晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

ふたたび、将門王城をめざす

平将門王城跡を目指すも、行きつかなかったのは、もう1ヶ月も前である。

週に3日は、我が家は私だけで、留守番だ。

今日は、天気も良く、気温が上がりそうである。

出かけるにしても、自転車にするべきか、徒歩にすべきか迷った。

結局、歩くことにして、体に負荷をかけることにした。

平将門王城跡を、再度訪ねることにする。

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陽射しは強かったが、風があって心地よかった。

名戸ケ谷で、田んぼを通った。

10日ほど前に、手賀沼サイクリングに来た時に、田んぼの稲はかなり穂を垂れていた。

今日は、更に穂が重そうに垂れていた。

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少し遠回りして、増尾城址公園が見える方に歩く。

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これは、たぶんニッカウイスキーの工場がある森

増尾の森から流れて来た用水路が、大津川に注ぐところで土手に出る。

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水の流れ込んでいるあたりを見ると、鯉が数十尾集まっている魚影が見えた。

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左側に魚影がある

 

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白鳥の姿があった


この辺りの土手は、きれいに草刈りされていた。

そのせいで、土手の上を風が吹き抜けて気持ちがいい。

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ところが、中の橋で県道を横切ると、草刈りはされてなかった。

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土手の両側を1メートルを越える雑草が生えているので、草で熱くなった風が通って気持ち悪い。

草刈りしてあったのは、川のある方は1メートルくらいしか刈ってなくて、田んぼの側はきれいに刈ってあったので、田んぼの持ち主がやったのかも知れない。

 

前回、将門王城跡にたどり着けなかった。

帰った後で、いろいろ調べてみた。

将門ゆかりの寺となっている福満寺の近くにあることは、たしかである。

そこで、今回は前回とは反対の方向から向かうことにした。

 

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ヒドリ橋にある大津川の水量管理施設の生垣

遊歩道を、しばらく歩くと手賀沼をながめるための二階建て、と言うよりも高床式?の展望台がある。

その、脇にある農道を進んでぶつかる車道を渡ればいいはずである。

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展望台 私はランニングのとき第二砦と呼んでいた

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小さな水路を渡る。

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のぞいたら、おたまじゃくしとカメもいた

車道に向かって進む。

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車道を渡って、上り坂を歩いていくと、大きなお屋敷があった。

門の前に、大きな石材がゴロゴロしていた。

表札を見ると、市内にある石材店と同じ苗字だったので、ここが本宅なのかも知れない。

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石材がゴロゴロ

さらに、坂を登っていくと、「わらびのうえん」のカンバンを発見した。

「わらびのうえん」って、なんだろう。

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さらに歩いて、台地の上に出ると、梨農家の販売所があった。

ここは、来たことがある。

妻と、二回ほど買いに来たことがある。

なるほど、この近くだったのか。

もう、「王城跡」は近いはずである。

キョロキョロしながら歩いてると、カンバンを見つけた。

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相馬の都 平将門 王城通り

板塀に、手書きのカンバンが張り付けてある。

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王城通り

カンバンにしたがって、王城通りを進んで行く。

そして、ついに「王城跡」のカンバンがあった。

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王城の地

期待したよりも、ささやかなものだった。

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このように、書かれている。

 

王城の地

将門記の王城の地とはこの地なり

将門記に云く王城を下総国の亭南に建つべしと

この地より眼下手賀沼を望めば大井の津が一望でき北に筑波山を拝し西に富士山を奉拝し関八州を手中にできる

この地こそ王城建設にふさわしい所であります

かつて奈良時代には相馬郡に六郷が置かれました

手賀沼南岸には大井郷と小溝郷が置かれ手賀沼北岸には布佐郷倉麻郷意部郷余部郷が置かれました

また同時代には東海道が京の大津から下総国府を通り大井より布施に渡り戸頭に出常陸の国石岡まで整備されました。

このように都市機能が整備なされたところに将門は相馬の都を建てることに決定しました

 

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カンバンの脇にある道は私道のようだったので、もう少し先にあった車道を進んでみた。

かなり広い範囲が、畑になっていた。

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車道の先には、工場のようなものが見えたので、それ以上は進まなかった。

正面は森林に覆われているが、そこは台地の端でその先は斜面になっているはずである。

たしかに、文章にあったように、手賀沼が一望でき、筑波山も見えたことだろう。

 

この地が、将門の王城の地であるということは、誰が決定したのだろうか。

このカンバンは、どなたが書いて、設置したのだろうか。

いったい、どんな意味合いのものだろうか。

カンバンはだいぶ古く、かなり傷んでいる。

今のところ、疑問だらけである。

板塀に、直接張り付けてあったようなので、あの邸宅の方が関係してるのかも知れない。

しかし、表札を確認することを忘れた。

これから、調べることが沢山ある。

何から、手をつけるべきだろうか。

 

 

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登頂するか、撤退するか

20代の頃に、山登りの友人と南アルプスの山を登っていた。

登り始めて、登山道脇に腰をおろして、休憩していた。

少ししたら、下の方から若者の声が聞こえてきた。

掛け声をかけながら、若者の集団が登山道を駆け上がっていった。

私たち二人は、あっけに取られてそれを見ていた。

どこかの大学の山岳部の集団らしかった。

登山道を走るのか。

新入部の一年生歓迎山行だったのだろう。

今でも、こんなことをやってるんだなと、ため息が出た。

 

私は、山に登ることに、中学生くらいで興味を持っていた。

でも、高校でも大学でも、登山部に入ろうとは思わなかった。

私のような人間には、あまりに恐くて近寄れなかった。

詳しくは知らなかったが、過酷なところらしいと思っていたのは、間違いではなかった。

たまたま、勤め始めたら、山好きな同期がいて、一緒に登るようになった。

いちおう、グループの名前はあったが規約も何もないゆるいサークルだった。

私たちは、山は歩くところだと思っていたので、のんびり歩いていた。

そして、下山したら温泉でも入れたら最高だった。

 

