(天明六年 ― 一七八六)かんな月一日になりぬ。
しりなる月(九月)うすつきたるもちひを、けふは煎てなめるためしなればとて家ごとにてせり。
前屈といふ処の翁の年は、もゝとせ二とせのよはひをつみたるが、あが手づくりにしたるとて、はつよねの?米を、さゝやかのいろ/\袋にいれて持来けり。
人々、こは世中にたふとき齢もてるかなとて、めでのゝしりあへり。
此よね、いさゝかくらひて、けふのいはひにたぐえてとて、みな、さかづきとりてまどとりてまどゐしたり。
星の名のいはゐの水にたぐえてやくむとつきじちよのさかづき
二日 いとはや冬のめきたりとて埋火ちかくよりて、こは処からなど宵うち過るまでかたらふに、山風吹きて、さと、雨ふり出たれば、
山風の又たがさとへさそふらんこゝにさだめぬ夜半のしぐれを
かくなん清古のいへり。
われも、おなじこゝろものせよといへば、いへり。
あすは又いずこにぬれん旅まくらさだめぬ宿に時雨ふるなり
と、書はつる。
ほどなふ雨又ふりて、遠方の空になる神聞えて、風おちて、いよ/\ふりて玉水も聞ゆ。
三日 初秋時雨といふことをよまんとてよめる。
秋くれしいろこそ見えぬ冬来ぬとけさはしぐれのふるさとのかみすき
おなじこゝろを、清古。
きのふみし空はいつしかふゆきぬと雲もあらしもしぐれてぞゆく
又其はらからなる、清儀。
むら雲のひまこそみえぬかみ月あきもあらしにはつしぐれふる
四日 尋残紅葉を、清古。
たづね入かひこそあれや山かげの色をひと木にのこすもみぢ葉
といへるに、われもいふ。
山風の吹だにしらずこがくれて冬もみたにゝのこるもみぢば
五日 きのふより雨いたくふりて、神さへなりて風猶はげしく、ひねもす吹たり。
六日 いたく水の落くる根山のかたは、いろ/\そめなす紅葉おもしろく見やりて、
ひヾきにもさそはれぬべし紅葉ばのにしきにかゝるたきなくもがな
七日 あるじ清雄、あがうへのことおもふとて、
むすぶにも旅のころもで氷るらし霜かれはつるくさのまくらは
此かへしをす。
[空白]
八日 雨のはれま、梅森のそがひの紅葉なべてうつくしければ、いざとて見つつ、
梅杜の山のもみぢのくれなゐははるのこそめのいろもをよばじ
九日 このゆふべ、あるじとものして本末をいへりし春の処に、
「花ちるべくとたが笛のこゑ」とありしに、「是も又やみはあやなし春のよに」といひて更たり。
十日 もみぢかりといふことを句のすへにおきて其こゝろを、
木々の色も紅ふかみ野路やまぢしぐれていくかそむる也けり
十一日 竜沢寺といふ山寺に、いとよき紅葉ありといひて見に行てければ、大なる木のしたはまだ時雨をまつは、一しほ、ふたしほともいひつべけん。
うれは、ちしほにもすぎて、みほとけのこがねの光も、あまたとゝなへたるあかのくなど、みな此紅にそみて、酒いむみてら(禅宗)ながら、こゝらの僧たち、ゑひたるかほのつらさしいだして、のぞきありき給ふ。
あるじの上人、たヾ見てはいかヾと、おかしきふしにことよせて、うちつけにもあらざりけれど、いつ/\のかはらぬ、かたほなるこゝろをつくりいでつ。
うすくこきいろをつくして紅葉ばのわきてしぐる庭の一もと
こと木までいろどりかへてもみぢ葉の夕陽まばゆき千入初入
わきて又紅ふかくそめかみのめぐみもしるしにはの紅葉ば
又人々の聞えたるもこゝにのす。
つゆしぐれかさねていく日ふる寺の庭にそめなす木々のもみぢ葉 清雄
山寺にきのふはふかきつゆしものほどもしられて染るもみぢ葉 定省
けふいく日そめつくすらし露しぐれひと木にもれぬにはのもみぢば 清古
しぐれにもをよばぬいろをなべて此ゆふ日にそむるにはのもみぢ葉 為知
ちしほしむにはの紅葉のいろ見えてしぐるゝ袖もうつる斗に 幾奴子
露しぐれそめなすまゝにふる寺の庭の紅葉のいろそえならぬ 曾無子
十二日
十三日 あさびらけ行空のおかしう霜ふかし。
十四日 きのふにをなじく暮たり。
十五日 よあけなんほりならん、なへ(地震)いとながやかにゆりもてわたれば、霜がれの外山に、きヾすのほろ/\と鳴たるはめづらし。
十六日 よ(夜)くだち、人さだまりたるころ風はげしう吹て、灯けちぬべう時雨ふり出たり。
夜あらしのひまもとめてやむら時雨もらぬにしめる閨のともし火
十七日 きのふにひとし。
十八日 きのふのごとし。
十九日 あしたくもりてひるはれて、なへしたり。
二十日 いざは(胆沢)のこほりに行て八幡のおほんみやにまうで奉り、又わかれにし人々にも、ふたゝびたいめせまくとて出たつ。かくて衣川(胆沢郡衣川村)にきけり。
いはね、たかきしの紅葉なかばちりはてて、梢さびしく見つゝ過るに、
ころも川いろそめかへて紅葉ばのにしきながる、水のひとむら
まへ沢に出たり。