菅江真澄
六日 空うらゝかにいとよし。 岩碕(崎)といふ村に行とて、杉沢(湯沢市)とかやいふ村中に、垣ねおしめぐらして黄なる花咲たり。 この花は、むつきのはじめ、いまだ雪のかゝりたる垣ねに匂ふ万作といふ花〔木まんさく、草まんさくとてあり。草万作は福寿草…
十六日 あしたより雪ふり、さむさしのぎがたし。やごとにくらふ、ふきとりもちといふは、あつ湯にうち入たるもちに豆の粉ふりたるが、雪吹に人のふかれたる吹とり〔ふきたふれならん歟〕といふに似たるとて、比ことにたぐえたるといへど、まことは、福取餅な…
天明五年乙巳正月朔より四月のすゑまで、出羽の国おかちの郡のあらまし、小野小町のふる跡をたづねしを記したり。 胆氐波(出羽)のくに於雄勝の郡、飽田(秋田)のあがたにて年を越り。 天明五年正月朔、はつ日きらびやかにさしのぼる光に、雪の山々にほや…
「おののふるさと」は、天明5年(1785年)の正月を、滞在していた出羽雄勝郡柳田(湯沢市)で迎え、春になると、付近の小野小町の古跡や院内銀山などを訪れた4月末期までの日記である。 小型本で、全35丁で、これもまた、「あきたのかりね」と同様に、図絵がない…
霜降月のなかば、湯沢(湯沢市)〔いにしへ出湯ありしといへり。 いまも山はたけの畔より湯いづるところあり。かくちといふ。 たばこいづる里也〕のうまやに行ば、雪は五六尺にあまりて、かた岨、谷などをのぞむがごとくおぼへたり。 かく、しみ氷りたる雪の…
十日 みちつきたりといふまゝ、ふねにのりて川ひとつ越て、雪のなか路をかいわけ行くば梭はしとて、木を間遠にあみたるに雪のいたくかゝりて、日のてれるに半けち行たるを、見るだにおそろしき谷川のどよみながるるを、人にたすけられて、からうじてわたりぬ…
三十日 しほこし(塩越)をたつ。 大汐(塩)越(象潟町)の村を出て、飛(金浦町)といふところに至る。 いにしへ、みちのおくのしほがまひとつとび来けるとて、今神とあがめて、村をもとびと附たり。 そが沖のとびしま(飛島)、波路はる/\゛と見やられ…
甘八日 きのふのやうに雨風すれば、はが/\゛しからじ。 はる/\゛ヽこゝをさし来て、ほゐなうかへらんもうければ、晴ぬかぎりは、 「海士のとまやにあまた旅ねぬ」 と、顕仲朝臣ののたまひしも、げにもとおぼへて、けふはあたり見ありく。 此磯のなのりそ…
廿四日 雨ふればあるじの上人、けふはなにくれかたらん、とゞまりてと、せちに聞え給へば出たゝず。 ー湯あみの日なれば、大鼓、なる神の頻がごとくにうちならして、開山禅師の御杖をまつさきによこたえ、手ぬぐひ、香炉など、あまたのすけとり/\゛にもち…
廿一日 あさとく山岨のみちをくれば、山谷の紅葉いとよし。こを、しばし見つゝたゝずみて、 うすくこき蜂の?の紅に山ははぐろの名に似ざりけり 瀬川(添川-東田川郡藤島町)、二か沢、添津、山崎、苅河(以上立川町)、かゝるところを過来れば、阿古谷稲荷…
二十日 空ことなし。 比日羽黒山(東田川郡羽黒町)にまうでんとて、やを出て、やがて梵字川のへたをつたふ。 此みなかみは月の山の雪消の水、湯殿山のしたゝりといふ。 赤河といへるを舟にて渡り、三橋(東田川郡羽黒町)といふところに来けり。 三ところに…
菅江真澄の文章を、テキスト入力している。 OCR処理したテキストの認識誤りの部分を訂正していく。 たまには、ひらがなやカタカナの誤りもあるが、ほとんどは漢字、特に画数の多い複雑な漢字である。 それを、IMEパッドを使って、目的の漢字を探して正しい漢…
菅江真澄の旅日記を、電子テキストに入力している。 全集第一巻の最終の日記となる「外が浜つたい」を入力していた。 天明8年(1788年)、真澄は南部領から津軽領三厩を目指して歩いていた。 蝦夷地への渡航のためである。 すでに、天明5年に秋田から津軽に入…
十六日 つとめて中山といふ処をへて矢引といふ山阪の路のぼりて、家ひとつあるにものとへど、さらにこたふる人もなく、柱につなぎたる猫のみ、ねう/\となきてけるわびしさに、まへなるあぐらに遠方を見つゝいこへば、かりがねの聞えたるをあふぎて例の戯れ…
天明四年甲辰の九月十日、出羽の国に入たるより、おなじき、しはすの三十日の夜までかいのせ、はぐろやま、きさがたのことをしるす。 いではのくに田川郡鼠が関といふ、うまやのをさがやに泊りぬ。 これよりなべて庄内とよぶ。 こゝより、なにさ、かさと、言…
