「かつて漢文は、東洋のエスペラントであった。」
加藤徹氏の「漢文の素養 誰が日本文化をつくったのか?」(光文社新書)」は、こんな言葉ではじまる。
この本を知ったのは、「往古の追慕」というサイトだった。
日本の歴史と文学の漢文書籍のテキストを網羅しているサイトの管理人が、浦木裕という方で、プロフィールに参考文献がのせらていたのだが、最初にこの書が掲げられていた。
浦木裕は日本名で、本名は「黄祖虹」という台湾の方である。
この方は、コンピュータ・プログラマーらしいのだが、「久遠の絆」というアニメのファンサイトも運営されているようなのだが、どういうことからこのサイトが始まったのかよくわからない。
このサイトは、日本の漢文書籍が網羅されいる。
日本の漢籍については、日本書紀から大正天皇御製詩集にまで及ぶ。
しかし、すごいのは、日本人による日本的な漢文や日本語で書かれた文学を中国語訳していることである。
たとえば、「古事記」これなどは、そのままでは中国の方には理解が難しいのかもしれない。
「竹取物語」、「真字万葉集」、「古今和歌集」、「小倉百人一首」などを翻訳しているのである。
日本では、漢文を国語教育の中で位置付けている。
それでも日本人にとっては、漢文は敷居が高いものである。
私が知ってる限り、日本の漢籍について、扱っている日本のサイトは、ほとんどない。
ところで、「エスペラント」である。
これが何者であるかを、どれぐらいの年代だったら、知ってるのだろうか。
高校生だった頃、エスペラント語というものがあって、世界の共通語を目指したものであることは、私でも知っていた。
その普及を目指す「エスペラント協会」というものがあるらしいことも、知っていた。
たしかに、世界共通語のようなものは必要だろうと、思ったものである。
正確には、世界共通語ではなく、「国際補助語」という表現をしていたらしい。
ポーランド人のザメンホフという人が19世紀後期に考え出したものだが、私が高校生だった頃は、まだ存在感があった。
ところがその後、「エスペラント」ということばを聞くことが、全くなくなってしまった気がする。
考えてみると、「国際補助語」としては、英語が使われるようになったのではないかと、思う。
さらに、インターネットの普及が、それを加速させている気がする。
世界のほとんどの国で行われている外国語教育の中で、英語がたぶん圧倒的に存在感が大きいだろう、と思う。
あらためて、「エスペラント」という人工語を使う必要はないということだろうか。
漢文は東洋のエスペラントと聞いて、私が思ったのは、ヨーロッパにはラテン語があったな、ということだった。
たしかに、ヨーロッパで学者たるものは、ラテン語を使わなければ、認められなかったというのを読んだことがある。
「漢文の素養」の中に、このように書かれていた。
高位言語は、伝統と権威のある古典語であり、叡智の宝庫であった。 その文法や語表現は、洗練され、規範化され、国際語としても使われた。 東アジアでは漢文が、西欧ではラテン語が、インドでは梵語が、中東では古典アラビア語が、チベットからモンゴルにかけては、チベット語が、 それぞれ高位言語の地位を占めていた。
著者の加藤徹氏は、東京大学中国語科出身の、中国文学者であり、小説家でもある方である。
言語について、このような観点から書かれた文章は、はじめて読んだのだが、とても興味深いものだった。
近代以前は、 どの文明国も、三層構造の言語文化をもっていた、というのである。
上流階級は、高位言語言ってみれば文語を使い、中流階級は口語化した文語を使う。
下流階級は、読み書きができない。
これは、だいたいどこの国にもあてはまることだったようだ。
たとえば、日本だったら上流階級と言えるのは、漢文を読み書きできる人である。
中流階級は、漢文を日本語化した変体漢文を使った。
下流階級は、読み書きができない、文盲ということになる。
日本では、漢文の素養のないのもは、学者にはなれなかった。
江戸時代末期に、蘭学者の杉田玄白が「解体新書」を著したが、漢文で書かれている。
私がこのブログに連載している「菅江真澄」の日記は、「擬古文」という文体で書かれている。
これは、平安時代の和歌や仮名文を模範として書かれたものだが、彼の文章を読むと、漢文の素養に基づいて書かれたことがわかる。
英語教師であった夏目漱石が、親友の正岡子規と漢詩のやり取りをしていたことを知って、驚いたことがある。
明治時代においても、漢文の素養がいかに重要だったかを考えるには、明治の文人の筆名をみればわかると思う。
先日のブログにあげた、「現代詩人全集」の収録詩人名である。
北村透谷 國木田獨步 宮崎湖處子 太田玉茗 森鴎外 島崎藤村 土井晩翠
與謝野鐵幹 與謝野晶子 兒玉花外 河井醉茗 伊良子淸白 橫瀨夜雨 薄田泣菫
