晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

ロックの時代⑧ ランナウェイ

東京オリンピック1964の前年、1963年11月23日に初の日米間で衛星中継実験に成功した。

その中継で伝えられたニュースは、前日にダラスで起ったケネディ大統領暗殺だった。

これによって、日本とアメリカは、テレビ放送の映像と音声でつながるようになった。

この年に、アメリカでは、坂本九が日本語で歌った「上を向いて歩こう」が、6月15日からビルボードでは3週連続1位を、キャッシュボックスでは4週連続一位を獲得した。

 

このあと、1990年代になってインターネットによって、世界がつながることになる。

しかし、一般の人にとってはまだ別世界の話で、1995年にWindows 95が発売されて、やっとPCが身近なものになる。

映像や音響をPCを使って、自由に扱えるようになるのは、2005年のYouTubeの登場からである。

同時期に、スマートフォンもネット対応になったことによって、どこでもいつでも楽しめる事ができるようになった。

わずか、15年くらいしかたっていない。

 

そういうものが何にもない時代に、日本から世界へ出ていこうとしたミュージシャンがいた。

貴重な動画を、探してみた。

 

坂本九 上を向いて歩こう(Sukiyaki)

ja.wikipedia.org

この曲は、1961年に発売されて、30万枚のヒットだったらしい。

翌年に、ヨーロッパのフランス、イギリス、ベルギー、オランダなどでもヒットした。

さらに、アメリカでも評判になったが、たまたまレコードを手に入れたラジオDJが、番組でかけたことがきっかけだったらしい。

R&Bチャートでもランクインしていたそうなので、そういうテイストのある曲として受け止められたのだと思う。

アメリカで音楽番組にも出演したが、日本ではチャート1位のすごさがよくわかっていなくて、ほとんど報道されなかったという。

日本で、チャート誌のオリジナルコンフィデンスが、発刊されるのは1967年のことである。

 Sukiyaki Kyu Sakamoto FULL SONG ReEdit STEREO ReMix HiQ Hybrid JARichardsFilm 720p - YouTube

 

シャネルズ ランナウェィ(Run Away)

www.sonymusic.co.jp

1980年、シャネルズは「ランナウェィ」をヒットさせた。

同年に行われたこの名門クラブであるウィスキー・ア・ゴーゴーでのコンサートは、ヒットのご褒美ツアーの一端だった。

この時点で、グループはアマチュアで、メンバーは本業を持っていた。

シャネルズは、黒人音楽ドゥーワップに傾倒していたのだろう、リスペクト?のあまり、黒塗りでステージをやっていた。

彼らの音楽はとても好きだったので、このコンサートのライブ・アルバムが発売されて、すぐに買った。

この頃の、シャネルズがもっとも好きである。

 シャネルズ 【RUNAWAY 英語版】 - YouTube

 

ラウドネス クレイジー・ナイツ

 

ja.wikipedia.org

ラウドネスは、メンバー交代を繰り返して、現在も現役のヘビーロック・バンドである。

1980年代中期に、世界に進出して、アメリカのビルボードのTOP100にアルバムを送り込んだ。

ラウドネスのベースになったのは、レイジィーというアイドルバンドだったらしい。

 ネットのない時代に、全米ツアーをやって、チャートにアルバムを送り込むのは、並大抵ではない。

今でも、楽しめるサウンドである。

 Loudness - Crazy Nights (HD)

 

 サディステック・ミカ・バンド 「ワカ!チコ」「塀までひとっ飛び」

ja.wikipedia.org

サディステック・ミカ・バンドは、フォーク・クルセイダーズを解散した加藤和彦が結成したバンドである。

バンド名は、ジョン・レノンプラスティック・オノ・バンドをもじったものである。

アルバムは、日本であんまり売れなかったらしいが、イギリスで評判になって逆輸入されたらしい。

ときどき、聞くようなパターンである。

当時、売れていたロキシー・ミュージックの全英ツアーのオープニング・アクトをやった。

 Sadistic Mika Band in UK TV show “Old gley whistle test “1975 サディスティック ミカ バンド - YouTube

 

イエロー・マジック・オーケストラ Tong  Poo

 

ja.wikipedia.org

グループ・サウンズではないロックにとっては、英語か日本語かという悩ましい問題意があった。

日本語でやるロックの代表が、私にとっては「ジャックス」と「はっぴぃ・えんど」だった。

 YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)は、「はっぴぃ・えんど」のベーシスト細野晴臣が、在籍していた。

ほとんど歌のない演奏だけだったが、アメリカでツアーもやっていたので、テクノ・ニューウェーブの中心的グループとして知られていた。

このコンサートでは、キーボードに矢野顕子、ギターに渡辺加津美がいる。

TONG POO - YMO 1979 LIVE at THE GREEK THEATRE - YouTube

 

 

seiko-udoku.hatenadiary.jp

seiko-udoku.hatenadiary.jp

seiko-udoku.hatenadiary.jp

seiko-udoku.hatenadiary.jp

seiko-udoku.hatenadiary.jp

seiko-udoku.hatenadiary.jp

seiko-udoku.hatenadiary.jp

 

日本酒について考えてみた

日本酒のことを考えていると、どうしてもわからない問題が出てくる。

一つ目は、醸造用アルコールを添加するということ。

二つ目は、日本酒についての酒税と値段がどうなっているか。

このようになってるらしいというのはわかるが、なぜそうなってるかがわからない。

それが、私のような素人には理解できないのだ。

 

