晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

菅江真澄

すわのうみ④ 菅江真澄テキスト

三月六日 けふは酉の日なりければ、須輪の御かんわざにまうでんとて出ぬ。 阿礼の御社を拝み奉りて行に、みかきのはな盛すぐるをかへり見やりて、 今しばしとゞめてあれのみしめなはゆふがひもなき花のはる風 かくて塩尻にくれば、花の木いくもとも立ならび…

すわのうみ③ 菅江真澄テキスト

廿八日 直堅がやに、洞月上人はなの歌よませ給ふけるを見て、 世中はまだき盛にいとはやも人のことばのはなににほへる としごとの春鶯きたれば、まづ人とりてこにいれなどすれど、此春はおのがまゝにきなくなど、あるじのかたりければ、 雲をこふうらみもあ…

すわのうみ ② 菅江真澄テキスト

甘二日 今井のむらにまかりて、権正兼遠住給ひし昔の跡とて、馬場から堀筑山のかた斗のこれり。 今井四郎兼平も此あたりにて生れ給ひしとなん。 いまは、かねひら明神とあがめ奉る。 それより宝輪寺にまかりて、尊応法印にまみへ奉りぬ。 通夜、うたよみ物語…

すわのうみ ① 菅江真澄テキスト

睦月十五日、諏訪のみやしろの筒粥の御かんわざにもうでんとて、丑のくだちにおきて出行。 かくて、汐尻に来けり。 大なる木の高きを、道中に立たり。 そがうれには、いろ/\の紙もてしできりかけ、しろ紅のはちじやう紙に、はたがみの小帒そへて付たり。 …

すわのうみ  菅江真澄テキスト

天明4年(1784年)1月から5月までの日記である。 菅江真澄は、前年天明3年2月末に故郷三河を出発し、信濃国に入り東筑摩郡洗馬村の医師可児永通宅に滞留していた。 天明3年の日記は、「いなのなかにち」と「わかこころ」におさめられている。 この年も、引き続…

わかこゝろ⑦ 菅江真澄テキスト

いくとせかこゝろにかけて姨捨のやまにこよひぞ見つる月かげ 僧洞 月 あくがれてをばすて山にみる月のくまなきかげやよもにめづらん 永 通 名にたかき姨捨山にこよひみん月のむしろにまどゐあかして 啓 基 をば捨の山のまどゐに見る月のさやけきそらにかたる…

わかこゝろ⑥ 菅江真澄テキスト

十九日 つとめて浅間をたつ。 このあたりをさして、 「浅羽野にたつ水輪小菅ねかくれてたれゆへにかはわが恋ざらん」 と聞え給ふる。 この朝葉をあやまりて浅間といへるにや。 鈴虫のふり出てながめ紅のあさはの野良やいざわけて見ん 松本を過ぎ村居をへて芝…

わかこゝろ⑤ 菅江真澄テキスト

十六日 つとめて神宮寺といふ寺にまうづ。 このみてらのふみにいはく、彦火々出見尊の妹姫、おはんこゝろ世にさかなうおましまししかば、此かぶり山に捨られ奉りしより、山は姨捨の名におへりとか。 此こと、いづれのふみにかありけん、 「わが心つきはてぬ…

わかこゝろ④ 菅江真澄テキスト

旅衣おもひたつより姨捨の月に心をかけて来にけり すみのぼる光ありやとをば捨の山口しるき月の夕かげ よそに見しみねも尾上もおしなべて月のなかなる姨捨のやま あきらけき御世の光もさしそへて今はなぐさむをばすての月 野路山路分こし露の袖の上に宿して…

わかこゝろ③ 菅江真澄テキスト

十五日 雨雲の余波なう晴て、あさひらけ行空に、月の山口をよろこびうちいひて、宿を出て桑原といふ名のあれば、 草枕かりねの露もおなじくははらはで袖に月やどさなん おなじところのながめを、なをかた。 里の子がかふこのまゆのいとなひもほどへて淋し秋…

わかこゝろ② 菅江真澄テキスト

十四日 よべより雨ふれば、つとめて、あまづつみしていでたつ。 みちのかたはらに、としふりたる松の四本ふし立るに紙ひきむすびたるは、いかなるゆへかあらんととへば、これなん高埜大師の手かけ松に侍れば、身にねがひある人は、かく、紙さきむすびて行侍…

わかこゝろ① 菅江真澄テキスト

天明三のとしの春より、科埜の国つかまの郡に在て、この秋、更科や姨捨山の月見てんと、おもふどちうちものがたらいて、葉月の十三日、いまだ明けはてぬより旅よそいして、もとせんばの里を出て野はらになれば、 さらしなの月おもふとてしるべなきやみにぞた…

わかこゝろ 菅江真澄テキスト

天明3年、菅江真澄は、東筑摩郡洗馬村の医師可児永通宅に滞留中だった。 8月の名月を、更級郡八幡村の姨捨山で眺めるために、風流な同好者数名が誘いあって出かけることにした。 8月13日に出発して、29日に帰着している。 この年の日記「いなのなかみち」か…

菅江真澄の旅と著作

七夕の人形 いなのなかみち 菅江真澄は、天明8年(1783年)に郷里三河を旅立ち、文政12年(1829年)に秋田にてその生涯を終える。 生年は、宝暦4年(1754年)であるので、30歳で三河を離れてから、46年が経っていた。 真澄が、津軽領内から、再度秋田領内に入った…