住んでいた千葉県は、ほとんど山がない。

千葉県南部に房総丘陵というのはあるが、最高峰である愛宕山でも408.2mである。

しかも、はるばる出かけるには遠すぎるし、低すぎる。

だから、山へ行こうとすると、東京を越えていくことが多かった。

たとえば、南アルプスに行こうとすると、新宿から夜行列車でへ出かけたりした。

ところが、山梨県あたりだと近すぎて、夜中に駅に着いてしまい、始発のバスまでずいぶん時間がある。

持って行った寝袋に入って、始発の時間まで待っていた。

 

登山では、登りより下りが難しいと言われる。

たしかに、下りではかなり大きな重量が脚にかかるので膝を傷める人が多い。

それだけではなく、登山道を失っての遭難は下りの時が多い。

私にも覚えがあるが、下りの場合は、登山道だけではなく、仕事道などの選択肢が増えるので、道に迷う可能性が高くなる。

登りは、上に向かうだけなので、その心配は少ない。

登山では、多くの場合頂上を目指すことになる。

しかし、天候や体調やその他の状況によって、頂上を目指すことが困難な場合がある。

登頂を諦めて、撤退するという選択が、人間にとっては難しいものだったりする。

日程の都合をつけて、遠くから出かけて来たりしていると、なかなか思い切れなかったりする。

 

もしも、その場合に、冷静に判断できなければ、無理な選択をすることになる。

登山において、退去や撤退という選択肢があるのは、登頂よりも重要な安全とか生命というものがあるからだと思う。

いくら、長い年月と多額の資金をかけて準備した計画でも、それ以上に重要なものはない。

それは、すべての者が認識していることだろう。

 

昨年来、世界は「コロナ戦争」とでもいえる状況の中にある。

そして、この数ヶ月はオリンピックというものに振りまわされている。

そこで思うのは、最も重要な選択肢を、はたして用意していたのだろうかということだ。

何が、最も重要だったのか。

それに、しっかりと向き合ったのだろうか。

そのような認識を、みんなで共有していたのだろうか。

こんなことは、これからもありそうだな。

 

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チャーリー・ワッツさんが逝く

ローリング・ストーンズチャーリー・ワッツさんが亡くなったということを、ネットニュースで知った。

80歳だったそうだ。

ローリング・ストーンズを知ったのは、洋楽に興味を持ち始めた中学生の頃だ。

たぶん、ビートルズとセットで知ったかもしれない。

高校生になって、本格的に聴くようになった。

その頃は、優等生っぽいビートルズよりも、ワルっぽいローリング・ストーンズの方がカッコよく思えて、私の好みだった。

とは言っても、レコードもCDも買ったことはない。

 

ローリング・ストーンズだけではないけれど、ロックの連中がおじいさんになってもロックをやってるというのは、その頃は想像もできなかった。

ロックンロールは、1950年代中ごろに生まれたらしいので、私が聴き始めた頃は、チャック・ベリーもリトル・リチャードもエルビス・プレスリーも、まだ現役だった。

ビートルズローリング・ストーンズなどのイギリスの若者は、アメリカの黒人のブルースやリズム&ブルースの影響を受けた音楽をやっていた。

ローリング・ストーンズも、そんな音楽をやりたいブライアン・ジョーンズというギタリストがリーダーとなって、結成したらしい。

でも、アメリカもののカバーだけでは、やっていけないのでオリジナル曲が必要になる。

ビートルズは、ジョン・レノンポール・マッカートニーのコンビで、オリジナル曲を作り成功していた。

ローリング・ストーンズも、ボーカルのミック・ジャガーともう一人のギタリストであるキース・リチャーズのコンビで、曲を作り始め成功をおさめる。

「サティスファクション」、「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」とか「黒くぬれ Paint It Black」とかが、高校生の頃に聴いた曲だったが、かっこいいと思った。

 

チャーリー・ワッツというドラマーは、もともとジャズ畑の人だったらしい。

後年、ソロ活動でジャズ・アルバムを発表している。

悪ガキっぽいメンバーの中に、ひとりだけ静かなお兄さんがいる感じだった。

きっと、いくつか年上なんだろうと思っていたが、年はそんなにかわらないらしい。

ロックバンドの多くは、解散や再結成を繰り返している。

ビートルズは、結成から10年くらいで解散している。

ローリング・ストーンズのように1962年の結成以来解散せず、半世紀以上ロックの第一線で活躍しているバンドは、他にないかもしれない。

 

とはいえ、ローリング・ストーンズの内情は平穏なものではなかったようだ。

私が、このバンドを知ってまもない頃に、リーダーのブライアン・ジョーンズが脱退し、数週間後にプールの事故で亡くなった。

カバー中心のバンドから、オリジナル曲を作るようになり、曲作り担当のミックとキースの発言力が強くなり、作曲できないためにリーダーとしての存在感を失ってしまったのが原因だった。

その後、リード・ギターには、ブルース・ブレーカーズにいたミック・テイラーが加入した。

1974年からは、フェイセスなどでロッド・スチュアートと活動していたロン・ウッドに代わり、現在に至っている。

1991年には、創立以来のメンバーだったベーシストのビル・ワイマンが脱退し、サポートメンバーとしてダリル・ジョーンズが担当している。

 

彼らは、私よりひと回り上の世代である。

私が、中学生の時に20代だったのだ。

YouTubeを検索したら、哀悼の動画がアップされていた。

ミック・ジャガーポール・マッカートニーも、しっかりおじいさんだった。

ロッカーであり、おじいさんであるのは、いいものだと思った。

そういう私も、おじいさんだ。

若者のまま、亡くなったロッカーもいた。

先日書いた清志郎さんは、おじいさんになる前に亡くなったな。

 

 

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すわのうみ⑨ 菅江真澄テキスト

此月の廿日 沓沢といふ澗かげを行に、

 

   わきて来る人こそなけれくつ沢の水音高し五月雨の頃

 