日本酒は、原料や精米歩合により分類されているが、複雑に絡んでいてわかりにくい。

原料によって、日本酒は普通酒特定名称酒に分けられる。

日本酒には、特定名称分類というのがあり、原料や精米歩合によって、本醸造酒純米酒吟醸酒などに分類されている。

精米とは、玄米からぬか、胚芽等の表層部を除き白米にすることをいう。

精米歩合は、玄米に対する白米の重量の割合をいう。

日本人が、普段の食生活で食べている白米の精米歩合は、90〜92%なんだそうだ。

酒造の世界では、精米することを「米を磨く」というらしい。

玄米の外側のぬかや胚芽などを削ることによって、微量の田の泥の成分や、ミネラル、脂質、アミノ酸など雑味になるとされるものが排除される。

精米歩合は、本醸造酒では70%以下、特別本醸造酒吟醸酒は60%以下、大吟醸酒に至っては50%以下である。

かつては、「純米酒」についても、精米歩合が70%以下という要件があったが、2006年(平成16年)以降、精米歩合の要件はなくなった。

これは、もちろん、ただの「純米酒」の場合である。

最近、純米酒を2銘柄購入したが、どちらも精米歩合は65%だった。

 

この分類によって、酒税が違ってくるのかなと思っていたのだが、どうもそういうことではないようだ。

現在の酒税法は、とてもシンプルなものであるらしい。

清酒は、アルコール度22度未満で、1キロリットル当たり120,000円なのだそうだ。

1キロリットルって、イメージがわかない。

1キロリットルは、100cm×100cm×100cm=1,000,000ccなので。

お酒一升1800ccとして、換算すると、555升ということになった。

ということは、一升当たり、216円になる。

これで大丈夫だろうか。

日本酒は、とても高いものから、けっこう安いものまであるけど、酒税は一律ってことなんだろうか。

なんか、おかしい気がする。

たとえば、一升瓶1000円ちょっとの安い酒も、5000円もする酒も、同じ216円の酒税ってことなのか。

高い酒を売る人は、税金を多く払っていいのじゃないかな。

それだけ、もうけが出るのだから。

それが世間一般の常識だと思うのだが、税金の世界の常識は違うのだろうか。

 

日本酒については、原料である白米の精米歩合がどの程度であるかが、重要である。

最高級種である大吟醸酒精米歩合は、50%以下である。

玄米を、半分以下に磨いているということである。

そこまで、原料の品質のにこだわって日本酒を作っている。

ところが、そこまでこだわって作ったものに、醸造用アルーコールを加えている。

以前にもこのブログで書いたが、醸造用アルコールの原料は、サトウキビの搾りかすの廃糖蜜であり、外国より輸入したものである。

言ってみれば、得体の知れないものを使っているのである。

私には、この感覚がどうしても理解することができない。

調べてみたところでは、醸造用アルコールを加える理由は、次のとおりである。

 

吟醸造りでは、もろみを絞る直前に醸造アルコールを添加することで、芳香成分を酒粕側から日本酒側に移行させることができる。」

 

しかし、私には納得できない、

こだわるのならば、最後まで徹底してこだわらなければ意味がないのではないだろうか。

醸造用アルコールを加えることで、世界に輸出した際には、醸造酒とはみなされない。

醸造酒として扱われるのは、純米酒などの米と米麹と水のみを原料としたものである。

日本には、大小1300もの酒造会社があるそうである。

そのほとんどが、醸造用アルコールを加えた日本酒をつくっている。

しかも、それらにもっともらしい高級そうな名前をつけて売っている。

 

米蔵と呼ばれる、純米酒だけをつくっている醸造元が数少ないながらあることを知った。

「全量純米蔵を目指す会」という会があって、醸造用アルコールを使わない日本酒づくりをがんばっているという。

会員の蔵元の数を、数えてみたら全国にわずか21しかない。

 

醸造元の方の文章を読んだことがあるが、どうも理解できないことがあった。

醸造用アルコールを使わないと、価格がぐーんと高くなってしまう、ということを言っていた。

でも、醸造用アルコールは、原料の白米の10%以下しか添加できないことになっている。

ということは、醸造用アルコールを使った場合と使わなかった場合では、どう考えてもぐーんと高くなってしまうほど差はつかない。

たとえば、醸造用アルコールがタダだとしても、10%価格が安くなるだけである。

醸造用アルコールを使わなければ、10%以上高くなることはあり得ない。

私の、考え方はどこか間違っているのだろうか。

 

実は、10%以下という添加率を守ってないのではないか、と考えざるを得ない。

そこまでして、世界に醸造酒として通用しない酒を作っている日本の酒造業界って、どうなってるんだろう。

きっと、私などにはわからない問題があるんだろうな。

 

 

seiko-udoku.hatenadiary.jp

seiko-udoku.hatenadiary.jp

seiko-udoku.hatenadiary.jp

seiko-udoku.hatenadiary.jp

seiko-udoku.hatenadiary.jp

seiko-udoku.hatenadiary.jp

seiko-udoku.hatenadiary.jp

 

 

 

 

 

お線香をあげる 水をあげる

日本は、小さい国だというけど、ヨーロッパの国と比べればそうでもないよ、という人がいた。

文化の面から考えたら、すごく広い国なのかもしれない。

東西南北とても広いとも、考えられるかな。

 

