廿二日 つとめて千曲川のへたをつたひ、
「科野なる知具麻能川の左射礼しも君しふみてば玉とひろはん」
とずして、ゆく/\見れば、ここかしこに、つな引ふね多ければ、
千曲河波のよる/\すむ月をもる綱舟にひかれてや見ん
上戸倉、苅屋原をへて坂木といふ処にいたる。
阪城神社にまうづ。
里のしりのはたけなかに、いと大なる榊の枯たるが一もと立り。
しかるゆへにや、かん籬の御名も、処の名も■木とはいふなり。
手向には生ふる榊葉折とらで神のまに/\奉るらし
ふたたび下戸倉に帰り来て、中村神社はいづこならんと尋れば、寂寞村〔天註--寂寞、いま寂蒔と書とか〕とて木綿襷のやうなるものを軒にかけてうる里の南に、向八幡村とも中村ともいふ処におましませり。
矢代といふところに来けり。
此処のあわざといへる処に、かん垣の有ける。
粟狭神社にぬさたいまつりてここをいで来れば、ある宮どころを須須岐水の神と中奉る。
こは、雨のみやしろとおなじ神におましまして、卯月酉の日にぞ、おほんかんわざのありける。
土村、岩野をへて松代の里に入て、池田の宮に、玉依比洋をまつり奉るにぬかづきて、市のちまたのかたはらなる、祝神社にぬさとりぬ。
ここにまつる神は、諏訪をあがめて建南方富彦命となん。
太鼓の声したるに、
つづみ打て神のほふりのひろ前につかふみやつこ御世祈るらし
埴科郡の五のかんみやしろも、けふに拝みをはりぬ。
廿三日 松代のやどりをたつ。
里はつれば、芝村といふに堂ひとつあるは、むかし林彦四郎といふ士、親鸞上人のうつし給ふあみだぼとけを持つたふるを、うばはんとて、もののふふたり、つるぎ太刀をふりかざし追来れば、せんすべなう、たかがやの生ひ茂りたる、ひろ野のありけるにかくろひぬ。
此もののふら、この野良に入てのがれんかたはあらじ、いざやけとて、火をはなちてやきしかば、山かぜにふかれて、見るがうちに灰となれど、人ありげなるくまもあらねば、こは、いづこにかにげのびぬらんかしとて、もののふふたりは、しぞきぬ。
なまよみの甲斐のくにをさ信玄のうし、みすずかる科野路にいくさいだして、ここに到り給ふに、焼のこりたる一群薄の生ひしげれるなかに、虫の鳴やうに、いきのしたにて、みだのねんぶちをとなふる声の聞えたるは、たぞそ見てこと、のたまふまま、はた薄かいわけて兵入て、やがて帰り来てしか/\゛のよしをけいす。
其彦四郎をめして、しばしものかたらひはてて、たたかひをはりてのち、ひとつの庵を建て此みほとけをおき奉り、彦四郎も、すけしけるとなん。
うちむかふかたによこほれるを、布引山といふ。
この名佐久郡にも聞えたり。
此郷に今見るは、岩のいくむらも、しらののを引たるやうにぞありける。
此山、望月の牧の北にむかふにやあらん、
「もち月のみまきの駒は寒からじのゝびき山をきたとおもへば」
といふ歌も、北と著たとをいひ通はせり。
はた、千曲川のつなふねにのる。
こなたは埴科、あなたは更科也けり。
やがて寺尾てふ村を過て氷?村に到て、氷?斗売神社にぬさとりたいまつり、
うち祓ふ露もひがのの神籬に百草なびくぬさの追かぜ
ここなる善導寺にすめる、等阿みだ仏をとぶらひ、ことかたりて時うつりぬ。
旦より秋のひがのの里にけふかたぶくまでにかたらひにけり
あるじの上人返し。
言の葉の花の光にてらされて袂の露のひがのとぞなる
ここにものくひ、涼しげなればうち休らひて、
こや風に吹上の里のあしすだれかかる涼しき宿もありけり
政子の前のまもり仏、かるかや堂になどをがみすぎて、いもゐの里になりて、くすし山本晴慎のもとにとぶらへば、いと久しなど、むかし相見しものがたりせり。
廿四日 御堂にまうでぬ。〔天註--善光寺本堂向南、南北広二十九間二尺余、東西広十七間、高九丈八尺余〕ここは水内郡柳原庄芋井郷。
善光寺は天智天皇三年甲子に建て、本堂に四の名あり、定額山善光寺、南命山無量寺、不捨山浄土寺、北空山雲上寺也。
しばしくま/\゛をがみめぐれば、来迎の松といふあり。
ここに刈萱道心の庵して、むらさきの雲のむかえをまたれしといひ、かるかや堂は、石堂丸すけして、をこなへる処といふ。
堂の軒に集る人のいふ、きのふはおほんせがきの会のありて、なりはひやはしきころ飢死たるもののなきたまとぶらひ、この月の朔より十日まで、かりやたてて、ものくはせ給ふ。
そのかたゐらの数二千余人といひき。
あつさにえたえで身まかれるものら、六十斗もありきなど、みほとけの前に蹲りて、ずずつまぐる人とかたりあひぬ。
長押に、
「善キ光リ寺の月見るこよひかな」
といふ、宗祇ほうしの句あり。
かたはらの壁に、たか杖をさしたる板のおもて云、
「あが母、此みほとけにまうでんことをとしごろねがひあれど、むなしう身まかれりし」
などかいて、はた、
「たらちめのはぎをたすけしつえなればあゆみ来りしこころともなれ 安永四乙未(一七七五)歳八月中旬難波なる無染尼つつしみて拝む」
とありけるを見て、あなたうときこころざしかな、われもおなじくにうどなりとて、なみだおとし、なもあみだぶちと、たなごころをあはする老法師のあれば、
浪速人あしとはいはで善光の寺のみまへにぬかづきにけり
かくて日くるれば、みてらみてらのともし火をてらし、あるは高燈籠の光に、みにはの面は蟻のゆきかひもがぞへつべし。
ささやかのみてらまで、夜るの行ひのぬかのこゑ/\゛御堂に入たつ人のとなふ、なもあみだぶのこゑは、鯨のほゆるがごとし。
護摩の行ひある寺には大なるつづみ、とう/\鉦にうちまぜて、町々には、めのわらは、をとなびたるもおどりまじりて、ほうしとり、こゑたかううたふも、ひとつにひびきどよみて、山谷もこたふ斗也。
さかぶちのおましある、堂の火かげに見えたる板に、
「四十七番釈迦堂世尊院、聞名不退願」
「こと木ぞと見るはあやしや花にさき実をむすべるもおなじ根ざしを」
とぞありける。
山本がやに帰りてけり。
やの人々は、天神嶋てふ処に、あま神のかんわざあるにまうでしとて、あるじのみ有てかたりぬ。