小野沢てふ郷の、三村親意がやをとぶらへば、つねにすむやをはなりて、ちいさやかなる庵つくりて、南おもての庭に秋の虫をすすひつべく、まうけしたり。

こゝろにやありけん、荻薄ところせくうへたり。

げにぞげに、たヾうどのすめるさまには、見えじ。

あるじ、西季のまどといふ、いみじきこと書たるふみを、とりいだして見せけるに、

 

   四の時すまゐのまどのすヾしさに月雪花のながめをぞ思ふ

 

夜ひとよ、なにくれかたるに、人さだまりたるころ、いとほのかに琴かきならす音の、聞えたるやうに覚えて、

 

   つま琴の通ふかみねの松風かいづれしらべのをのさはの郷

 

廿一日 けふ雨うちしきりたれば、こゝにくれぬ。

廿二日 けふは、このやをいづ。

小坂村なる、元知がところは、なる神といふ山の際にあつまりたる処也といへば、水のさはがしく、山河とよみて聞えたるに、雨雲おほひて、そことも見えねば、

 

   山河の音もはるかになる神は雲にへだつるおもひのみして

 

かつ、その処にいたるに、あるじよめる。

 

   山深みすむともしらぬ柴の戸にとぶらふ人ぞさすがうれしき

 

返し。

   山ふかみ尋ねしかひもあり明のふもとの郷にかたり暮しつ

 

甘三日 われもやがて、故郷にゆかまく思ふといへば元知。

 

   枚郷の空なつかしみかへるともとしを経ずして又もとへかし

 

此こたへに、

 

   故郷の空なつかしみ旅衣たちかへるとも又やきなまし

 

などいひて、わかれぬ。

小坂、大池の村、あはひなる清水寺に、むかし見し聖のおはしければ、いで、こたびもとてのぼりぬ。

里より麓なれば、人の軒よりのぼるに、みちは一里もやあらん。

いと高き山也。

やがて雨ふり出て、きしかた行さきも、しら雲立おほひて、いといぶせくたどる。

谷はいくへの山をめぐりて、水の落くる音は神うちしきるがごとし。

えならぬ木くさの花咲たるに、うぐひすは春に聞しよりも、あへかに鳴たり。

 

   春に猶まさきのかつら夏かけて匂ひもふかしうぐひすの声

 

落くる滝に、手あらふとて、袖いたくぬらしぬ。

 

   旅衣ふたゝびこゝにきよ水のながれにひたす袖のすゞしさ

 

かの御寺にまうでて、上人にまみえて、いと久しなどとて、むかしかたり給ふ。

此寺さかへしむかしは、天平のころ人住しより此かたまでおとろえしを、いくたびも/\つくりしと聞えぬ。

をりしも、時鳥こゑたえず鳴めぐるぞおかし。

 

   ほとゝぎすひるもたづねて清水のみづの月影したひてや鳴

 

上人、武蔵国なる寂好法師書しものありとて見せ給ふ。

 

五月の頃信濃国大池村の辺なる清水寺の観世音の御前にいたりてぬかづきはべる序に、よみて奉りぬ。 

          露底軒寂好

   時ありてけふ此寺の御仏にのりのえにしをむすぶかしこさ

 

   たのもしな枯たる木にもふたゝびと花を見すべき広き誓は

 

五月の頃、清水寺にまうでて滝つせの清を見て、 

      洞月

   此山のきしねに落る滝つ波心のちりをすゝぐかしこさ

 

   おろかなるこゝろのやみもはれて行清水山の松のあらしに

 

郭会を聞て、                       洞月

   おもふどち聞ぞうれしき大山路にをのが時とや鳴ほとゝぎす

 

又、                           寂好

   こゝろある人と友なふ深山路に声なおしみそ山はとゝぎす

 

又、                           洞月

   聞捨て帰るもうしや清水の夕の山になくぽとゝぎす

 

又、                           寂好

   別路のなごりをそへて郭会こゝにがたらふ夕ぐれの声

 

山をくだりて、大池の村なる崇福寺にすみ給ふ耕雲禅師にうちものかたらひて、こゝをやがてまかりいづ。

こよひは、景富ぬしのやにとまる。

廿四日 此やに、遠つおやよりもちつたへたる、玉つるぎあり。

つるぎは来くにとし、玉は世になふめでたし。

あかりしやうじおしあけて、もて出たるに、竹、たかうな、杉、檜原など庭のくさ/\゛つゝみたるけしき、さかさまにうつりて、人のつらさし出たるなど、たゞ此たまは、あかがちの大さなるに、くらき処にすへて、はしそくさし出たるが、はたるのをるかとおもふ。

いとうつくしく、かゝるめでたきたからは、世にあらじがし。

 

   草のはの露やほたるにたぐえても此あか玉に似るべくもなし

 

   世々かけて人のこゝろもあら玉のひかりにみがく宿ぞたふとき

 

人々の物語を聞ば、ふたとせ草もかりをさむるころに、かく雨つゞきて、今は穂の末より、はた麦の萌いづるなど聞うきことのはこれへありて、

 

   時しあり降五月雨もこゝろあれやとしふとむぎのくちなんもうし

 

あるじ、あま止のいのりはじめ給ふに、

 

   たみ草のうるほふほどはありなまし降ぬもあめのなげきなるらむ

 

おなじこころを、  

                     景富

   八重雲をしなとの風に吹はらへ天てらします御影あふがん

 

こゝに二夜ありて、尊応上人にみ奉へて、いよなにくれかたりて、やがて故郷にゆかんといへば、上人われは佐久の郡まからんとのたまひて、よみてわれに給ふ。

 

   はなの春月の秋には分てなを思ひぞやらん人のことのは

 

返しを、

 

   わすれずよ花と月とのまどゐよりわきてしのばん春野のそら

 

みすゞかる科野の国、つま木こるをの沢の郷なる、美武良のぬしが集たる、四季のまどてふふみあり。

こは春の水の四方の沢辺にみつるより、夏の雲のあやしのたかねに見え、秋の月の光あえかに、冬の松ひとりみねに秀たる、くさ/\゛を書なしたる。

われにももの書てよといふまま、世にたふれたる一ことをもて、この紙をよごしぬ。

 