まず、言語の面から言ったら、標準語がなかったらどうなんだろう、と思う。

方言だけだったら、どれくらい通ずるのか。

もう純粋な方言を話せる人が、とても少なくなってるかもしれない。

ヨーロッパの言語の違いなんて、日本の方言みたいなものだ、とどこかで聞いたような気がする。

ほんとか、どうかわからないが、そんな気もする。

秋田のご老人と、鹿児島のご老人が、方言で話したら絶対にお互い理解できないだろう。

一応東日本の人間である私が、関西の?西日本のことばを聞いた時の違和感というのは、いったいなになんだろう。

単に、言語的な問題ではないのか、それ以外のものなのか。

でも、秋田のあたりは日本海を通して、関西とのつながりは強かったらしい。

なかなか複雑で、単純にはいかない問題なのかな。

千葉に住むようになった頃、秋田のおばあちゃんたちの柔らかくて優しいことばがなつかしくなったことがある。

秋田には、おばあちゃんことばというものが、あるのだ。

たぶん、千葉だけではなく、関東一般かもしれないけれど、男女変わらぬ強い言い方のことばに、なじめなかったのかもしれない。

 

食べ物のことを言いはじめたら、なんと日本は広いだろう、ということになる。

食文化の違いということになるのだろうが、結婚してまず違いを感じたのは、「みそ汁」である。

妻が作る東京式の味噌汁は、お豆腐にネギとか、豆腐が揚げになったり、ワカメになったり、シンプルなものである。

あくまで、汁中心で、具はあまりゴタゴタ入れない。

私が育った秋田のみそ汁は、具だくさんのおかずだった。

野菜が、いっぱい入っていた。

「かやき」と言ってたような気がするが、どうもあいまいである。

他に、ホタテの貝殻を鍋にして、味噌を溶いたものに具を入れて煮たものも、「かやき」と言ってた気もする。

それは、「貝焼き」からきているらしい。

私は、みそ汁の「かやき」は、かやくご飯の「かやく」からきてると思っていた。

具がいっぱい入れてあるということである。

秋田では、ハタハタのなれずしというものがあった。

関東では、発酵させたすしというものは、見かけない。

やっぱりこれも、関西系なのだろうか。

 

秋田を離れてから、50年になろうとしている。

その間に、何回帰っただろうか。

たぶん、半分以上は、親戚の葬儀などの法事のためだった。

今ままで、あまり考えたこともなかったが、もしかすると秋田だけの風習かもしれないと思うことがある。

秋田では、よその家を訪問したら、「水を上げさせてください。」と言って、ご先祖の仏壇に水を入れたコップを供える。

お線香をあげることはない。

お葬式でも、祭壇の脇に水のはいった朱塗の桶 があり、やはり朱塗のひしゃくでコップに水を入れ、お供えする。

もちろん、お坊さんは抹香を使い、法要の際には参列者も抹香を使うこともある。

でも、基本的には、お盆にいっぱい用意したコップから一つ取って水を入れて、お供えする。

最近の葬儀は、秋田だとJA葬祭という農協の組織が扱ってることが多いが、朱塗の桶とひしゃくは必需品である。

「末期の水」というのは臨終の際の儀式であるが、それとなにか関係しているのだろうか。

お線香や抹香が高価なためなのか、火を扱うのが危険だからなのかはわからないが、昔からそのようにやってきたのだと思う。

 

このような風習が、私の育ったせまい地域だけのものなのか、もっと広い東北の他の地域にもあるのかは、わからない。

少なくとも、今私が住んでいる千葉や、東京、埼玉、茨城での葬儀に参列したことがあるが、そのようなものを見かけたことはない。

日本は広いので、他にも変わった風習がきっとあることだろう。

 

 

seiko-udoku.hatenadiary.jp

seiko-udoku.hatenadiary.jp

seiko-udoku.hatenadiary.jp

 

晴れの日の散歩 北柏ふるさと公園

「曇りの日の散歩」と「雨の日の散歩」と続いて、第3弾である。

今日は晴れの日だったので、のんびり歩いてみた。

同じ公園でも、天気によって印象はちがうものになってしまう。

人影のあるのを、あまり見たことの無い入り口近くのカフェに人が並んでいた。

ちょうどオープン前だったので、女性のグループが開店を待っていた。

女性に人気がありそうな店のつくりである。

f:id:seiko_udoku:20210616100451j:plain

f:id:seiko_udoku:20210616100547j:plain

 

 水辺の遊歩道に歩いて行ったが、天気がいいので、葉の緑や花の色もあざやかである。

f:id:seiko_udoku:20210616120922j:plain

 

先日の雨の日に散歩の時に、進入できなかった小径まで来た。

薮が覆い被ってはいるが、今日は濡れているわけではない。

ずんずんと、進んで行く。

f:id:seiko_udoku:20210616122125j:plain

気持ちいい藪こぎ。

f:id:seiko_udoku:20210616121208j:plain

手賀沼の水辺の釣り人の桟橋まで出た。

今日は、かぜもなく、波も静かである。

釣り人が、パラソルを立てて、釣り糸を垂れていた。

f:id:seiko_udoku:20210616121532j:plain

この辺りは、大堀川の河口になるが、波もなく川の雰囲気ではない。

f:id:seiko_udoku:20210616121715j:plain

水草が、生い茂って水面を覆っている。

f:id:seiko_udoku:20210616121824j:plain

 

先日見かけた白鳥を探してみたが、姿が見えなかった。

天気もいいので、広い湖面の方へでも出かけているのだろうか。

f:id:seiko_udoku:20210616122857j:plain

f:id:seiko_udoku:20210616122046j:plain

湖面に近い遊歩道を進むと、ピンクの花が咲き乱れている。

これは、なんという名の花だったかな。

f:id:seiko_udoku:20210616122426j:plain

f:id:seiko_udoku:20210616122527j:plain

 

