その先に王制廃止がある。

エリザベス女王逝去を機会に、王制廃止とはいかなくても、王室は貴族のトップであると考えると、制度改革はせざるを得ないのではないかな。

 

ワイドショーが取り上げていたもう一つの問題は、連合王国の存続についてである。

チャールズ国王は、連合王国の最期の国王になるかも知れない。

イギリスは、イングランドウエールズスコットランド北アイルランドの4カ国からなる連合王国である。

イギリスの皇太子が、どうして「プリンス・オブ・ウェールズ」と呼ばれるのだろうと、ずっと思っていた。

連合王国の成立について、調べてみた。

13世紀末に、イングランド王国ウェールズ公国に侵入しウェールズ全域を征服し、1301年王太子エドワード2世にウェールズ大公(プリンス・オブ・ウェールズ)の称号を与えた、ということだ。

スコットランドについては、1603年にスコットランド国王ジェームス6世が、イングランド国王を兼ねて以来同君連合となるが、アン女王時代の1707年の合同法により、イングランド王国スコットランド王国は、合同しグレートブリテン王国となる、とある。

アイルランドは、16世紀からイングランド王国との同君王国となり従属国化していたが、1800年の合同法により、グレートブリテン王国と合同して、グレートブリテン及びアイルランド連合王国が成立し、アイルランド王国は消滅した。

20世紀になって、アイルランド独立戦争の結果、1922年にアイルランド島南部26州が、イギリス自治アイルランド自由国として分離したが、北部諸州は残留し、グレートブリテン及び北アイルランド連合王国となった。

 

サッカーのワールドカップでは、イギリスの4ヶ国は、それぞれに代表チームを編成している。

連合王国となって、数百年が経過しても、それぞれの国情はなかなか複雑なものがあるようだ。

イギリスのEU離脱の際には、スコットランド連合王国から独立する動きがあった。

これまで、連合王国の象徴的存在だったエリザベス女王の逝去を機会に、この問題が再燃するかもしれない。

それには、EU離脱後の経済状況がどのようになっているかが、深く関係してくるのかな。

 

 

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