久目路乃橋より 秋田県立図書館デジタルアーカイブ 押田村をへて西条といふ処に至る。 ここに雁田の神とて誉田尊をあがめまつる。 ほくらのうちに石のおばしがた造り、いくつもならべたり。〔天註--本洗馬村のあしの田といふ処の、わかみや八幡もおなし雄…
久目路乃橋より 秋田県立図書館デジタルアーカイブ かくて、此寺に近き家に宿つきぬ。 女の童雨ふれ/\といふに、いろはにやあらん、かまけるな、こよひはふりなん、雲のたたずまゐいとよし。 ことかたは、をり/\ふりけれど、此山は水無月十日斗にふりた…
久目路乃橋より 秋田県立図書館デジタルアーカイブ 廿五日 日乗寺におはしける悲珉上人をとぶらへば、みずきやうをとどめて、いとたうとげに、ねんずつまぐり出むかへるに、れいのよしなしごとに、みどきやうとどめたまひなんもこころうければ、ふたたびとい…
久目路乃橋より 秋田県立図書館デジタルアーカイブ 廿二日 つとめて千曲川のへたをつたひ、 「科野なる知具麻能川の左射礼しも君しふみてば玉とひろはん」 とずして、ゆく/\見れば、ここかしこに、つな引ふね多ければ、 千曲河波のよる/\すむ月をもる綱…
久目路乃橋より 秋田県立図書館デジタルアーカイブ 新町といふ里に宿かる。 いまだ日たかければ、とに出てあたり見ありく。 綱曳舟わたし河のむかふ岸辺は、むかし馬場美濃守のこもれる、琵琶城といふ其あと残りぬといふとき、「びはのしろ」てふことを句の…
久目路乃橋より 秋田県立図書館デジタルアーカイブ 十五日 あないをたのみて、度安里於登志見に行とて、相道寺村といふにきけり。 近きころ美濃の国より来けりとて、陶つくりがやどもありけるをへて、山路に入て遠近を見れば、さかしき山のみ十重廿重にかく…
久目路乃橋より 秋田県立図書館デジタルアーカイブ 十二日 よきみちづれのあれば、あはただしう松本を出たつ。 犬飼といふ村に到る。 「鳥の子はまだひなながら立ていぬかひのみゆるやすもりなるらん」 の歌は、束間にちかき浅間の温泉をもはらいふなれど、…
来目路乃橋より 秋田県立図書館デジタルアーカイブ この神のことも、とはまほしくて、神司上条権頭なにがしといふ人のもとに尋ねてければ、あるじ、しばしのほどに、とより帰り来てかたりて云、そのいにしへに厩戸皇子、このやまをめでのぼり分おましませし…
松本につきたり。 牛楯といふ処に、おもしろき滝のありと聞て、見にいかんとて清水村を通る。 こゝは、 「夏来ればふせやがしたに休らひて清水の里に栖つきにけり」 とは、いにしへ人もながめ給ひし名どころ也。 〔天註--またしらぬ人を恋せば科野なる清水…
(序文) 天明四とせ(二七八四)の甲辰の夏、六月三十日旧洗馬村をたちて、越のうしろ洲に行とて、清水の里、桐原のまき、つかまのみゆ、などを見めぐりて、水内の郡に到りて曲橋(この橋を久米路の橋といへり伊那の郡にも同名聞こえたり)を渡りて、この冊…
天明4年6月末、真澄はみちのくをめざして信濃国東筑摩郡洗馬村を出発し、長野を経て上水内郡を通過し、7月末に北国街道から越後に入る。 「くめじのはし」(久米路の橋)は、このあいだの日記である。 日記の序文にあるように、「くめじのはし」という題名は、…
菅江真澄は、天明8年(1783年)に、30歳で郷里三河を旅立っている。 そして、それから46年後の文政12年(1829年)に、秋田にてその生涯を終える。 菅江真澄は、その間に多くの著作を残している。 その紀行文、又は日記にはやはり多くの図絵を含んでいて、私たち…
此月の廿日 沓沢といふ澗かげを行に、 わきて来る人こそなけれくつ沢の水音高し五月雨の頃 小野沢てふ郷の、三村親意がやをとぶらへば、つねにすむやをはなりて、ちいさやかなる庵つくりて、南おもての庭に秋の虫をすすひつべく、まうけしたり。 こゝろにや…
廿八日 けふも萩原氏がやにせる。 あるじの云、われ遠つおやより持つたへ侍る、後水尾院第八の宮かゝせ給ふとて、扇のかたひらに歌六ツめでたき手にてかき給ひし、まことにかくやなど、あまたあふぎてずんずれば、なみだこぼれて、人々もことばなく、此御う…
廿五日 やをいづ。 むまやのをさなる根沢なにがしがやに、しばらく尻かたげしてものかたらふに、あが遠つおやは甚平といひてたけきものゝふにてありつる世に、君の御鷹それ行たるをあやいづこまでもと追めぐりて、みのゝ国の山中にていきつきはてゝ、たヾ空…