大堀川に取り残されたような、大きな樹木がある。

ずっと水に浸かっても大丈夫なのだから、もともとが水生のものなのだろうか。

f:id:seiko_udoku:20210616122818j:plain

f:id:seiko_udoku:20210616124213j:plain

樹木の根本あたりを見ていると、何か魚影が見える。

水深は、せいぜい50センチないかも知れず、底は泥である。

今日は、風もないせいか水が澄んでいるまではいかないが、よく見える。

魚影は、鯉のようだ。

かなりの数がいて、大きなものは50センチ以上ありそうだ。

f:id:seiko_udoku:20210616123425j:plain

f:id:seiko_udoku:20210616123512j:plain

 

遊歩道脇の樹木の葉が、薄い緑色になっていた。

どうも、とても小さな花が咲いているようにも見える。

f:id:seiko_udoku:20210616123818j:plain

 

大堀川に架かる橋から、河口方向と対面の柏ふるさと公園を見る。

f:id:seiko_udoku:20210616124127j:plain

 

市民体育館の駐車場まで、戻って来た。

駐車場に隣接して、相撲場と弓道場がある。

いつも、車を止めるだけで、中をよく見たことがなかった。

車も、人も少なかったので、ちょっと外からのぞいて見た。

f:id:seiko_udoku:20210616124612j:plain

相撲場

f:id:seiko_udoku:20210616124645j:plain

土俵

 

芝生のある弓道場というのも、いいものである。

芝生の緑が映えて、気持ちいい。

f:id:seiko_udoku:20210616124930j:plain

f:id:seiko_udoku:20210616124958j:plain

 

お茶をいれる お茶を飲む

我が家では、お茶を飲む習慣はなかった。

我が家だけなく、たぶん近隣の村々にもお茶を飲む習慣はなかった。

それでは、お客さんが来たらどうしていたのだろう。

漬物でも出していたのだったかな。

なぜ、お茶を飲まないかというと、お茶が育たないからである。

茶葉を買っていたら、とんでもなく高価なものだったろう。

お茶の木は、本来亜熱帯地方に多く分布するものらしい。

それでも、生物学的というか、栽培的な北限は秋田県北部地方らしく、檜山茶は、江戸時代から栽培されているらしい。

檜山茶の檜山地方は、秋田県北部の日本海に近い地域である。

経済的な栽培の北限は、新潟県村上市茨城県大子町を結んだあたりになる、ということだ。

茨城県北部の八溝山に行った時、道路の脇に茶畑と製茶店があって、寄ったことがある。

 

村に、商店が二軒あって、そのうちの一軒は農業兼業、もう一軒は商店専業だった。

子どもたちのうわさでは、専業の商店の旦那さんはお茶というものを飲むということを、聞いたことがある。

年に数回、父の実家に農作業の手伝いに行った時に、夕食をいっしょに食べることがあった。

総勢10人を越える人数の食事だった。

父の長兄が「家長」だったが、物静かで、厳格な人だった。

ご飯を食べ終わると、少し残したみそ汁にお湯を入れて、飲んでいた。

私たちも、マネをして同じようにしていた。

それが、お茶に代わるものとして飲んでいたのか、お坊さんがお茶碗でお湯を飲むようなものだったかはわからない。

 

だから、私はお茶を飲む習慣はなく育った。

のどが渇いたら、水を飲んでいた。

結婚したら、妻は大のお茶好きだった。

それは、もちろん妻の実家が、お茶なしでは済まない家だったということだ。

1日に何回も、「お茶飲みましょう。」ということになる。

私もいつか、その習慣になじんでしまっていた。

茶葉は、欠かさずに買ってあって、冷凍庫にある。

お茶は、体にとっても良いものだろうし、他に甘い飲み物を飲まないことにもなるので、子どもたちにとってもよかっただろう、と思う。

 

そんな環境で育ったせいなのか、そうではないのか、わからないが我が家の子どもたちは、飲み物についてこだわりがあるようだ。

長男は、学生時代にコーヒー店でバイトしたのがきっかけで、コーヒー関係の資格を取得し、今は自分で豆を焙煎している。

次男は、緑茶にとても興味があって茶畑のある会社で働いていた。

今は、転職しているが、お茶についてはとても詳しい。

三男は、なぜか紅茶にこだわって、いろんな茶葉を買っている。

紅茶の淹れかたも、なかなかうるさい。

だから、コーヒーを飲んで、そのあとはやっぱり緑茶になる。

ケーキなど洋菓子だったら、やっぱり紅茶でしょう、という感じである。

場合によっては、フルコースになったりする。

でも、お茶もコーヒーも奥が深いなと、思う。

 

 

seiko-udoku.hatenadiary.jp

seiko-udoku.hatenadiary.jp

seiko-udoku.hatenadiary.jp

seiko-udoku.hatenadiary.jp

 

父という人について

父の命日の日に、墓参りに行ってきた。

お彼岸やお盆には墓参りに行くが、命日にはあまり行ったことがない。

ちょうど、妻も用事がなかったので、二人で出かけた。

妻が墓参りに行こう、と言ったのだった。

いつもだったら、私の父と母の墓、そして妻の父の墓の二ヶ所に行く。

その日は、私の父と母の墓だけにした。

考えてみたら、もう31年経っていた。

計算してみたら、父が亡くなった時、私は36歳だったことになる。

父の生年は、大正15年で西暦では1926年である。

和暦だと、年齢を計算する時に間違えてしまうことが多い。

西暦で覚えていなかったので、勘違いしてしまうことになる。

 