   四季のまどのぞけぱ梅にほとゝぎす紅葉の朶に雪をこそ見れ

 

  君が手にまかする秋の風なればと口号けんも、げにさることぞかし。

鵲のわたせる橋の翅もてつくりなし、しろき羽のあふぎして、あまたの軍をうちなびかいたる、なか秋の扇と捨られたるたぐひ、月を蔵して懐に入とずんじて、タ顔の花折てことめしたるに、白き扇のいたくこかしたるを、是に置て参ん。

枝もなさけなげなめるをと聞こえぬ。

是を篁吹給ふ夕鳥、五人のひと/\゛女をおもふさみにならしけんも、みな此器のとこにこそあらめ、まして、かしこき人の手にふれなば、なびかぬ草はあらじとぞおもふ。

 

 

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ロックの時代12 孤独の世界 From a Distance

私は、英語は苦手ではないが、得意というほどではない。

英会話は、ほとんどできないけれど、英語に対して拒否反応はない。

それは、高校生の頃に、英語の曲を一生懸命に日本語訳をしていたことが、意味があったのかなと思う。

好きになった曲が、どういうことを歌っているのか知りたかったのだ。

最初に翻訳した曲は、サイモンとガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」だった。

“Sound of Silence”という曲名からわかるように、彼らの曲は哲学的なのか、歌詞に使われている言葉も、教科書には出てこないようなものが多かった。

 

YouTubeでリアクション動画というのを、よく見る。

音楽動画を見て、感想を話すのだが、英語で話しても英語字幕を表示させることができる。

自動翻訳で、日本語にもできたりするが、とても不思議な日本語で疲れてしまう。

英語字幕の方が、何分の一しか理解できないにしても、なんとなくはわかる。

 

この頃の洋楽のヒット曲は、どれくらいの枚数が売れていたのだろう。

いくらなんでも、何十万枚も売れたとは思えないので、何万枚というところだろうか。

でも、ラジオで流れるような曲はほとんど日本版が発売されてたと思う。

気になって、売り上げ枚数を調べたら、桁が違っていた。

サウンド・オブ・サイレンス」は、81万枚も売れている。

今よりずっと洋楽の存在感は、大きかったのだろう。

 

P.F.スローン  「孤独の世界」From a Distannce

 

www.youtube.com

 「サウンド・オブ・サイレンス」を聴いていた高校生の頃に、やはりP.F.スローンの「孤独の世界」も聴いていた。

ラジオでよくかかっていたのだと思う。

P.F.スローンは、ソングライターとして才能が認められ、有名なアーティストに提供した曲が、ヒットしている。

しかし、自ら歌手として歌おうとして独立したが、歌手としては不遇だったようだ。

「孤独の世界」は、1966年に発表したがアメリカでは売れず、なぜか1969年になって日本で、ヒットしている。

歌詞に使われている言葉は、私でも知ってるもので難しいことばはない。

文法的にも、高校生でもなんとかなりそうである。

でも、それが具体的に何を意味してるかとなる、難しい。

印象的なメロディーで、次のように始まる。

 

Have you ever heard a lonely church bell ring?

Have you ever heard a crying angel sing?

From a distance, from a distance you can hear a crying angel sing

She's crying for the sadness tomorrow's sins may bring

 

この曲は、ひとりで世界に出て行く若者に対して、心構えのことを歌っているのだろう。

私なりの解釈では、全てのものは見方を変えれば違って見えるよ、ということだと思う。

 

Have you ever wondered just how tall is tall?

From a distance, the highest building still looks very small

From a distance, from a distance the highest

building still looks small

Oh, we can't measure anyone or anything at all

 

どんなに大きな建物だって、離れてみれば小さく見える。

ひとは、なんでもすべて測ることはできるわけじゃない。

 

Faith, my friend, is so hard to recognize

When you're traveling all alone in the night

Just look for the lights and

 

独りで、夜の道を旅するには、 光を探さなければならない。

光というのは、自分の信念とか価値観なのだろうか。

だから、「孤独の世界」なのかもしれない。

 

バリー・マクガイア 「明日なき世界」“Eve of Destruction"

 

 

ja.wikipedia.org

Barry McGuire/明日なき世界Eve of Destruction (1965年) - YouTube

バリー・マクガイアは、「ニュー・クリスティ・ミンストレルズ」を脱退して、ソロとしてこの曲を発表した。

「ニュー・クリスティ・ミンストレルズ」は、「グリーン・グリーン」で有名なバンドだが、この曲で聞こえるダミ声はバリー・マクガイアだと思う。

P.F.スローンが提供した曲だが、それぞれにとって最大のヒット曲である。

内容は、ベトナム戦争の泥沼にはまり込んでいたアメリカの内外の問題を描いて、かなり過激である。

原題を直訳すると、「破壊前夜」になる。

一部の放送局では、放送禁止になったらしいが、大ヒットになった。

 

The eastern world, it is exploding

Violence flaring bullets loading

You're old enough to kill but not for voting

You don't believe in war

But what's that gun you're toting

And even the Jordan River has bodies floating

But you tell me

Over and over and over again, my friend

Ah you don't believe

We're on the eve of destruction

 

この曲が発表されて20年後の1988年、忌野清志郎は、「COVERS」でこの曲をカバーした。

いかにも、清志郎らしいことばと歌い方で。

これに対して、ある評論家は「こんなへたくそな歌手に、これほどつまらん歌詞をつけられてリメイクされている」と書いたらしい。

なるほど、そういう聞き方もできるのだな。

彼にとっては、この曲は過去の思い出ではなく、今も生きている現実だったのだろう。

見方を変えれば、ものごとはさまざまに見える。

 

P.K.Limited  "Getting Straight" 

