(序文)
天明五年乙巳秋八月三日、みちのおくつがろ路にいたりて、ふたゝび、いではの国齶田のさかひをわけて、十二所の関を越て、沢尻といふ邑に来て、おなじ葉月廿五日までかいて、名を《そとが浜風》とせり。
おなじき廿六日より又みちのおくの南倍(部)可都埜(鹿角)にいたるを、べちに記して《けふのせは布》といふ。
(天明五 - 一七八五 - 年八月三日)比山中の、ニあるかんやしろは、いでは、みちのおくの国ざかひにして、ここよりみちのおくの国耶麻郡東日流(津軽)花輪庄赤石の組といひ、なべて合浦(がっぽ)といふ。
あら磯つたひわけ来て木蓮子阪(青森県西津軽郡岩崎村)をくだる。〔天註‐‐木蓮子崎、木欒樹多し〕
鴛鴦石と名によぶ岩のあれば、〔天註‐-秋来れば鳴や雄鹿のまだら雪やまのこほりは音もせぬかな〕
さゞれ石の幾世契てをし鳥のなれる巌のすがたなるらん
仏碕といふは、おのづからなりませる、石のぼさち(菩薩)おましませばなり。
関屋を越て大間越(岩崎村)といふ処にて、津梅川を渡る。
これよりの道ののり一里の遠さを、よそちよまち(四十四町)にふみわきたり。
いまだ日たかけれど、黒崎といふ磯やかたに宿つく。
このはまの海士、あなゝゐのたかきにのぼりて、はねつるべして寄来る浪をくみて筧にながし、貝釜におとしいれて塩やきたり。
たれ潮てふものは、磯におまします神の好給はねば、みな、かゝる貝をねりてかまとなし、あら汐を其まゝ煎てけると。
見ならはぬ、しほやのさまなり。こゝをしぞきて見やりて、
しほがまにむすぶけぶりの行衛なみ空に吹とく外がはま風
四日 朝たち来る野良山路の、薄、たかがやに生まじりて、あかゞちの実紅に、いと多く見えたるはめづらし。
神明のみやしろのあるこなたに立るを的岩といへり。
いにしへ出羽の司雄鹿の島より神の箭射おこし給ふが、この石に中(あたり)しとて村を的神と名附と、みち行人のかたる。
沓かはんとて軒近う寄れば、やの翁、やせはぎ、さしのばして炙しけるが、橇にしりうたげして、うちゑみ云、此ふり、さこそあやしとや見給ふならめ。
処のならひにて稲穂出そろはぬ間に炙すれば、雪ぐつ、かぢきのたぐひ、ふみものしきては冬のこゝちになしけるためし也。
この翁がうる沓は、みな青きはいかにとゝふ。
こたへて、これは路芝といふ草にてつくりたれば、いくばくの遠路ゆく、はぎつよの人さしても、いとやすくやぶり侍らじ。
またもかひたまひねといふとき、おもひつゞきたり。くつといふ事を、
くさの葉にあさおくつゆのみち芝をふみて千里のはまや行まし
森山(岩崎村)とて、海の中にいろ/\の右立ならびたる処のおもしろさに、籍もて鮑(あわび)つきめぐる小舟にこひのりて、こぎめぐらせば、大なる岩はみな蜂のすみかのごとに穴あるに、あら潮のうち入て、ごぼごぼとなること神にひとしう、浪もとゞろけばおそろしく、舟よりあがり岸つたひ来て、ひねもす浜香〔珠流河(駿河)の国三穂うとはまにて、波末波非をはまぼうといふたぐひにて、これも蔓■ならん〕〔天註--礼記注云、芸音雲、和名久佐乃香、香草也。右見于和名鈔〕といふ花のみふみしだき来れば、沓もかぐはしき匂せり。
房田(久日)、浜中、岩崎、中山(以上岩崎村)といふ処を来つゝ(中山)峠よりはる/″\と見渡せば、松前の島は小笠などのやうに遠つ波間にたゞよへり。
深浦(西津軽郡深浦町)といふみなとにつきて、とまりもとむ。〔天註--沢辺沢といふところに冶操韛(たゝら)の声ありといふ。吾妻浜あり、土石みなあかし、桂景〕
五日 鵆(ちどり)のむれるを見つゝ比こゝをたち出去とて、浦の名をかくして、
をのがつま恋つゝよぶか浦づたひちどりしば鳴声聞ゆ也
広戸(深浦町)、追良瀬〔天註--追良瀬、山中一里余、観世音祠あり、堂塔鬼作なり。
山中胎内潜を過て岩洞の中に堂あり、三十三体、見る人により数ことなり〕といふ浦づたひ、みちをそく行こうとして驫木(とどろき)といふ浜になれば、小供ら、磯辺に咲上る小車の花ひたに折て、寄来る浪にとらせて戯てあそぶに、おもふことを、
うなひ子にひかれてめぐる小車のなみにいくたびとゞろ木のはま
こよひはこゝに宿もとめたり。
六日 鳥井崎、風合瀬音、晴山(深浦町)といふが見えたる。〔天註--弁天岩、浦島岩〕雨のふれば、
うちむかふ山は名のみぞかきくもり千里の浪にあめ頻なり
田の沢、西の小浜(深浦町)といひて、世にしらぬおもしろき処ありけり。
金井箇沢、関邑、あまつつみ通るばかり雨いよゝふりて、こヾしき浪風に、澳(おき)なる船は柱のみたてり。
又、しるべばかり帆曳て飛がごとにゆき、楫も浪にとられたるならんと、こなたの磯に見るもなみだながして、あなあやうし、しづみはてなん、あら潮のからきめ見ける楫とりの心いかゞあらむと見れば、もとどりきり捨て万の神にや祈らん、髪うちみだれたる男、たなごゝろをあはして、いそ辺ちかうたゞよふを、
見るめさへおぼつか浪のあら浪にまかせぬ舟やいかにうからん
柳田、桜沢(ここまで深浦町)、こゝに桜明神とて、細長き石をいくつもさゝやかの祠にならべたるは、いかなるゆへかあらん。
赤石といふ川、みかさ増りて行ことあたはず。
川岸の牛嶋(鯵ヶ沢町)といふ苫家形に一夜をといへど、ゆるさゞるをわびて宿をもとめたり。
よもすがら波風にさはがれて、のこるやもなう吹たをれなんとて声のかぎり叫ぶ。
風いさゝかうちなごみて夜は明たり。
七日 船やぶれたりといふは、きのふ見しにやあらん。
又こゝのみなと、かしこの浦にてもふねしづみ、人あまた死うせたるなど、こゝらのさはぎ也けり。
こはあさましや、やがてかりをさめなん田づらの稲穂、風のために、ましろになりてうちふし、はたつものも残る方あらじと、ふなのさはぎにとりまぜて世中のありさまを男なげけば、めもなきいさちぬ。
又とひ来集る人も、をとゝしのけかち(飢渇)にやまさらん、あがくには、
いかなるさきの世のおかしありてや、かゝるうきめを見るならんと、声どよむまで、みななきぬ。
けふも河水いやたかくながれて、越べきちからなければ、かねゐが沢までふたたびかへりて、小埜何がしがやにとまりぬ。
あるじ、ねもごろにものしてければ、こゝろおちゐたり。
更行(ふけゆく)ころ、衣うちける声たえず聞えたる。
いとまなみめかり汐くむ海士衣ほすま有てか砧うつらん