晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

すわのうみ ① 菅江真澄テキスト

睦月十五日、諏訪のみやしろの筒粥の御かんわざにもうでんとて、丑のくだちにおきて出行。
かくて、汐尻に来けり。
大なる木の高きを、道中に立たり。
そがうれには、いろ/\の紙もてしできりかけ、しろ紅のはちじやう紙に、はたがみの小帒そへて付たり。
そがなかばよりは、しりくへなはを蛛のゐのごとく引たり。
こは御柱とて、十三日の朝、はつのむこがねに土はらせてゐくひさヽせなどするためしといへり。
町/\ところ/゛\にたてたるは、月のあかりにおかしく見えたり。
こヽをかき沢といふ。
 
   咲梅のいろをも香をもふりうづむ雪にへだつるかき沢のさと
 
けふなん、春の立ければ、長居坂にかゝりてつららふみ分て、
 
   解そむる岩間のつららながゐ坂こえ来る春のあとをこそ見れ
 
大飼のしみづと音に聞くえたるを、
 
   おしみにし年はきのふにいぬかひのしみづの氷とくはるは来ぬ
 
月の影かと見れば、誰袖もましろに霜おきわたりて、あしてしみこほりぬるに、
 
   うちつどひかさなる袖にふる霜をはらへど月の影ぞさえ行
 
峠にのぼりえて、遠方を見れば、月は雪の外山におつるに、からすの二声三声音信て過けるかたは、むらさきたちたる空のにほやかなるに、不二はことやまにまよふかたなくひとりそびへて、しろがねしきたらんやうなる氷をきりわかちて出ぬとおぼふ。
やがて其郷につきぬ。
いまだ明はてぬそらに、小供等あまたこゑして、ほぐしもやし何やらんうちたゝきて、けふはたれが鳥追、太郎殿の烏追か、二郎殿のとりおひか、をらもちと追てやろ、ほんからはと、山谷どよみて、田づらや、くろをうたひめぐるは、声うちからしまけたる里に、さちなきためしにこそ。
ふじは、いよゝ俤けしきさだかに見えたり。
この春宮にぬさ奉るとて、
 
   あふげたゞ今朝はかすみのたつがみゆ春てふみやのはるのめぐみを
 
みやしろのこなたかなたに、ほだたきて人あまたあつまりて、わらぐつの霜とかしぬ。
御社のかたはらには、はしら四ッ立たる中に、かなへすえて、けふのつゝがゆにるめる。
御神楽のこゑを聞つつ、御かんわざのはじめをまつに、つまとおもふころ、ちいさやかなる戸おしひらけば、われさきにいらんと、、うへをしたへくゞりあひて、わきざしのつばにかしらをうたれ、かしこの釘に袖うちかけてやぶられ、こをなでみさすりみ、おし合ゐよりて、やたてにいきしかけて、今やいまよと待ぬれば、祝、あけ、くろ、しろのたもとゆたかにきだはしにのぼりて、かしは手はた/\と聞えて後、しろきたもとのはふり、かの筒やぶりてなりはひのよしあしをよばふ。
手毎に、つかみじかの筆にて、ふところ紙に書付。
こは、よね麦よかりつるよ、ことしは世中ゆたかならん。
去年のけふの、うらひあしかりしと聞えしごとに、あさまが嶽やぶれて世のうれへとなりぬ。
此占のたふとさよ、御粥は夜さり、子のはじめより、御はしに日あたるまでにやして奉ることは、年ごとのためしなりけるなど、声高に語りき。
はてぬれば、みなかへりぬ。
 
   今朝春の霞の衣うらとひてそのいつ草のうへやしるらん
 
雪ふみわきて、秋宮にまうでてよみし歌に、
 
   した萌る尾はなが袖のをもかげを雪にぞみつる秋のみやしろ
 
海べたにのぞみて、御渡リのあとをみれば、みさかよさが凍たちやぶりて、西ひんがしに青みながれたり。
此氷のうへを、かち木といふものをはき人々わたれり。
 
   諏方の海神のわたりしあとヽめてあやうげもなく通ふ諸人
 
此かへるさも、ふじのねはほのかすみて、雲のしろくながれたるけしきの氷のうへにうつりたるを、たかねよりみくだしたる、たぐひなし。
しばしとゞまりて、
 
   をしがものみなれぞなれしあとたえて見るめも波の氷る海面
 
   たぐひなきながめをこゝにすはの海の氷のうへにうつるふじのね
 
ひねもす雪ふみわきてかへりぬ。
あくる夜、夢のうちに、此春みやの御まへよりふじを見やりて、
 
   すはの海がすめるふじのうつるかな衣が崎にはるやたつらん