P.K. Limited 映画「・・・YOU・・・」Getting straight - YouTube

この曲は、やはり高校生の頃のヒット曲である。

「ゲッテング・ストレート」という映画のサウンドトラックということになっているが、映画はそれほど評判にはならなかった気がする。

主演は、キャンディス・バーゲンという人気女優だった。

曲の方は、ラジオでよく聞いたが、P.K.リミテッドというのが、男性2人組らしいが、他の曲があったのか、どんなアーティストかはわからない。

サウンドは、アコースティックなギターをバックに、柔らかいハーモニーを聴かせるものである。

歌詞を見ると、難しいことばはないのだが、何を意味しているのか、いまひとつわからない。

世の中が、住みにくくなるということだろうか。

手の中のリンゴのように、毎日世界が小さくなるのか。

 

The world gets smaller everyday
Like an apple in your hand
Hey do you really feel that you can run away
Have you noticed that there’s hardly room to stand
Don’t you feel that mom’s good old apple pie
Gets harder to swallow everyday
Don’t you feel the grand old eagle stands for do or die
Or did he lay an egg and fly away

 

 

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電子書籍は自分で作れる

電子書籍を見るためのアプリが、立ち上がらなくなってしまったということを、昨日のブログに書いた。

Windowsがダメなら、Androidにしようかな、と考えていた。

以前に、iPadにいれていたのは、削除していたと思っていた。

でも、それは思い違いで、「EBPocket」はiPadにインストールしたままで、まだ使えた。

書籍も、10冊分くらい入ったままだった。

 

ソニーの「クリエ」というpalmOSを使ったPDAを手に入れたのが、電子書籍や電子辞書を知ったきっかけだった。

PDAというのは、現在のスマホから電話機能と通信機能を省いたようなミニパソコンである。

もちろん、カメラやビデオの機能もない。

その前に、サラリーマンの世界で電子手帳というのが、一世風靡していたので、その発展形だったのだと思う。

私は、電子手帳は使っていなかった。

私がクリエを買ったのは、2003年頃で、クリエシリーズは2004年で終了しているようなので、palmも終わりの時期で、時代はスマホ志向になっていたのだと思う。

日本は、ガラケーガラパゴス化していたので、スマホへの移行は世界から遅れていた。

 

https://www.sony.jp/CLIE/products/pdf/peg-sj33.pdf

クリエを手に入れた頃に、デアゴスティーニが「PCサクセス」という雑誌の創刊号に、平凡社が製作して、日立システムアンドサービスが販売していた「マイペディア」という百科事典のCDROMを付録にしていた。

それを、PDAで使えるように変換できることを知ったので、さっそく書店で取り寄せた。

PC用の百科事典は、いろんなものが発売されていたが、ほとんどは独自規格なので、PDAで使うためには、EPWINGという規格に変換する必要があった。 

しばらくは、市販の百科事典や国語辞典などを変換して、使えるようにすることをやっていた。

www.heibonsha.co.jp

こんなことを、数年やってるうちに、既成の辞書だけではなく、自分の気に入った書籍を作ることができることを知った。

「EBWIN」や「EBPocket」を作ったhishidaさんという方が、EPWING規格の書籍を作るための、「EBSTUDIO」というアプリも提供していた。

ebstudio.info

電子書籍というのは、スクラップブックみたいなものだと思う。

気に入ったページや、サイトがあったら、コピーして保存したくなる。

まとめて一つにしておけば、いつでも見ることができる。

それが楽しくて、その後の数年は、いろんなものをつくっていた。

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iPadに入っている自作の電子書籍

EPWING電子書籍を作るために必要なのは、素材となるhtmlファイルなので、サイトにあるファイルであり、特別なものではない。

単に、多くの文書を集めたものでもいいし、その素材の数がとても多いものだったら、辞典とか事典として、その項目が探しやすいように、整理することが必要となる。

多くのファイルが必要な場合は、テキストを地道に整理する作業が必要だが、そういうことは私の性格に合っているようで、楽しんでやることができた。

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IMDbのサイトを利用した女優俳優の事典

お気に入りの映画サイトには、多くの写真ファイルが置いてあるので、画像ファイルを表示するようにやってみた。

第一番に登録されているのは、フレッド・アステアだった。

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キネマ旬報のサイトを利用した映画事典

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「やまとうた」という和歌についてのサイト

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ウィキペディアの関連サイトにある画像ファイルを使った画家事典

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シャーロックホームズ全集

私は、あくまでも自分が利用するために、電子書籍を作っている。

自己満足なので、当初はテキストにこだわっていた。

途中から、画像ファイルを利用できることが分かってからは、テキストだけではなく画像ファイルがある方が面白いと思うようになった。

ウィキペディアの関連サイトで、ウィキペディア・コモンズというサイトがある。

画像、音声、映像ファイルを集積していて、7600万を超えるファイルがアップロードされているそうだ。

それが、さまざまなジャンルごとに整理されている。

私は、山岳に興味があり、特に山岳写真は面白いなと思うので、もう少し調べてみようと思う。

 

 

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EPWINGアプリが立ち上がらない

最近は、あまりパソコンを使ってない。

このブログでも紹介していたEPWINGという電子書籍を見ようと、アプリを立ち上げようとしたら、立ち上がらない。

Dellのノートパソコンである。

「EBWIN」というアプリで数ヶ月前には普通に使えていた。

それが、何度やっても駄目である。

たしかにインストールされているのに、立ち上がらない。

しょうがないので、Windowsを初期化して、インストールをやり直した。

インストールはで来るのに、アプリが立ち上がらないのだ。

Windowsは、ときどき更新とかがあって、ヴァージョンアップしている。

そのせいで、何か不具合が起こっているのかも知れない。

EBWINのサポートの掲示板には、それらしい記事はなかった。

ためしに、音楽再生用に使ってるNECの省スペースデスクトップにもインストールしてみたが、インストールはできるのにアプリは立ち上がらない。

 

