晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

エリック・クラプトンについて

3月頃だったと思うが、エリック・クラプトンが今年来日公演をやるという記事を読んだ。

もうかなりの年齢だろうに、来日するのか。

私としては、ああそうか、という感じだった。

コンサートへ行こうという気にはならなかった。

そして、先日またエリック・クラプトン来日公演の記事を見た。

公演は、4月だったので過去のことである。

記事をよく読んだら、武道館6daysだったらしい。

ええ!武道館6日ってすごいんじゃないのか。

これだけやるってことは、ちゃんとチケット売れるんだよな。

クラプトンのファンは、それだけいるのだな。

むかし、私が行った頃は、こんなにやってなかったと思うが。

でも、あの頃は東京だけでなく全国何ヶ所かまわっていただろう。

全然、記憶がない。

来日公演の記録を調べてみた。

今年は、6回の予定が、追加公演が入って8回になっている。

しかも、今までの武道館での最高回数は、2006年の10回だった。

たしかに、それぐらいじゃないと合計110回にはならないか。

それにしても、何年かごとに来日するアーティストが、この回数はすごい。

 

私は、エリック・クラプトンが好きで、このブログにも、たぶん3回ぐらいは記事を書いている。

最近書いたのは、彼の映画を観た時である。

いつだったかなと、調べてみたら、2021年だった。

なんと、4年も前になるのか。

コロナ真っ盛りの頃である。

 

seiko-udoku.hatenadiary.jp

「ロックダウン・セッションズ」という映画だった。

計画していたコンサートが、コロナ禍で実施できなくなったので、そのコンサートを無人でやったのを映画化したというようなものだった。

でも映画は、無人コンサートというものではなく、映画名どおり、コンサートのためのセッション、つまり準備の記録映画だった。

 

来日公演の記事と書いたが、実はYoutubeの動画である。

来日公演を期に、エリック・クラプトンというアーティストと日本の関係を紹介したものだった。

エリック・クラプトンというギタリストは、私が高校生の頃から好きでよく聴いていて、実際にコンサートに行ったこともある。

私は音楽が好きで、レコードやCDを買ったりしていたけれど、コンサートにはそれほど行ったことはない。

たぶん、数えられそうなぐらいである。

エリック・クラプトンは、そんな数少ないアーティストの一人である。

以前のブログを読み返してみたら、彼は1945年生まれなので、私よりも8歳上であると書いていた。

私が高校1年生の時に、伝説のバンド「クリーム」の曲を聴いたのだ。

その頃に、エリック・クラプトンは23歳のはずだが、すぐに「クリーム」を解散して、「ブラインド・フェイス」を結成する。

はじめて聴いた曲は、なんだっただろう。

ラジカセでひたすら録音していた頃なので、ラジオでかかるようなシングルカットされたものである。

レンタルレコードの店はあったが、高校生の頃は借りたことがない。

クリームの「ホワイト・ルーム」か、「サンシャイン・オブ・ユア・ラブ」あたりだろうな。

「ストレンジ・ブリュー」とか、「バッジ」という、かっこいい曲もあったな。

それにしても、エリック・クラプトン23歳の頃である。

遠い島国の、秋田の山育ちの高校生が、それを聴いていたと思うと、不思議なものである。

インターネットなんてものがない時代である。

 

ところで、エリック・クラプトンの来日公演であるが、なんと今年の6回の公演で、日本武道館での通算公演が110回になったのだそうだ。

通算回数1位が矢沢永吉157回で、2位松田聖子129回と4位アルフィー103回の間に、エリック・クラプトンがいる。

矢沢永吉松田聖子アルフィーは、誰でも知っているし、聴いたこともあるだろう。

でも、エリック・クラプトンは、誰でも知ってるわけではない。

遥か遠い国イギリスのアーティストが、この回数ってどうしたことだろう。

初来日が1974年というから、半世紀にわたって定期的に来日していたのだから、これだけの回数になるのか。

かつては、東京の他にも何ヶ所かツアーしてたようだから、武道館以外の公演回数も数えたら、すごいのだろうな。

ところで、エリック・クラプトンのファンというのは、どんな人たちなのだろう。

彼が初来日した1974年は、彼の20代の終わり頃であり、ソロの音楽活動を始めていて、自らのバックバンドを率いていた。

彼は、ヤードバーズ、ブルースブレーカーズ、クリーム、ブラインドフェイス、デレク・アンド・ドミノスというバンドで、10代から20代を過ごしていた。

その頃にファンになった世代は、今は私のように70代になっているだろう。

クリームが、日本で知られた頃に、20代だった世代は、80代、もしかすると90代かも知れない。

だから、彼の来日公演はすべて、ソロ活動になってからである。

「ギターの神様」みたいに言われた人なので、その頃にファンになって人たちも多いことだろう。

 