いなのなかみち⑩ 菅江真澄テキスト

十一日 塩尻のうまやに近う、阿礼ノ神社のありけるに、けふなんまうでんとて、ひるつかたまうでしかば、かうがうしく御籬の狗のむくつけげに、すさまじう冬のけしきたつ風に、あられいざなはれて、みてぐらの社の軒うつ音、杉の青葉にこぼれかゝりて、にぎて…

いなのなかみち⑨ 菅江真澄テキスト

seiko-udoku.hatenadiary.jp seiko-udoku.hatenadiary.jp 廿四日 けふは、風の祭あるといふ。 「科野なる木曾路の桜咲にけりかぜのはふりにすきまあらすな」 となん俊頼のながめ給ふも、此こゝろにや。 須羽のみやつこに風ノ祝、雨ノ祝などありけり。 けふの…

いなのなかみち⑧ 菅江真澄テキスト

seiko-udoku.hatenadiary.jp seiko-udoku.hatenadiary.jp seiko-udoku.hatenadiary.jp 十日 夜あけはつれど、くらき空は、こしあめのふれば也けり。 雨づたふ軒ばの露の玉くしげふたこの里は明るともなし 日たけて当特がもとより、この雨さうざうしからん、…

いなのなかみち⑦ 菅江真澄テキスト

seiko-udoku.hatenadiary.jp seiko-udoku.hatenadiary.jp seiko-udoku.hatenadiary.jp 七日 あしたの空うちくもり、軒の梢に蜩の集く。 たなばたのうれしからましあしたよりいのり日くらしもろ声にして ふたつ星にたいまつるふみ。 「秋風やゝふいて、けふは…

菅江真澄を旅にかりたてたもの

菅江真澄を旅にかりたてたものは、何だったのだろう。 天明3年(1783年)、30歳の春に、真澄は故郷三河を離れている。 30歳という年齢は、当時どういうものだっただろう。 江戸時代の平均寿命は、30歳とか40歳と言われる。ええっと思うが、これは今で…

いなのなかみち⑥ 菅江真澄テキスト

seiko-udoku.hatenadiary.jp seiko-udoku.hatenadiary.jp seiko-udoku.hatenadiary.jp 十八日 永通がやに洞月上人とぶらひたまひて、砌に、としふる柿の樹の下の、風涼しう吹かたにむしろしいて、上人の、 いにしへをこゝにうつして柿の本聖のをしへあふぐか…

いなのなかみち⑤  菅江真澄テキスト

seiko-udoku.hatenadiary.jp seiko-udoku.hatenadiary.jp seiko-udoku.hatenadiary.jp 甘七日 この里の人々とぶらひ来て、すむは八橋の近きにや、今もみづゆく河やながるゝ、燕子花の咲るやなどとひもて、熊谷直堅のかいつけける。 けふよりは心へだつなかき…

いなのなかみち④   菅江真澄テキスト

seiko-udoku.hatenadiary.jp seiko-udoku.hatenadiary.jp seiko-udoku.hatenadiary.jp 甘三日 ていけよければ、外島をいづ。このごろの雨にや河水いやまさり、橋々おちながれうせ、天流川は、あら海などのやうに浪うちあぐる。岸まで人々をくり来て、むかふ…

菅江真澄のうた

菅江真澄の旅の日記は、全体に自作の短歌が織り込まれている。短歌があって、菅江真澄の旅の日記は成り立っており、短歌のない文章は考えられない。 しかし、菅江真澄の業績を高く評価してきた研究者の柳田國男は、菅江真澄の短歌を酷評している。 「思い切…

いなのなかみち③ 菅江真澄テキスト

seiko-udoku.hatenadiary.jp seiko-udoku.hatenadiary.jp seiko-udoku.hatenadiary.jp 五月五日 みはるがやどをひるより出たつ。 ひとおき、ふたおき、ふななどいひて、里は、こかひのわざに露のいとまなみ、柔のさえだ折もてありき、やの中は、ところせく、…

いなのなかみち②  菅江真澄テキスト

seiko-udoku.hatenadiary.jp seiko-udoku.hatenadiary.jp seiko-udoku.hatenadiary.jp 一ばかり市田てふところにゆくに、いとおほきなる松の朶ごとに藤のまつはりて、こきむらさきに咲たり。 くれて行春をとゞめて松が枝にかかるはうれし花の藤波 かくてその…

いなのなかみち①  菅江真澄テキスト

seiko-udoku.hatenadiary.jp seiko-udoku.hatenadiary.jp seiko-udoku.hatenadiary.jp seiko-udoku.hatenadiary.jp seiko-udoku.hatenadiary.jp 天明三年癸卯のやよいより、しなのの国をわけて、もとせばとふ里に在て、月はしわすに至るまでをのす。 その頃…

いなのなかみち   菅江真澄テキスト

天明3年2月末、真澄は故郷を出発し信濃国伊那郡に入った。これは、信濃で年末まで過ごした日記である。このあいだに真澄は、5月24日に東筑摩郡洗馬村で宗福寺洞月上人に再会し、医者可児永通を紹介され滞留することになり、付近を巡遊した。 本文には、三…

菅江真澄テキスト

菅江真澄という人を知って、すぐに菅江真澄に関する書籍を探して何冊か手に入れた。いろいろな視点から、彼の漂泊の人生を描いていた。 私は、江戸時代にこのような人生を送った人間が存在したことが信じられない気がした。三河で育った人間にとつて、彼が旅…

菅江真澄との出会い

菅江真澄を知ったのは、私が20代後半のころだった。 私の郷里である秋田県のローカル紙「秋田魁新報」の記事を通してだった。記事は血友病のため長く病床にある民俗学者の内田武志氏についてのもので、内田氏の研究対象が菅江真澄だった。 菅江真澄は、江戸…