父のことを、年数で考えたことはなかった。

36年間、いっしょにいたことになる。

でも、父は30代くらいから、出稼ぎの生活をしていた。

私が、小学生、中学生、高校生の頃は、父は家にいなかった。

正月とお盆に帰って来て、1週間くらいすると仕事に帰っていく。

母と、子ども3人の母子家庭のようなものだった。

私が、何歳の頃から出稼ぎに出ていたかは、はっきりわからないが、小学生の頃にはもう、いなかった。

その前は、国有林の木材の払い下げの仕事をしていた。

木材の暴落で、借金を背負い、出稼ぎ生活になったらしい。

物心ついて、はじめて毎日父と生活したのが、横浜での学生生活の4年間だった。

卒業して、千葉に就職して一人暮らしを3年ほどしてから、松戸で親子3人で暮らすことになった。

そのあと、結婚して5年ほど家を離れて、転居してまたいっしょに暮らすようになった。

だから計算すると、父といっしょに暮らしたのは、36年間のうちの半分くらいだと思う。

 

父は、農家の7人兄弟姉妹の末っ子だった。

義務教育終了後、東京に就職している。

詳しくは聞いてないが、工場で働きながら夜間の学校へ行ってたと話していた。

第二次世界大戦開戦前のことで、東京空襲がひどくなって郷里に帰ったらしい。

そして、3人の子どもを育ててるうちに、出稼ぎに出ることになる。

10年以上になる出稼ぎ生活は大変だったと思うが、父はそれほど悲壮感というか、負担には感じてなかったと思う。

精神的に自由というか、前向きな人だったと思う。

北は北海道から、西はたしか大阪にも行っていた。

東京オリンピック1964の前の東京で、中央高速の工事現場でも働いていた。

それは、若い頃から、東京に出て来てたり、日本中のいろんなところを見ていたことが、そうしたのかも知れない。

 

小学校何年生だったか、父に聞かれたことがある。

大きくなったら、何をするんだ。

私には、なんと答えていいかわからなかった。

まわりにあるのは、田んぼと畑とあとは山での仕事しか思い当たらなかった。

田んぼと畑は、食べていくだけの広さはない。

私は、山の仕事、具体的には営林署かなと言ったと思う。

お前は、体が小さいから力仕事は無理だから、勉強して頭の仕事をした方がいい、と言われた。

学校は、なんとかする、と父は言った。

今考えると、父は私よりもさらに小柄だった。

その、体で力仕事の世界で生きていた。

その後、そんな話をしたことはなかった。

父のことばは、ずっと私の中にあって、結局そのとおりになった。

 

親と子の関係は、人それぞれだと思う。

私は、母と姉2人の中で暮らしていた。

出稼ぎにあっちへ行ったり、こっちへ行ったりの父のことを、母と姉達は風来坊みたいに言うこともあった。

私は、父のことをわかっているのは、自分だけだと思っていた。

子どもながらに、男同士の思いだったかもしれない。

 

父は、お酒は飲まなかった。

若い頃に、仕事上のつきあいで飲んでいたいが、酒は弱かった。

飲みつぶれて、若い衆に運ばれて帰って来たのを、覚えている。

そのかわり、甘いものや果物が好きだった。

お茶を飲みながら、何か考えていた。

歩いたり、考えたりするのが好きだったのだ。

そんな父には、自由な老後を楽しんで欲しかったな、と思う。

 

 

seiko-udoku.hatenadiary.jp

seiko-udoku.hatenadiary.jp

seiko-udoku.hatenadiary.jp

seiko-udoku.hatenadiary.jp

seiko-udoku.hatenadiary.jp

 

私の日本酒コレクション②

先日、「私の日本酒コレクション①」を書いた時に、純米酒の種類として、純米酒純米吟醸酒純米大吟醸酒をあげたが、正確には特別純米酒を加えた4種類だった。

純米吟醸酒純米大吟醸酒は、「吟醸造り」という製法が、用いられています。

吟醸造り」というのは、国税庁が公開している情報では、次のとおりだ。

 

吟味して醸造することをいい、伝統的に、よりよく精米した白米を低温でゆっくり発酵させ、粕(かす)の割合を高くして、特有な芳香(吟香)を有するように醸造すること

 

もっと詳しくいうと、10度前後の低温で1ヶ月近い時間をかけて発酵させる製法で、低温で発酵することで、香り成分がもろみに閉じ込められる。

しかし、温度が低すぎると蒸米が溶けにくくなり、麹や酵母の活動がおさえられ、味成分が少なくなってしまうので、工程を厳しく管理することが必要である。

時間と手間を充分にかけた結果、「吟醸香」と呼ばれるフルーティな香りがたちのぼる吟醸酒となる。

 

純米吟醸酒純米大吟醸酒の違いは、精米歩合の違いである。

純米吟醸酒は、精米歩合60%以下、純米大吟醸酒は50%以下である。

吟醸造ではないただの純米酒については精米歩合の規定がなく、特別純米酒については精米歩合60%以下となっている。

 

北秋田 特別純米  北鹿

f:id:seiko_udoku:20210525164159j:plain

特別純米 北秋田  精米歩合60%

株式会社 北鹿 秋田県大館市有浦

私の郷里の大館の酒である。

やっぱり目の前に、秋田の酒があったら手がのびてしまう。

がっつんと力のある飲み口だった。

元気の出る酒って感じだな。

 

秋田の素材にこだわり、秋田流生酛仕込みで米の旨みを生かした、北秋田特別純米酒です。ふくらみある濃醇な米の旨みが特徴です。(ウェブサイトより)