高校生の時からのファンなので、彼の音楽活動などについては、それなりに知識はある。

でも、この動画をみて、はじめて知ったことがある。

 

彼は、16歳の母親と、英国に駐留していた米軍人の父親の子として生まれた。

父はすぐに帰国し、母は子を祖父母に預けて、外国へ行ってしまった。

母のそばにいることを望んだが、叶うことはなかった。

それが、彼の人格形成や人間関係に影響を与えたのだろう。

そして、誕生日にプレゼントされたギターで、ブルースを弾くようになる。

 

彼は、若い頃からビートルズのメンバーと知り合っている。

特に、ジョージ・ハリスンとは、親しかったようだ。

エリック・クラプトンが、ビートルズのレコーディングで、ギターを弾いていたことは知っていた。

「While My Guitar Gently Weeps」である。

たしか、来日公演でも、ジョージがギタリストとして参加したことも記憶にある。

でも、彼がまだクリームというバンドにいた時に、「バッジ」という曲を共作して、演奏もしていたということは、はじめて知った。

 

1974年の来日公演の後、彼はこんなひどい国では、演奏したくない、と怒っていたそうだ。

日本の聴衆が、あまりにも静かすぎて、反応を感じられなかったらしい。

いつも、騒々しいまでの歓声や騒音の中で演奏してきた彼には、日本は異世界だったのだろう。

わかるような気がする。

クラシック音楽の演奏会のように、ロックも聴いていたんだろうな。

でも、あの静寂が、演奏者に対するリスペクトであり、音楽を真剣に聴こうとする姿勢だということが理解できたのかもしれない。

なんと、二十数回も来日して、コンサートをやってきている。

いつか、日本は彼にとって特別な国になったらしく、公演がなくても来日していたらしい。

動画には、お気に入りのお店の前で、並んでいる彼の写真もあった。

トンカツ屋さんの前で、毛糸の帽子をかぶったおじさんがいる。

 

この数年、体調が悪く、足腰、手先などの状態が良くないらしい。

一昨年の来日公演の際に、これが最後のコンサートであることを、日本の聴衆に言おうとしていたが、心変わりして、また来ることにしたとのこと。

彼が日本を愛するように、彼は日本に愛されたとも言えるかも知れない。

日本人好みなのかも知れない。

なぜ、こんなに日本人に好かれるのだろう。

やっぱり、彼の繊細なギターやボーカルだろうか。

彼は、ギターを弾き始めて、アメリカのブルースに惹かれていったようだ。

その頃の、イギリスのバンドはブルース志向のバンドが多い。

10代の頃から、バンド活動を始めるが、ヤードバーズ、ブルースブレーカーズと、ブルースバンドである。

そしてクリームで、やっと自分がやりたかった音楽に取り組んでいる。

でも、バンドというのは、メンバーそれぞれの個性がぶつかりあう。

やっぱり、クリームはトリオだったけれど、音楽性というのは、違うわけである。

ブラインド・フェイス、デラニー&ボニー、デレク&ドミノスを経て、ソロ活動となる。

 

レコードやCDを自分で買って、しかもコンサートを生で見たのは、数えるほどしかいないと書いたが、数えてみたらたしかに、ほんの数人しかいなかった。

エリック・クラプトンの他は、ホセ・フェリシァーノ、レイ・チャールズB.B.キングぐらいか。

でも、レイ・チャールズは、CD買ったことがない。

日本人を入れても、高橋竹山三上寛かな。

高橋竹山は、津軽三味線の名手である。

津軽三味線には、木田林松栄という方もいたけれど、彼は豪快な三味線で、竹山さんはどちらかと言えば繊細な三味線だった。

なんか、エリック・クラプトンと似ているような、気がする。

 

 

 

seiko-udoku.hatenadiary.jp

 

seiko-udoku.hatenadiary.jp

seiko-udoku.hatenadiary.jp

seiko-udoku.hatenadiary.jp

seiko-udoku.hatenadiary.jp

seiko-udoku.hatenadiary.jp