蒲原有名 岩野泡鳴 北原白秋 三木露風 木下杢太郞 石川啄木 有本芳水 野口雨情
これをみると、ほとんどが漢文の素養に基づいていると考えざるを得ない。
この書では、「西洋では、ラテン語が」「高位言語の地位を占めていた。」と述べている。
ヨーロッパでは、学者はラテン語で著述しないと認められというのは、日本における漢文の地位と同じだったのだろう。
イギリスの科学者ニュートンは、1689年に『プリンキピア』を英語ではなくラテン語で書いたのだそうだ。
英語で書いたのでは、論文として認められなかったのだろう。
ローマ帝国滅亡後も、ヨーロッパの学術、宗教、法律などの分野で重要な役割を果たしてきたそうだ。
そういえば、動植物などの学術名もラテン語だった。
現在は、日常語としては、使われてはいないが、カトリック教会の公用語であるということなので、「バチカン市国」の国語になるのだろうか。
そんな「ラテン語」というものがあるのに、なぜ「エスペラント」を作ったのだろうという問題がある。
やはり、ローマ帝国という政治権力、カトリック教会という宗教、そういうものから離れたもの、もっと新しいものが必要だったのだろう。
「東洋のエスペラント」、ここでいう東洋は、中国、ベトナム、朝鮮、日本、さらにその周辺という範囲だろう。
それに隣接して、「インドでは梵語が、中東では古典アラビア語が、チベットからモンゴルにかけては、チベット語が」がある。
このシリーズの前回、中国人がインドまで出かけて、仏教経典を持ち帰り、さらに中国語に翻訳したことを書いた。
インドの梵語は、サンスクリット語のことで、古代インド・アーリア語であり、インド・ヨーロッパ語族に属するということだ。
これに対し、中国語はシナ・チベット語族に属し、全く系統を異にしている。
そのような言語から、中国語に翻訳したというのは、玄奘三蔵自が自ら翻訳作業したのかどうかはわからないが、サンスクリット語に精通した人たちがいたということだ。
中国では、仏教は歓迎されたようだ。
中国から仏教を導入した大和朝廷は、これを国家鎮護に利用しようとして、国分寺や国分尼寺を設営している。
ヨーロッパにおける宗教を考えると、ローマ帝国との関係が重要である。
当初は、帝国内におけるキリスト教は異教として弾圧された。
それが、4世紀になって方針が変更されてキリスト教が、国教とされた。
しかも、キリスト教以外の宗教が、異教として禁止された。
ヨーロッパは、ギリシャ神話、ローマ神話、ケルト神話、ゲルマン神話、北欧神話など、神話の宝庫のような気がする。
日本では、北欧神話は漫画やゲームで扱われているように思う。
ところが、そのわりには、テレビなどでヨーロッパの旅行番組があっても、、神話関係の施設や行事などがほとんど扱われていない。
やはり、キリスト教教以外は異教扱いされたので、そういうものは憚れて、消えてしまったのだろうか。
そして、中東に近い国々以外は、ほとんどがキリスト教国となっている。
日本だって、先に述べたように、政治権力が仏教を利用しようとしたから、仏教が普及したと言える。
日本は、「本治垂迹」の考え方によって、仏教と神社が一体化してしまったので、寺院と同じくらいに多くに神社が存在している。
言語文化だけでなく、宗教についても、政治的な影響というのが大きかったのだろう。
ところで、この本を読んでいたら、意外なことが書かれていた。
「イギリスやアメリカの学校の授業に「古文」はない。」
「西洋語は、文字が発音の変化を忠実に反映しすぎて、綴りが百年単位で変動してしまうため、千年もたつと「外国語」になってしまうのだ。」
だから、英語最古の叙事詩「ベーオウルフ」は、八世紀の作品だけど、一般の英米人は音読さえできないというのである。
日本人は、千年前の「源氏物語」を、けっこう苦労すれば、読んで理解することができる。
イギリスの学校教育で、シェイクスピアが教えられているというのを聞いたのだが、シェイクスピアは「古文」ではないのだろうか。
シェイクスピアは、日本でいえば、戦国時代から江戸時代初期の人なのだが。
たしかに、日本人は「源氏物語」を原文で読めるが、考えてみると漢字を使っているから、解読がしやすいのではないか、と気がついた。
たとえば、冒頭の文章は次のとおりである。
いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。
これを、漢字をひらがなに置き換えると、こうなってしまう。
いづれのおんときにか、にょうご、こういあまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなききわにはあらぬが、すぐれてときめきたまふありけり。
読めないことはないが、漢字語がかなになってしまうと、そのことばがなにを指しているのか、とても手間どってしまう。
漢字という、「表意文字」の役割は大きいのだ。