 

 桃川 純米新酒 初しぼり 桃川酒造

 桃川は、最近も飲んだような気がするが、ラベルにひかれて買ってしまった。

「純米新酒 初しぼり 限定品」である。

これも、パンチのある感じの酒である。

ラベルのわりには、値段が安かったので、考えてみた。

なるほど、昨年の新酒だったのだ。

そういうことだ。

 

毎年好評の桃川『初しぼり』。2012年より青森県産の「つがるロマン」から「まっしぐら」で仕込んでいます!NEW「桃川 初しぼり 純米」は、しぼったばかりの清冽な飲み口と爽快なうまさが特徴ですので、おでんや味付け煮魚などのこってりとした味わいの秋口から冬にかけての季節の料理にオススメです。(ウェブサイトより)

 

四万十川 純米吟醸酒 菊水酒造

f:id:seiko_udoku:20210525165243j:plain

純米吟醸酒 四万十川 精米歩合60%

菊水酒造株式会社 高知県安芸市本町 

四国の酒を買ったのは、初めてかもしれない。

安芸と言ったら、安芸国の広島だと思っていたけど、高知県にも安芸市安芸郡というのがあるんだ。

気になって調べてみたら、土佐東部の豪族だったが、戦国時代に長宗我部元親によって、滅ぼされたとあった。

それにしても、きれいな水色の瓶の色とさわやかなラベルにひかれてしまった。

吟醸酒らしいフルーティな香りとやさしい口あたりで、飲みやすい。

これなら、妻も飲めるだろう。

 

自然のうまさを追求し、添加物を一切使用せず、選び抜き、磨き上げた米・麹・酵母と清浄な天然水で醸造したお酒です。(ウェブサイトより)

 

駿 純米吟醸 いそのさわ

f:id:seiko_udoku:20210525165806j:plain

純米吟醸 駿 精米歩合60% 

いそのさわ 福岡県うきは市浮羽町

あんまり意識したことがなかったが、九州の日本酒は飲んだことあったかな。

九州というと、焼酎のイメージだな。

いいちこ」や「さつま白波」なら、飲んだことがある。

うきは市は、大分県との境にあって、耳納連山や阿蘇山からの伏流水を水源とする、名水に恵まれたところらしい。

吟醸造りのお酒は、飲み口がやわらかくて飲みやすいと思う。

 

全量山田錦を使用した精米歩合55%の純米吟醸。自社酵母を使用し、華やかな香り、まろやかな甘味と酸味、口の中からすっとなくなるキレをお楽しみ下さい。

 

雪影 特別純米酒  金鵄盃酒造株式会社

f:id:seiko_udoku:20210531220040j:plain

特別純米酒 雪影 精米歩合55%

金鵄盃酒造株式会社  新潟県五泉市村松

酒どころ新潟のお酒である。

恥ずかしながら、五泉市がどの辺にあるのか、わからなかった。

調べたら、阿賀野川が流れていた。

7、8年前、二人の母が元気だった頃、新潟、会津に旅行したことがあった。

新潟市から会津若松市に向かう時に、この辺りを通ったはずだ。

水色があざやかな瓶の色と、「雪影」という銘柄に惹かれて選んでしまった。

香りも良く、飲み口もさわやかだった。

 

ほどよく酸味があり軽快で飲みやすい淡麗な純米酒
和洋を問わず、いろいろな料理に合わせてお楽しみください。(ウェブサイトより)

 

 富士山 百壽比咩(ひゃくじゅひめ)  純米酒 牧野酒造合資会社

f:id:seiko_udoku:20210603171309j:plain

純米酒 富士山百壽比咩 精米歩合70%  

牧野酒造合資会社 静岡県富士宮市下条

富士山の「名水のご新酒」のラベルが、4合瓶に貼られている。

牧野酒造は、富士山のふもと富士宮で江戸時代中期から続く蔵元で富士山の湧水を使っているようです。

調べてみたのですが、「富士山百壽比咩」という銘柄は、ウエブサイトにありませんでした。

「百壽比咩」の比咩という字に、ひかれてしまって買いました。

近所の白山神社に行った時、白山神社の祭神は白山比咩でした。

いつも買い物に行く「ベルクス」というスーパーで買ったのですが、ラベルに、販売者サンベルクスとなっているので、プラベート・ブランドのようです。

純米酒「富士山アート」というのはあったので、これがベースだと思う。

飲み口は、スッキリだが、がっつんとくる感じがある

 

富士山の伏流水と厳選された酒米で仕込み。スッキリとした味と香りで、純米酒ならではの風味が楽しめます。(ウエブサイトより)

 

f:id:seiko_udoku:20210604162212j:plain

瓶詰めの日本酒を飲むようになって、まだ数ヶ月なのに、どんどん空瓶が増えていく。

飲みすぎないように、このようなかわいいカップで飲んでいる。

むかしは、そんなに日本酒は飲まないのに陶器の銚子やお猪口を集めていた。

数年前に、処分してしまったので、たまたまあったこのカップが日本酒にちょうどいい。

飲んでいて思うのは、同じ純米酒純米吟醸酒でも、かなり違うものである、ということ。

精米歩合と製法を考えると、純米酒のランクづけは次のようになると思う。

純米大吟醸酒純米吟醸酒特別純米酒純米酒

しかし値段は、必ずしもこのランクと連動しているようには思えない。

日本酒の販売されている値段が、どのようにして決められているのかは、私にとっては謎である。


 

seiko-udoku.hatenadiary.jp

seiko-udoku.hatenadiary.jp

seiko-udoku.hatenadiary.jp

seiko-udoku.hatenadiary.jp

seiko-udoku.hatenadiary.jp

seiko-udoku.hatenadiary.jp

seiko-udoku.hatenadiary.jp

seiko-udoku.hatenadiary.jp

 