以前は、iPadにもiOS版の「EBPocket」というアプリを入れていたのだが、iPadにはカードスロットがない。

内蔵メモリの容量が32Gで限られているので、電子書籍や電子辞書を入れる余裕がないので、削除していた。

私のメインのPCは、Dellのノートパソコンだったのだが、このところあまり使っていない。

ネットを見たりするのは、iPadを使うことが多い。

やっぱり、せっかくある電子書籍を使いたいので、ノートパソコンが実用的じゃないとすると、Androidタブレットということになる。

Androidならばカードスロットがあるので、使いやすいだろう。

今なら、マイクロSDカードも128Gとか256Gでかなり安くなっている。

かなり以前に、Androidタブレットを使ったことはある。

7インチでけっこう使いやすかったのだが、安い中華製だったせいか突然起動しなくなった。

 

現在のところ、実質的にiPadがメインPCになってしまっている。

ネットも、このブログもiPadで書いている。

写真ファイルは、スマホからメールに添付して、このiPadに送っている。

「EBPocket」は、Android版もあるので充分使えるはずである。

電子書籍専用として、Androidタブレットはありかなと思う。

今のiPadは、10インチであるが8インチくらいでもいいと思う。

問題は、メーカーと値段である。

私の条件で探してみると、出てくるのは聞いたことのない名前のメーカーばかりである。

日本のメーカーは作ってないのだろうか。

とりあえず、何年か使えればいいなということなので、思いきって決めるしかないのかな。

 

私のPCの状況を、考えてみた。

デスクトップは、NECであるが、たしかNECレノボに身売りしてしまったんだな。

最初は、ソニーVAIOだった。

ノートパソコンは、Dellでけっこう長く使っている。

Decが最初で、富士通BIBLOを使ってたこともある。

タブレットは、iPadでアップルである。

スマホは、ヤフーモバイルのSIMカードを指しているけど、本体はHuaweiだ。

スマホも、最初はシャープで、東芝のDYNAPocketを使ったこともあった。

だんだんと、この世界でメイドインジャパンの存在感が無くなっていってるのかな。

 

 

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国名について調べてみた⑨ 常陸国編

これは、私の日本の歴史の勉強のための覚書です。調べたこと、考えたことを書きとめてます。 令制国というものに興味があって、気が向けば調べたりしています。

 

このところ、安房国上総国下総国という千葉県のことや、武蔵国のことを調べていた。

関東の他の国についても、気になってくる。

相模国や上毛野国、下毛野国、そして、私にとってはとても身近な地域である常陸国が気になってきた。

そこで、常陸国について調べてみた。

 

調べれば、調べるほど、面白いことがわかってくる。

それは、私が日本史について教科書の知識くらいしか、持っていないからである。

特に、令制国が登場する律令制度の時代については、ほんとに知識が少ない。

 

常陸国の全域と下総国の北部の一部で、明治初期に茨城県が成立した。

つまり、下総国のうち猿島郡結城郡、豊田郡、岡田郡の全域と相馬郡葛飾郡香取郡の一部は、茨城県に移管された。

茨城県と千葉県の境を、利根川としたからである。

それまでは、常陸国下総国の境は、鬼怒川であった。

鬼怒川は、両国の間にある香取海に流れ込んでいた。

そして、香取海は太平洋につながっていて、それが常陸国下総国の境でもあった。

 

鬼怒川は、栃木県日光市鬼怒沼を源とし、 栃木県を流れ、さらに茨城県西部を南下し、守谷市のあたりで、利根川に合流しているが、かつては東に流れを変えて、香取海に注いでいた。

古くは、毛野国を流れる川ということで「毛野河」(けのかわ)と呼ばれていたが、のちに「衣川」や「絹川」の字が当てられるようになり、「鬼怒川」となったのは明治になってかららしい。

ということで、常陸国は鬼怒川と香取海に、西と南を囲まれ、東は太平洋、北は陸奥国となる。

 

律令制が敷かれる前に、常陸国の地域は多くの国造によって支配されていた。

筑波国造 つくば市つくばみらい市の大部分、土浦市の一部。

新治国造 下妻市下館市

茨城国造 石岡市笠間市水戸市つくば市土浦市の一部。

仲国造  ひたちなか市

久自国造 日立市常陸太田市

高国造  日立市高萩市北茨城市

道口岐閉国造 日立市助川。

常陸国もまた、上総国と同様に多くの国造の国が存在していたことから、中央政権との密接な関係が考えられる。

 

 

中央政権と常陸国の関係は、常陸国親王任国であったことからもわかる。

地方に派遣する行政官である国司には、次の四階級があった。

守(かみ)、介(すけ)、掾(じょう)、目(さかん)である。

826年(天長3年)、常陸国上総国上野国については、長官として必ず親王を任命することになった。

この場合は、「守」ではなく「太守」と呼ばれたが、現地に赴任しない遙任だったので、実務上の最高位は「介」だった。

任期は、六年で後に四年となった。

郡の官吏(郡司)は、在地の有力者、いわゆる旧豪族から任命された。

親王任国とされた三国に共通するのは、いずれも「大国」であり、かつ「遠国」であるということである。

しかし、それに該当する国は、他に四国あり、武蔵国下総国陸奥国肥後国である。

令制国は、次のように分類されている。

国力による分類。    大国(13)、上国(35)、中国(11)、下国(9)。

都からの距離による分類。畿内(5)、近国(17)、中国(16)、遠国(30)。

 

初代常陸国国守は、700年(文武4年)に百済王遠寶が任命されている。

さらに、752年(天正勝宝4年)にも、百済王敬福が任命されている。

百済王遠寶は、祖父百済王善光が兄豊璋とともに、百済より人質として、宮家に近侍するうちに、百済が滅亡し、兄は百済再興のために帰国するが、善光は帰国せず留まったものである。

上総国国守も、746年百済王敬福、789年百済王玄鏡、799年百済王教徳が任命されている。

朝鮮半島の動乱期に、日本に渡って来た多くの渡来人に、関東の地に開発地を与えて住まわせたという歴史と関係あることだろうか。

 

奈良時代初期に、令制国の各国庁に「風土記」の編纂を命じた。

すべての国で編纂されたのだろうが、残っているのはわずかに五カ国分が写本で残っている。

 完本は「出雲国風土記」で、「播磨国風土記」、「肥前国風土記」、「常陸国風土記」、「豊後国風土記」は一部が欠損している。

常陸国風土記では、常陸国の名の由来を次のように述べている。

 

「然名づける所以は、往来の道路、江海の津湾を隔てず、郡郷の境界、山河の峰谷に相続ければ、直道(ひたみち)の義をとって、名称と為せり。」

「倭武(やまとたける)の天皇、東の夷(えみし)の国を巡狩はして、新治の県を幸過ししに国造 那良珠命(ひならすのみこと)を遣わして、新に井を掘らしむと、流泉清く澄み、いとめずらしき。時に、乗輿を留めて、水を愛で、み手に洗いたまいしに、御衣の袖、泉に垂れて沾じぬ。すなわち、袖を浸すこころによって、この国の名とせり。風俗の諺に、筑波岳に黒雲かかり、衣袖漬(ころもでひたち)の国というはこれなり。」

 

今ひとつ、常陸国の名前の由来としては説得力に欠けるように思われる。

 

常陸国国府跡は、茨城郡にあり現在の石岡市である。

国分寺跡や国分尼寺跡も、石岡市内にあり、国分尼寺跡は、国の特別史跡に指定され、史跡公園として整備され市民の憩いの場となっている。

市内にある常陸風土記の丘には、出土品が展示されている。

恋瀬川が霞ヶ浦に注ぐ河口付近の高台に、舟塚山古墳という前方後円墳がある。

全長186m、前方部幅100mという、立派なものである。

東国2位の規模らしい大きなものが、集落と畑に囲まれてあった。

何年か前に訪れたのだが、円墳が神社の森になっていたと思う。

この辺りが、古代からこの地方の中心だったのであろう。

 

霞ヶ浦の南東の向こう岸に、鹿島神宮がある。

前に、安房国上総国下総国のことを書いた時に、「神郡」というものがあったことに触れた。

律令制下において、一郡全体が特定の神社の所領・神域として定められた郡となっている。

全国に、十箇所しかないのに、この関東に三箇所あった。

安房国阿波神社安房郡、下総国香取神宮香取郡常陸国鹿島神宮鹿島郡である。

香取神宮鹿島神宮が、伊勢神宮と同じように「神宮」を称していること、どちらも奉斎氏族が中臣氏系であることは、偶然ではないように思える。

 

常陸国が成立した頃に、陸奥国も成立したようである。

陸奥国の領域にも、すでに多くの国造の国が存在していた。

陸奥菊多国造、石城国造、染羽国造、浮田国造、思国造、白河国造、石背国造、阿尺国造、信夫国造、伊久国造の10国である。

これらは、福島県浜通り福島県中通り宮城県南部あたりであり、福島県会津地方は含まれていないようである。

この時点では、陸奥国の北部に勢力を伸ばしていくために、常陸国は重要な位置にあったのかもしれない。

 

 

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雨上がりの手賀沼サイクリング

今朝は、久しぶりに青空が見えた。

しばらく、雨模様が続いていたので、何日ぶりだろう。

手賀沼にでも、出かけようと思ったが、気温は上がりそうなので、自転車で行くことにした。

雨がかなり降っていたので、手賀沼も増水しているだろう。

大津川は、どれぐらい流量が増えているだろう。

手賀沼から流れ出る手賀川も、どんな感じになっているか気になる。

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とりあえず、新柏方向に向かう。

裏道で自転車に乗ったのだが、この道は昔は細い砂利道で道端に小さな川があった。

一応、光が丘の森を水源とする渓流だったのだと思う。

見た感じでわからないが、わずかに傾斜してるらしく、ペダルを漕がなくても、とろとろと動いている。

 

名戸ケ谷で、大津川の土手に向かう道に到着する。

将門の王城跡を訪ねて来た時以来なので、ひと月くらいぶりである。

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田んぼの脇の道を進むと、稲の穂が大きくなって、穂が垂れていた。

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稲は、雨が降って暑くなれば、どんどん実が大きくなっていく。

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大津川の土手に着いて、川の流れを見ると、いつもよりは1メートルくらいは、水面が高くなっているように思える。

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クズの葉に夏の空

大津川の土手を進んで、県道に架かる橋の方向を見ると、白鳥が泳いでいた。

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なにか花は咲いていないかなと思いながら、土手を進むがほとんど花らしきものは見えない。

わずかに、ヤマブキ色の花がちょっと遠くに見えたが、あれはなんだったろう。

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大津川河口に着いた。

さすがに、かなり増水していた。

手賀沼の水面は、いつもよりは2メートルくらいは、高くなっているだろう。

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手賀沼の土手は、毎年お盆前くらいに、2メートルくらいの幅で除草している。

花火大会のためかなと思ったりしていたのだが、そんなことはないか。

去年も、今年も花火大会は、中止だったのかな。

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サイクリングコースを、道の駅に向かって走る。

道の駅「しょうなん」の新家屋は、かなり工事が進んでだいぶ建物らしくなっていた。

大きな屋根が三つ並んでいて、二つは家屋で、一つは半オープンになってるようだ。

完成予定は、たしか11月だったと思う。

ちょっと、楽しみである。

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さらに走って、ハスの群生地に着いた。

今年も、ハスはまったく咲いてなかった。

咲いてないだけではなく、まったく茎もなにもない。

去年も、同じだったので、ほんとに全滅してしまったのだ。

一時は、どんどん増殖して、向こう岸まで広がりそうな勢いだった。

いったい、なにが起こっているのだろう。

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この正面にハスが広がってるはずだった

我孫子のウェブサイトによると、2018

年頃から群落の縮小が見られた、とある。

原因としては、複合的なものが考えられるとして、七つぐらいあげられている。

www.city.abiko.chiba.jp

手賀沼の東端の曙橋近くの休憩所で、ひと休み。

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曙橋は、手賀沼と手賀川の水門がある。

それを見ると、手賀川の水面は通常よりも2メートル以上高くなっていた。

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ここからは、手賀川の土手がサイクリングコースとなっている。