ペーパードライバーから運転する人になる

結婚した時、妻も私もペーパードライバーだった。

2人とも、免許を取得してから、ほとんど車に乗ったことがなかった。

妻は、まだ東京に住んでいた頃に、教習所に通ったらしい。

私は、結婚する前年に苦労して免許を取ったが、車の運転が自分に向いてないことを自覚していて、あまり車に乗る気は無くなっていた。

その頃は、まだオートマ限定なんてなかった時代なので、もちろんマニュアル車だけである。

みんな、苦労してマニュアル車を運転していた。

今考えても、半クラッチなどという人間わざとは思えないような職人的な操作をやっていた。

坂道発進などは、最悪だった記憶がある。

あの頃に、オートマ限定があったら、もっと楽に教習を終わらせることができただろう。

オートマ限定免許ができたのは、1991年なのだそうだ。

 

長男は、1985年に生まれたのだが、通院などどうしても必要な時はタクシーに乗っていた。

ある時に、知人が車を買い替えようとしていて、それまで乗っていた軽自動車を処分するのに、年数が経過していて値段がつかない、という話をしていた。

その頃、我が家ではまだ車の購入について、まったく具体的に考えていなかった。

廃車にするくらいなら、私が譲り受けようと思って、お願いして譲ってもらった。

知人には謝礼をして、車検は自分で通した。

妻は、車の必要を感じていたので、自転車代わりのつもりだった。

 

妻は、すぐに運転の勘を取り戻した。

もともと、運転も好きらしく、すぐに乗りこなすようになった。

私は、助手席で赤ん坊を抱っこしていた。

それぞれの実家に、それで帰っていた。

 運転は妻にお任せで、私は運転する気はなかった。

そのうちに、次男が生まれることになった。

さすがに、妻は運転できなくなるので、私が運転するしかなくなった。

運転が苦手とは、言ってられなくなった。

私のほうは、運転に慣れるまでずいぶんと時間がかかった。

 

いづれにして、子育てするには車は必需品だったので、遅かれ早かれ購入することになったと思う。

おかげで、行動範囲が広がり、手軽にどこでも出かけることができた。

車も何回か、買い替えた。

妻の実家が、九十九里の方の山武町に引っ越した頃に、ホンダのオデッセイという車にした。

その頃流行りのワンボックスカーほど車体は大きくないが、座席が3列あって7人乗りで、2列目、3列目の座席が折りたためた。

ホンダの主力だったアコードがベースになってるので、運転もしやすく駐車も楽だった。

実家からの帰りは、2列目のシートをたたんで、マットを敷いて寝て帰ったりした。

姉がいた秋田の郷里には母親もいっしょに何回か行ったし、長男が就職して京都に赴任していた時には、家族で遊びに行った。

 

その頃のオデッセイの難点は、燃費の悪さだった。

エコ減税とか騒いだ頃に、コンパクトで燃費のいいのに買い替えた。

その後、退職したのでもう買い替えることはないので、数えると5台目の今の車が最後である。

昔から思っているが、車というのは金食い虫である。

維持費が、なにかとかかる。

とは言いながらも、今の生活を考えると、当分は車のある生活を続ける必要がある。

 

seiko-udoku.hatenadiary.jp

seiko-udoku.hatenadiary.jp

seiko-udoku.hatenadiary.jp

seiko-udoku.hatenadiary.jp

 

 

タブレットで地図アプリを使う

柏市立図書館へ行くと、必ず古地図を見ていた。

このブログでも、何回も取り上げている「フランス式彩色地図」というやつである。

明治初期に、日本陸軍が作成した手描きで彩色してある地図である。

欄外に、目印になるような建築物や地形のスケッチがあって、担当者2名の職氏名が記載してある。

単なる地図ではなく、絵画作品のようなものである。

seiko-udoku.hatenadiary.jp

 

この地図を、ネットで見られるサイトがあるから、それでいいかなと思っていたのだが、やっぱり手元に欲しい気がして、ときどき通信販売のサイトを見ていた。

国土地理院の外郭団体である「日本地図センター」で扱っている。

明治13年から19年にかけて首都圏について制作したものが、921面復刻されている。

たとえば、私の住む柏市の近辺だと、「千葉県北西部地域(E3)」というセットで、7枚組で3300円である。

これには、隣接する我孫子市茨城県取手市部分も含まれている。

バラ売りだと、1枚770円であるが、地域によっては売り切れになっているものもある。

いざ、買おうとなると、柏市の近隣のものも欲しくなってしまうので、キリがない。

 