両岸に、河川敷があったような気がするが、低いところは水没しているようだ。

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手賀沼に流れ込んでいる川は、大津川、大堀川、地金堀などがある。

その他に、田んぼのあるところには「排水機場」というのがあり、これで川から手賀川に流れ込む水量を調整しているようだ。

川というよりは、水田のための水路からの水かもしれない。

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排水機場の裏に川が見える

手賀川土手のサイクリングコースの左側は、水田である。

水田は、稲の穂が垂れていたが、よく見ると水田の色はそれぞれ違っている。

もう、黄色くなっている水田もあるし、まだ緑っぽいのもある。

私は、水田に囲まれて育ったが、水田は、水路から最初に水を入れた田んぼを、「水口」(みなくち)と言ってた。

その田んぼは、水温が低いので生育が悪く、稲の実も入らなかった。

この辺りの田んぼは、そういうことはないだろうから、稲の品種の違いとか、田植え時期の違いから来てるのだろうか。

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 この水田の先に、緑の森がある。

この中に、「千葉県手賀終末処理場」という施設がある。

とんでもなく広い敷地の中に、いろんな施設があるが、外から見たところかなりの広さは、ジャングルのような原野である。

何回も、この前を通っているが、詳しいことは知らなかった。

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東葛飾地域の下水を処理して、利根川に放流できる水にし、脱水汚泥は燃やして、その灰は各市が引き取ることになっているらしい。

処理区域は、我孫子市の全域、白井市柏市の大部分、松戸市鎌ヶ谷市流山市印西市の一部分となっている。

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週末処理場を通り過ぎて進むと、サイクリングコースは橋にぶつかる。

そのそばにあるカフェ「リバーサイド」が、今日の目的地である。

何年か前に、息子たちと来たことがある。

テレビの「ぶらり旅」みたいな番組で、見て知ったのだ。

とにかく、料理のボリュームがすごい。

二人前くらいの量が、皿に乗ってた。

でも今日は、ここでは食べない。

出かける前に食べて来たので、店の前の自販機でスポーツドリンクを買った。

 

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週末処理場近くまで戻って、ひと休みである。

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あとは、のんびりと帰るだけだ。

少し走っているうちに、雨がぽちぽちきた。

空を見ると、青空が見えるのに、自分の上だけ雨雲で、これから行く前方は、雨が降ってるらしくかすんでるように見える。

とりあえず、雨やどりできるベンチのある所まで走る。

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小降りになったら走って、雨やどりしてるうちに、雨はあがった。

洗濯ものがあったことに気がついたが、また陽が出ているから大丈夫だろう。

もう、青空がかなり広がっている。

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3時前に、帰宅した。

出発は、10時過ぎだったから、所要時間は5時間弱というところかな。

 

 

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サイクリングと体重管理

最近、サイクリングをしていて思うのは、どうしたらもっと長い時間乗ってられるだろう、ということである。

現状では、3時間ぐらい乗っていると、お尻が痛くなって、どうにも耐えられなくなる。

ふだん、かなり歩くようにしているので、基礎的な体力はあるほうだと思う。

7、8時間歩くのは、大丈夫だろう。

そうすると、原因としては体重が多すぎるのだと思う。

とくに、長時間サイクリングしていると、体重超過がズンズン効いてくる。

サイクリングしていると、本格的に自転車をやってる方に出会うが、みんなスマートである。

私のように重そうではない。

 

何年か振りに、体重計にのった。

64.5kgだった。

思ったよりは、少なかったが、こんなもんか。

前回測った時は、68kgくらいだった。

やはり、あと5キロくらいは落とさないと、自転車で長時間は苦しいだろう。

毎日、体重計に乗ることが体重管理にいいことはわかっている。

ところが、それがどうしてもできない。

お風呂の後とか、シャワーの後に習慣的にやればいいのだが。

それをやっていれば、無意識に生活をコントロールできるのはわかっている。

食生活とか、運動とか、意識的にもやるけど、無意識でやってしまうところもある。

 

かつて、本気で体重管理をやったことがある。

まだ、二十代の頃だったが、酒を飲むようになって体重が急激に増えた。

飲んでも、しっかり食べるほうなので、確実に体重は増えた。

それで、山に登ると苦しいので、減量が必要だった。

そこで、私が考えた方法は、酒をやめずに、体重を減らすことである。

結局、食事のプラスと、運動のマイナスを考えればいい、と思った。

飲んだらご飯は食べず、ふだんちょっと運動する。

短期間で何キロも減量なんて考えず、1ヶ月で0.5kgという目標にした。

月0.5kgでも、1年で6kgである。

その方が現実的だと思ったのだが、これは私の性格的なものからきているだろう。

そのつもりでやっていたら、月1kgくらい減っていった。

私の適正体重は、計算したところでは、55kgか56kgというところだったが、それに近いところまで減量できた。

しばらくは、60kg以下を維持していたが、まったく体重計にのらない生活をしているうちに、いつのまにか60kg以上になり、ずーっとそれが続いてた。

 

適正体重の計算方法もいろいろあるらしく、最近計算してみたら58kgだった。

自転車に乗ってると、体重の差は大きいと思う。

10kgの荷物を背負っていたら、ひざやお尻にかかる圧力がまったく違ってしまう。

やっぱり、少しでも荷物を軽くしたいものである。

そうしないと、遠出はできない。

1日6時間とか、7時間乗って大丈夫でいたいな。

毎日、体重計に乗るところから、はじめるべきだろう。

 

考えてみたら、高校卒業の頃、体重は47kgだった。

私は、痩せ型でではなく、どちらかというと骨太でがっちりしていた。

それでも、無駄なものがついてないとそんなものだったんだな、と思う。

その後、どんどんと体重増加していったわけである。

あの頃から考えたら、20kgの荷物を、背負っているのだな。

せめて、荷物は10kgにしたいものである。

 

 

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