先日、板橋に出かけた際に、以前にスマホにインストールしていた「大江戸今昔めぐり」というアプリを使ってみた。

これは、江戸の街の地図を、現代の地図と瞬時に切り替えて見られる優れものだった。

しかし、スマホだと画面の小ささは如何ともしがたい。

スマホは、AndroidOSであるが、iPad用のアプリもあるのではないかと、と思いついた。

iPadは、画面が10インチなので、だいぶ大きい。

探して見たら、iPad用が見つかった。

さっそく、インストールしてみた。

やっぱり、地図は大きな画面の方が使いやすい。

https://www.edomap.jp/customer_p.html#contents4

play.google.com

地図アプリは、他にもあって、「古地図散歩」というものもあった。

これは、古地図こそ明治以降のものであるが、時代ごとに地図の種類も多く、航空写真も数種類選ぶことができる。

ここで使っている明治初期の地図は、「フランス式彩色地図」のようなので、なかなか、使えそうである。

play.google.com

「スーパー図形」というアプリがあって、これは国土地理院の図形データを使って土地の高低を表示できるアプリである。

かつて、PCソフトで、「カシミール」という山岳愛好家向けのものがあったが、その進化系らしい。

使用期間を過ぎると、課金の設定をしないと、このアプリのウリであるスーパー図形という高低を強調してみやすくした機能が使えなくなるらしい、通常の表示されるだけでも面白いので、使ってみよう。

play.google.com

大型タブレットって、どれくらい大きいのがあるのだろうと、調べてみたらなんと19.5インチというのがあった。

しかも、それほど高価ではないらしく、どうも絵画やアニメなどのドローニング用らしい。

地図の表示にも使えそうなので、次に買い替えの際は検討の余地がありそうだ。

そんな訳で、とりあえずは「フランス式彩色地図」の購入については、保留にしようと思う。

 

 

seiko-udoku.hatenadiary.jp

seiko-udoku.hatenadiary.jp

seiko-udoku.hatenadiary.jp

 

世界自然遺産である白神山地のこと

白神山地は、1993年に日本で初めてユネスコ世界遺産(自然遺産)に登録された。

登録理由としては、 「人の影響をほとんど受けていない原生的なブナ天然林が世界最大級の規模で分布」していることとされている。

私は、白神山地の麓で生まれ育った。

しかし、「白神山地」ということばも、「原生的なブナ天然林」ということばも、聞いた記憶はなかった。

白神山地という名称は、昭和29年発行国土地理院地勢図ではじめて使われたようだ。

それまでは、「弘西山地」という名称が使われていたようだが、私はこの名前も記憶にない。

小学校、中学校と、手元に地図帳があったはずで、地元の十の瀬山や田代岳に登っていたはずなのに、地図帳ではどのように記載されていたのか覚えていない。

この無関心さは、自分でも不思議になる。

 

白神山地は、青森県秋田県の県境を成す、全体の面積は13万haの山地である。

しかし、世界遺産に登録されているのは、そのうちの1割強の1万7千haに過ぎない。

白神山地の西部の一部で、青森県西津軽郡鰺ヶ沢町深浦町中津軽郡西目屋村秋田県藤里町である。

私の生まれ育った大館市は、世界遺産に指定された地域には含まれていない。

しかし、白神山地世界自然遺産に指定されたことによって、誰でも白神山地青森県秋田県の県境あたりにあることを知っている。

郷里の大館市を説明することが、かつてに比べて格段に楽になった。

秋田県の北の方の、十和田湖に近いところにある町、などと説明しなくても、白神山地の東側の麓あたりと言えばいい。

 

白神山地の最高点は、青森県深浦市にある1250mの向白神岳であるが、その南西4kmのところにある1235mの白神岳と一対であるとも考えられている。

「しらかみ」の名は、江戸時代の紀行家の菅江真澄が、著作の中で、「白上山」や「白髪山」などと表記している。

そして、男鹿半島の戸賀にある白神大明神や北海道松前の白神岬などとの関係から、「しらかみ」の名前について考察している。

 

私の郷里の山である田代岳のあたりは、世界自然遺産の地域ではない。

それは、林野庁による秋田杉の植林がされていて、ブナの天然林が残されていなかった、ということだろう。

そのかわり、「田代岳県立自然公園」に指定されている。

田代岳山頂には、白神大神を祭神とする田代山神社が建立されている。

津軽の猟師が、頂上付近で水田を見つけて呆然としていると、白衣白髭白髪の翁に出会い、この翁を白神大神と祀ったという伝説がある。

9世紀には再興し、再建を繰り返してきたとの記録もあるようで、古くから山の神・田の神・水の神・作神の守護神として、秋田県北地方・青森県津軽地方・岩手県北内陸地方に広範な信仰圏を持っていたようである。

田代岳の頂上直下の9合目には、広い高層湿原がある。

湿原には大小120もの池塘がある。

中学生の時に、はじめて田代岳に登った時、山頂といってもいい高いところにこんなに池があることに驚いた。

しかも、幕営して朝になったら、まわりは雲海である。

岩木山をはじめとした北東北のの山々が、360度の雲海に浮かんでいた。

 

大館市のウェブサイトでは、「雲上のアラスカ庭園」と呼ばれていると記載されていた。

この光景を初めてみた昔の人たちが、これは神様の田んぼだ、と思っても不思議ではない。

池塘を水田に、そこに生育するミツガシワをイネに見立てて、花のつき具合や根の張り具合で、その年の稲作の豊凶を占う伝統的慣習が伝承されてきた。

田代山神社は、毎年半夏生の7月2日にお祭りを行ってきたが、数年前の台風で損壊し、今は避難小屋として再建されたそうだ。

田代山神社は、どうなったのか心配である。

www.city.odate.lg.jp

田代岳は標高1178mで、雷岳、烏帽子岳、茶臼岳と連峰を構成する成層火山である。

高層湿原があるのは、火山だったということだ、と理科に詳しい人に教えてもらったことがある。

北海道の暑寒別岳雨竜沼湿原は、もっと雄大な高層湿原だったな。

もう一度、行きたいなあ。

ja.wikipedia.org

 

 

seiko-udoku.hatenadiary.jp

seiko-udoku.hatenadiary.jp

seiko-udoku.hatenadiary.jp

seiko-udoku.hatenadiary.jp